【インタビューVol.1】取締役CTO・米本浩一先生〜学生時代〜
こんにちは、インタビュアーのLichtです。この度、株式会社SPACE WALKERの共同創業者兼取締役CTOである米本浩一先生にお話を伺いました。
米本浩一
Co-Founder / 取締役CTO / 工学博士 / 東京理科大学 理工学部 嘱託教授
1953年 7月 28日 生まれ。 東京都出身。
1973年 3月 東京都立九段高校 卒業。
1977年 3月 東北大学工学部機械工学科 卒業。
1980年 3月 東京大学工学部機械工学専門課程修士課程 修了。
1980年4月~2005年4月 川崎重工業株式会社
1986年6月~1988年10月 文部省 宇宙科学研究所 衛星応用工学研究系(受託研究員)
2005年5月~2019年3月 国立大学法人 九州工業大学 大学院 工学研究院
機械知能工学研究系 宇宙工学部門(教授)
2017年 12月 株式会社SPACE WALKER 設立。
2019年4月~ 私立大学法人 東京理科大学理工学部機械工学科(嘱託教授)
大学生時代はどのような学生でしたか。 また、研究以外では何をされていましたか。
「とてもいい子だったんですよ。」
と言う、第一声からインタビューはスタートした。
小学校〜高校
米本先生は父の仕事のため小学4年生でドイツに引っ越し、デュッセルドルフ市で4年間過ごした。その間、週に一度の日本人学校やヨーロッパを家族で巡ったりしていたそうだ。
ドイツに滞在していた時の米本先生 (最前列右から2番目)
中学1年生の冬。日本に帰国し、目黒区立第一中学校に編入した。しかし、ドイツで教育を受けていたため1学年遅れて入学したと言う。その後、東京都立九段高等学校に進学した。高校時代はテニス部に所属していたと言う。
大学
東北大学工学部機械工学科に進学した。その当時から漠然と「いいエンジニア」になりたいと思っていた。
円山君との出逢い
大学の入学式後、円山君に「ハンググライダーを作らないか」と、誘われたそうだ。気づけば、怒涛のハンググライダー製作の日々を過ごしていた。このことがきっかけとなり、飛行機に興味を持ち、いい子だった性格も気づけばとんがっていた。
鳥人間仲間とハンググライダー「千尋号」の開発に青春をかけた米本先生
(左端)
大学3年生
ハンググライダー製作に追われていたため、勉強はおろそかになりギリギリで進級した。だが、将来は航空機メーカーに就職をしたいと強く願った。それから猛省し、勉学に励んだと言う。教室の一番後ろの席で受けていた教室の席は、教卓の前の席へと。聞き専だった授業では、授業で分からないことがあったらすぐに質問する姿勢へと変貌した。
ここを境に、勉強と研究の日々を過ごした。学部4年生では、飛行機といえば流体だと思っていたため、流体研究室に配属された。
大学院
大学院は東京大学工学部機械工学専門課程修士課程 (現、東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻)に進学した。小学生の頃、ドイツに滞在していたことから、ドイツに行きたいと言う思いがあった。
ドイツのシュテュットガルト大学に留学し、初めは有限要素法(FEM)の研究に着手した。しかし、研究所の所長と喧嘩し、ケルンにある原動機の研究所へ移籍した。この研究所はケルンボン空港に隣接するドイツ航空宇宙センター(DLR)内に位置していた。この研究所で研究、プライベートでは結婚を経て修士2年の11月に帰国した。
ドイツ留学中の米本先生
次回は、vol. 2「〜川崎重工時代〜」 へと続く。
取材・文:Licht(大学生インターン)