教科書文学のすすめ6「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを(小野小町)」そんな恋ばかりしていた
私は、30代、既婚者です。
まるで恋をしたことなどないかのように、母親として、おばさんとして、それらしく振る舞う毎日を送っています。
しかし、私にも人並みに恋をした経験があるはずなので、この記事をきっかけに、少し思い出してみることにしました。
私は本当に見る目がないようで、友人から「なんで?」と思われるような人とお付き合いすることがほとんどでした。
偽名を使われていたり、本命じゃなかったり、突然連絡が取れなくなったりという、こじれた恋愛ばかりなぜか選んでしまうのです。
別れるたびに泣きながらお酒を浴びる私に付き合ってくれた友人には、感謝の気持ちしかありません。
文字通り、身を削る恋ばかりであったと思います。
「夢でもいいから会いたい」という恋愛観は捨てたあの日
ざっくり言うと「恋しいあの人のことを思いながら寝たので、夢に見たのだろうか。夢とわかっていたならば、目を覚まさずにいたのに。」という意味です。
小野小町の恋しいあの人は、プレイボーイの在原業平なのか、意味深な歌を残している僧正遍昭なのかはわかりませんが、とにかくなかなか会えない人だったのかもしれません。
若き日の私は、この「夢で会えたなら目を覚ましたくない」という気持ちにとても共感していました。
こじらせて「夢でもいいから会えるなら嬉しい」という立場で恋をしていたのだと思います。
私がそうしているうちに、はじめは優しかった恋のお相手も、だんだんと、「会えるだけで嬉しいだろう」という態度になることがほとんどでした。
そんな中、現在の夫から言われた一言が、私の世界を変えました。
「僕みたいな人と付き合えばきっとうまくいくのに、君みたいな人は僕を選ばない」
目からうろこでした。
私自身、その時は夫のことを「全然タイプじゃないな」と感じていたのです。
その言葉を言われたとき、ずっとうまくいかなかった私の恋が、うまくいく可能性があるのならば、この人に賭けてみてもいいかもしれないな、という思いがふつふつと湧いてきました。
それは、私がもう、いつ見られるかもわからない「夢」を待つことに疲れていたからだと思います。
私達の恋は、本当に夫が言った通りになりました。
あたたかな日が多くなり、桜がほころび始めた今、新しい恋を始める前に、この和歌をひとつ、思い出していただければ幸いです。
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