学校で教わらなかった“人生”というゲームの大原則
①子供の頃に教わったこと
小学生の頃、ある道徳の授業で先生が言った。
『人生はゲームとは違います。命は1つだし、もう一回初めからやるなんて出来ません』
淡い記憶である。おそらく“命の尊さ”を伝える授業だった。
時は経ち、もう20代の半ばの自分は転職活動をしている。「自分の“本当にやりたい事”って何なのだろう?」考えれば考えるほど分からなくなっていった。
「次に就く仕事は、きっと10年以上続けているはずだ」なんて考えた日には「ならば、本当にやりたい事をせねば!」などと思い、また最初の問いに帰った。
②まるで人生の迷子だ
『次こそ失敗しない選択を!』と考える自分がどこかにいて、次の挑戦への一歩を渋らせる。
彼はとても思慮深い性格で、失敗しないための情報を探すように言ってくる。
しかしそれが自分の内にあるのか、外にあるのか、本当にあるのかさえわからない。例えるなら、深海を泳いでいるような心地だ。あてもなく答えを探している内に、こんな言葉に出逢った。
『小さな傷は負っていい。致命傷さえ負わなければ』
(そんな事をこの記事に入力している自分の手は、冬の乾燥で少し傷を負っているが、そこは今回関係ない。ハンドクリームでも塗ってやり過ごそう)
この言葉をどこで聞いたのかは忘れてしまった。
だが、この言葉はこう言っているのだ。
『失敗はして良い。大きな失敗を犯さなければ』
③いつの間にかしていた勘違い
道徳の授業で『失敗をしたらやり直せない。だから失敗をしてはいけないのだ』と習ったつもりだったが、先述した通り“命の尊さ”を伝える授業だったのだ。
いつの間にか自分の中で『失敗をしてはいけない』や『成功しなければならない』が強く残ってしまっていた。
それこそが挑戦の一歩を渋らせていたのだ。
“ しても良い失敗 ”とは、自分の許容範囲内での失敗だ。自分は許容範囲内だが、誰かを傷付けたりするものも勿論ダメだ。
“ 大きな失敗 ”とは、命を落とす事や、それ自体を継続不可能にしてしまう状態になることも含める。
この事に気付いた時から、自分の足取りが少し軽くなった気がする。
最初からストレートで大成功しようとすると、その場から一歩も動けなくなってしまう。
少しずつ、着実に、失敗も受け入れながら進んでいく。
④『まるで人生はゲームだ』
主人公(自分)は何にでも挑戦出来るし、何処へでも行ける。
レベルアップ方法は様々で、運動をすれば肉体レベルが上がり、勉強をすれば知識レベルが上がる。それで資格をとれば、収入アップに繋がったり、信用獲得に繋がる。
いつからでも、何にでも挑戦出来るだろう。
しかし、致命傷だけは避けたい。
継続不可能になれば、やり直しは出来ない。
電源を落として、
あの頃のセーブポイントに戻る事は出来ない。
だからこそ、身体を鍛えたり勉強をしたりする事で、その致命傷を避けなければならない。これらが、このゲームの大原則だ。
⑤“この記事のまとめ”と“次回の予告”
今回、自分自身に起きた考え方の変化を記事にしてみたが、あなたは何を思っただろうか。もし共感してもらえたのなら、コメントやいいね、誰かにお勧めしてもらえるとありがたい。
この記事で伝えたかった事は3点ある。
最初から成功しようとすると一歩も動けなくなる
自分の許容範囲内の失敗(=小さな傷)はして良い
“命を落とす”や“周りを傷付ける”,“継続不可能になる”等の失敗(=致命傷)はしてはいけない
次回は若者が親(や周りの大人)に言われる台詞No.1『誰もが好きな仕事で食べてるわけじゃない』から派生していく『主体性』についてのお話。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
そろそろ自分は勉強をする時間なので、ここら辺で失礼致します。お互い、自分自身のゲームを楽しんでいきましょう👋
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