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青年は中年になり、インプットよりもクラリネットが楽しい。
どんな大食漢にだって、大盛りを食べられない日がいつか来る。
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タケシは子どもの頃から身体が大きかった。学校では欠席した同級生の給食もぺろりとたいらげた。牛乳は毎日1リットル以上飲み、家に帰ってから夕食までのあいだに菓子パンや餅を食べるのが日課だった。母と父の背はあっという間に追い抜いた。父は「健康に直結する食費はケチらん!」と笑ってくれた。なお食費以外はケチだった。
幼稚園から中3まであだ名はジャイアン。身長体重だけでなく成績も学年で一番。県内でいちばん偏差値が高い高校に入学する頃には185cmになっていた。バスケ部、サッカー部、柔道部、いろんな部活に勧誘されたが、吹奏楽部に入った。
「でかいからチューバがいいんじゃない?」と言われたが、選んだ楽器はクラリネット。「県内、いや、国内で一番でかいクラリネッターかもね」「超高校級木管奏者」と周りはおもしろがった。高校を卒業する頃には188cm/80kgになっていた。
大学ではジャズ研に入り、クラリネットからアルトサックスに転向した。コンクールやフェスに出演するたびに「めっちゃでかいサックス吹きがいる」と話題になった。「テナーかバリトンの方がいいんじゃない?」と200人くらいに言われたが、アルトサックスの音色が好きだった。
食欲は相変わらず旺盛で、学食では常に大盛り、お米は毎日2合炊いた。肉や魚がなくても、ふりかけや塩、そしてパリパリの海苔があれば幸せだった。身体のサイズ以外はごく一般的な4年間を過ごし、港区にあるテレビ局に入社した。
同期や先輩にはラグビーやアメフトをやってきた大柄な男も多かった。でもタケシがいちばん身長が高いしいちばん量を食べた。飲み会や打ち上げは焼肉屋で行われることが多く「残すんじゃねえぞ」「まだ食べられるだろ?」と今ならパワハラの体育会系ノリだったが、上司から「もう勘弁してくれ」と言われるまで食べることができた。そのうち「タケシは飲み会の前にラーメン屋か牛丼屋で食べてから来るように」と言われるようになった。
ある日とつぜん耳鳴りがした。めまいや吐き気も日常化した。病院に行ったら「マスコミの人は、けっこうなるんですよ」と言われた。睡眠不足、ストレス、そして暴飲暴食が原因らしい。
ラーメン、カレー、牛丼で大盛りや特盛りを選ばなくなった。月に5,6回は行っていた焼肉屋に行っても「脂の少ない部位をちょっとだけ」なんて言うようになった。食欲が落ちてアイスやゼリーばかり食べていたら、さらに体重が落ちた。
食べまくっていた過去を知る人たちからは「健診行ったほうがいいよ」と何度もすすめられた。仕事は順調だったが、食欲も睡眠欲も性欲もなくなっていった。禿げてきたので坊主頭にしたら「893じゃん」「知り合いじゃなかったら怖すぎる」「モーゼみたいに人がよける」などと言われた。
高校時代よりも細い体になった。元々そんなに好きではなかったお酒もタバコもやめて、そのかわりと言ってはなんだがクラリネットを再開した。当時は買えなかった憧れのメーカーの最高級モデルを手にした。
クラリネットは楽しかった。いつも多摩川の河川敷の同じ場所で吹いていたら、近所ではすこし知られる存在になった。通りがかりの大学生に誘われてセッションしてみたら楽しかった。ライブに来てくださいよ、出てくださいよ、なんて言われることも徐々に増えていった。
「ああ、これまでの俺は食べ物や情報をインプットしすぎたんだな。人の5倍くらいはインプットしてきたから、これからはアウトプットに時間とお金をかけよう」と思った。
クラリネットは高校時代よりもうまくなった。高い楽器のおかげかもしれないが、年を重ねて深みと円熟味が増したということにしておきたい。
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