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私の解離 症状

以前にも書きましたが私は複雑性PTSDで、恩師が癌で余命宣告されいつどうなっても分からない状態になり、「このままでは心配で死んでも死にきれないから」と言われ治療する決心をしました。
それは一般的にはしないと後で聞いた短期間での治療でしたが、恩師の残された時間と家族の協力、私の決意など全てが重なってできました。
金銭的なことも無料ではありませんが、うちの事情をよく知っている恩師が安くしてくださいました。(治療について、この金銭面も大きなハードルである)

短期間での治療により突然体に心がぽんっと入った瞬間が分かりました。これも一般的には徐々に体と心が近づくんだと思います。それによって私は今まで解離していた事に気付きました。たぶん恩師も気付いてなかったと思います。
カウンセリングで恩師と話をしていても「〇〇さん(私の名前)は光と闇があると闇ばかり見る癖があるわね」とか「コップに水が半分入ってるのを見て、半分しか入ってないと思うか、半分も入ってると思うか。それは考え方の癖みたいなものよ」などなど。

「でもできないんです…」と言う私に恩師は「○○さんは「でも」が多いわね」と苦笑い。
それが私の日常だった。
先生が言いたいこと、伝えたいことは分かるけどどう頑張ってもできない。
なんでできないんだろうと自分を責めたり落ち込むことも多かった。
客観的に自分を見るとか嫌な思いを手放すとかも私にはどういうことか、どうすればいいのか全く理解できなかった。

できる時とできない時の差が激しく、恩師が開くグループワークにもほぼ参加できなかったけれど、これは参加したい!と思うものは死ぬ気…というか倒れてもいいからと思って参加した。
恩師がたぶん最後になるだろうと開いたグループワークにも参加して「この子は本当にここぞと言う時は参加するのよね」と笑ってみんなに話してた。それは嫌なことではなく、そのグループが安心だったから「そうなんですよね」と笑って返せていた。しかし申し訳ないことに参加することに必死で、一緒に参加していた人を覚えていないことも多かった。

そんな状態から突然体に心が入ると、今までできなかったことが「あれ?」っと自分で驚くほどできるようになった。
考え方もコップに水は半分しか入ってないとしか思えないけど、そのコップの形はフラスコみたいな形かもしれないなあとか。いろんな考えができるようになった。
客観的に見るのも自分の体に心が入っていないのだから、客観的に見ることが難しい、できなかったのだ。

昨日と先週eテレの「バリバラ」という番組で解離性障害のことをやっていたけど、分かる分かると頷くことが多かった。
解離性障害の人は小さい頃の環境で不安や恐怖を感じる人が多く、アメリカでは100人に1人が解離性障害だと言われているらしい。

私には他に人格はないようだけど、思考が止まらなくなる時がある。
多くの人は考えないと不安。または不安で考えてしまうみたいだけれど、私の場合は勝手に浮かんできて止められなくなる。脳の暴走だと知った。
過度のストレスがかかると突然解離してしまうので、何もできなくなってしまう。
最近は起きることも難しくほぼ寝たきりに近い状態まで落ちた。
長く座ることも困難で食べ物はおにぎりとか巻き寿司など。横になってても食べられる物。しかし空腹や暑い寒いも感じにくい。
お風呂も入れず家族に頭を洗ってもらったり。本当に抜け殻のようになってしまう。

最近少しずつマシになってきても台所に洗い物があるのがどうしても洗えず。鬱症状なのかなあ?と思っていたら家族に「昨日病院行って久しぶりに遠出したから疲れてるや」と言われて「ああ…そうか。疲れてるのか…」という感じ。
自分が疲れているのかも気づかないし分からないのだ。
そして倒れてしまうことがよくあった。

「バリバラ」でも言っていたが、本当に本人は疲れてることや体の苦痛やストレスに気づきにくく、それが溜まって解離してしまうようで。
解離性障害の人が車を運転していてボディに傷や凹みがあっても気が付かないから、外から「傷がついてるよ」などと教えてあげるという例えが分かりやすかった。
ただ解離性障害の認知や診断してくれる医師が少ないので、本人や周りも戸惑うことが多いと。
私も解離している時としていない時の差が激しいので、周りに迷惑かけて申し訳ないと思う。
解離していない時は楽しいことが好きだし、人ともコミニュケーションがなんとなく取れていると思うんだけど、解離してしまうと「人が怖い」とか「気配や音が怖い」などのスイッチみたいなのが入ってしまって、人の言葉なども受け取れなくなってしまう。家族でさえも怖くなってしまう。スマホの通知音も怖い。
昨日まで笑って話してたのに今日は怖いと感じて返事もできなくなる。
人からすると凄く気まぐれとか何考えてるか分からない人なんだろうなあと思う。
それを私の症状なんですと伝えることができなくて、急に返事こないから傷つけてしまったかな?と心優しい人には相手に傷を与えてしまって申し訳ないと思う。

これが私の病気だから仕方ないと開き直ったりするつもりはないんだけど。
でもどうしていいか分からないのが本音です。
これも解離が突然良くなったり、突然解離したりするから故に分かることではあるのだけれど。
本当に本人にはどうしようもなくて。傷つけるつもりもないんだけど。傷つけたり迷惑かけてしまって申し訳ないなと感じています。

ただ解離性障害のことがもっと広まったり認知されれば、『あ、また今解離してるのかな?』などと相手も気づいて傷つけなくて済むかなと。
私のわがままなのかな?
でも解離性障害と診断されなくても、「自分が分からない」「自分ってなんだろう?」と思う人は多いと思う。
そういうことも含めていろんな人がいてもいい。いてもいいんだよと思える世界が広がれば病気じゃなくても「個性」になるだろうし、生きやすい世の中になれば解離することも少なくなると思う。

解離性障害で人格が分かれてる人はもっと大変だと思います。
私は解離性健忘で忘れてしまうのも大変だけど、違う人格で人と接すると本当に違う人のように相手は感じて人が離れていくんだと思うと胸が痛くなります。
他に人格が分かれてる人はそれだけ大変な思いをして1人の体の中に人格が分かれてしまうほど辛く、今現在も辛い思いをされていると思います。
ドラマや映画で二重人格や多重人格が犯人でしたって。そんなオチのような人生ではないです。

安心や安全な人や場所が増える。
ストレスが減ったり過度なストレスがかからなかったら解離も減ると思います。
それは解離性障害じゃなくても大切なことです。
そんな世界、世の中になりますように。



そよかぜ🌱


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