一週遅れの映画評:『北極百貨店のコンシェルジュさん』「贖罪」から「共生」へご案内いたします。
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『北極百貨店のコンシェルジュさん』です。
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♪な~んでも そ・ろ・う 北極百貨店~
というわけで今週は『北極百貨店のコンシェルジュさん』なんですけど。
動物がお客様のかなり特別な百貨店”北極百貨店”。そこで働きはじめた新人コンシェルジュさんを中心としたお話なんですね。
それで、来るお客様のなかにはV.I.Aと呼ばれるさらに特別なお客様がいるのですが、このV.I.A、ベリー・インポータント・アニマルがどういう存在かというと「すでに絶滅してしまった動物」のお客様なんですよ。
当たり前だけど、ある動物が絶滅したケース全部に人間が係わってるわけでもないし、そこにはバイアスというか「人間が記録することができた動物」の絶滅しか私たちは知り得ないわけですよね。例えばカンブリア紀の未発見生物については一切わからない。
とはいえ、人の手によって絶滅した動物だって数多くいる。リョコウバトとかカリブモンクアザラシとか。そしてその絶滅の背景、つまりは種が滅びてしまうほどに行われた乱獲の理由に「大量消費社会」というのがあるわけです。
”人は他者の欲望を模倣する”と言ったのはルネ・ジラールですが、「なんでも揃う百貨店」というのは言うなれば欲望の坩堝。なんでも揃う=あなたの欲しいものは全部ある=あなたの知らない”誰かの欲望”がそこに並んでいるって図式があるわけですよ。嗅いだことのない香水も、触れたことのないストールも、読んだことのない本も、存在すら知らなかったあれもこれも全部「誰か欲しい人がいるもの」なわけで。
作中で「お店にいらした全てのお客様が笑顔になっていただける。浮かない気持ちでいらしたお客様も、最後には笑顔になってお帰りいただける」と百貨店の魅力を語るシーンがあるんですけど、この文脈でその言葉を上げるとめちゃくちゃ不穏というかグロテスクじゃないですか。
だってどんな大金持ちでも、世界中のすべてを買えるわけじゃあない。買えるものより、買えないものの方が遥かに多い(世界全部の過半数が個人の所有物になることは、到底起こりえないわけで)。だから百貨店に行って、欲しいものを買うことで充足される欲望よりも、より多くの他者の欲望を引き連れて家路につくことになる。
それを「笑顔になってお帰りいただける」って言うのは「大量消費」の前提にある「大量欲望」の生産装置の肯定で、それはV.I.Aを生み出してしまった人間の罪を再生産してるわけです。それを今度は「コンシェルジュとして働く人間」が「お客様としてやってくる動物」の欲望に応えていく。
まぁつまりは「贖罪」のシステムですよね。お前たちがやった非道を、今度はお前たちが受ければいい! という思想のもとに北極百貨店は作られている。ただそれってすごく悲しい構造じゃあないですか。結局はV.I.Aの身に降りかかった悲劇を再現して人間にぶつけることで解消しようとしている、それで「笑顔になる」ってことは「誰かの笑顔の裏には、誰かの苦痛がある」ということから逃れられない。
で、本作の良いところはそこからの脱却を描いているところなんですよね。
最後に語られるエピソードが、ゴクラクインコのお客様なんですけど。彼女は入院して外に出れない娘のために何かプレゼントをしたい、だけどワンコインしか予算が無い……どうしましょう? ってコンシェルジュさんに相談する。
百貨店に来れば笑顔になれる、娘もここに来ることをすごく楽しみにしていた。という話を聞いて、コンシェルジュさんは「百貨店の案内動画」を撮影して、そのデータが入ってるメモリー(ワンコインで買える記憶媒体)をご購入いただくわけなんですが。
その案内動画を撮影するのが、コンシェルジュさん本人じゃなくて、前に接客してすごく喜んでもらえたお客様なんですよね。別件のトラブルを抱えて撮影する時間のないコンシェルジュさんが、お客様に頼んで店内を撮影して紹介してもらう。そこには以前接客した別のお客様も登場して百貨店の魅力を語ったりもしてて。
それでゴクラクインコのお客様も大変お喜びになるんですけど、同時にその動画を撮影したお客様も「楽しかった」と言う。で、そのことを知った百貨店の支配人がこう語るわけですよ。
欲望ってさっき言ったように「誰かの笑顔の裏には、誰かの苦痛がある」という構造のことで、だけどここではゴクラクインコのお客様が笑顔になった裏には、別のお客様の「楽しかった」がある。つまり支配人の語る”欲望の反対側”というのは、「誰かの笑顔の裏には、誰かの喜びがある」って構造で。それこそがコンシェルジュ精神であり、同時に「誰もが持つことのできる」ものだとこの作品は描いて見せる。
それでここがすごく重要なポイントとして、その撮影を手伝ったお客様というのがバーバリライオンってことなんですよね。バーバリライオンは1960年代にほぼ絶滅したと考えられていたのが、2000年代後半にモロッコの国王が所持している私設の動物園で32頭が飼育されてることが判明するっていうwなんかもう笑っちゃうくらい奇跡的な出来事があった動物で。
人間の手で絶滅にまで追いやられた動物が、片方では人間の手によって絶滅を免れていた。つまり1960年代の絶滅に対する「贖罪」から、2000年代後半は飼育されてたことによって生存できていた「共生」へと移り変わっていく。
これがそのまま「誰かの笑顔の裏には、誰かの苦痛がある」から「誰かの笑顔の裏には、誰かの喜びがある」の変遷と重なっているわけですよ。そしてまぁ当然、擬人化された動物の話であるわけだから、人間と動物の関係だけでなく、これは人間と人間の関係にも援用できる。一方的な欲望と消費の社会から、相互に与えあう社会への変化という「百貨店の夢」=希望を描いて作品は終わっていくわけです。
これ、映画には出てこない原作のエピソードとして、クアッガというシマウマに似た絶滅動物の子どもが出てくるんですけど。なんかめちゃくちゃ退屈してウロウロしているクアッガの子どもがやりたかったのは、「レストランの給仕」だった……ていうお話なんですけど、まぁキッザニアとかもあるように子どもってのは「大人みたいに働く」ことを遊びとして受け止めて楽しめる。
そしてこのクアッガも人間によって絶滅させれながら、近年DNA解析によってあるシマウマの亜種であることが判明し、そこから交配によって少数が復活するっていう経緯を持っているんですよね。つまりバーバリライオンと同じような「贖罪」から「共生」への変化を持っている。
新人コンシェルジュさんと新しい時代の子どもたちが、そうやって新しい百貨店の夢、希望を担っていく。そんな非常に素晴らしい作品でありました。
なんでも揃う北極百貨店では、新しい時代の希望も取り扱っております。コンシェルジュはじめ一同、みなさまのご来店を心よりお待ちしております。
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次回は『愛にイナズマ』評を予定しております。
この話をした配信はこちらの15分ぐらいからです。
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