人間裸で皆おなじ「番台からI LOVE ゆ」
広い空き地の真ん中で、落ちている棒切れで大きめの楕円形を描いてみる。
1年後、この空き地のこの場所に多くの人を裸にして集めてやる。今描いた楕円形は男、少し離れた場所には女の人も裸になっている。
お金を払って、裸になって、それなのに皆穏やかで、笑顔で、寛いでいる。
20年も前の話、あの日の想いは約束どうり、1年後に実現し、その後5年間で2つ目、3つ目と思いを遂げた。
誰もが嬉しそうな顔をしている、もちろん、女性のその姿は直接みることはできないが、男湯の露天風呂の壁越しから聞こえてくる声で、その表情は十分に理解できた。
そんな人たちの中で、一番嬉しそうな顔をしていたのは唯一制服を着ていて、裸ではなかった僕だったと思う。
自分が企画した施設の湯船に、裸になって寛いでいる人たちを見て、僕は「おふろ教」の僧侶になると心に決めた。
おふろ屋は不思議な商売である
無防備である!
年齢も、収入も、容姿も、学歴も、地位も、関係ない、全てを脱いで、一糸纏わぬ姿で、見知らぬ者たちが、裸で同じ空間で過ごせる場所。
本来ならば、警戒して、緊張して、気疲れしそうなシチュエーションともいえる、この空間の湯船で、極楽!極楽!と言わんばかりに緩んだ顔!
この国には、「おふろ教」の寺院とも言える銭湯があちらこちらにある平和の国なのだ。
僧侶になった以上、布教活動を行い、檀家を増やす、それが僕の使命。
寺院には、いろんな人が集まります,
日頃の悩みや疲れを癒しにくる人、精神的な問題を解決しにくる人、心地よさを求める人、健康を願う人。
様々な人間模様が繰り広げられます。
篤のある人ばかりではなく、素の出る場所なので、時には悪行愚行の人もいるけれど、
教義は「人間裸で皆おなじ」。
知らない人と、裸で同じ湯船に浸かりながら、安心して笑顔になれる場所。
番台からI LOVE ゆ、お風呂屋の番台から見た、様々な人間模様を綴りながら、日本の極楽地を布教します・・・
悪行は「おふろ屋の事件簿」で連載中!
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