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「未だ進化の途中、真の教育の在り方とは?~『みかづき』~」

『みかづき』 森 絵都 著 (集英社)
 
とてもいいお話を読ませてもらいました。
戦後の教育について、これほど詳細に、また塾と文部省との確執を知ることが出来たこと、大変興味深いものでした。
とても膨大な資料をもとにここまでの大作を書かれて、読者はそれを簡単に読むことが出来るから、これまたありがたいことです。
 
自分自身はまだ詰め込み教育がわずかに残っていながら、ゆとり教育へと方向転換を検討されていた時期に義務教育を受けていたようです。
確かにむかし、世間では大学受験の壮絶な戦いと悲壮感を、ユーモアと皮肉をまじえて歌った「受験生ブルース」なるものが流行っていたように朧気ながら記憶しています。
 
そんな時世にいよいよ正規の授業についていけない子どもたちが、ぽつりぽつりと出現し始めた1960年代。
大島吾郎は小学校の用務員でありながら、子どもたちにとってその幾分気安い立場に、気楽に用務員室へとやってくる子らを相手に勉強でわからないところをみてやっていました。
そしてその説明がわかりやすくて、少しずつ勉強がわからなくて困っていた子たちが、みるみる成績をあげていくのです。
 
そう…原点は、授業についていけない子たちを拾い上げて、みんなと同じ軌道に乗せてあげる…それが教育の基本。
その原点とのちに吾郎の孫である一郎とが、時を隔てて奇しくもつながってしまうのです。
吾郎が蒔いたタネが半世紀ほどを経て、巡り巡ってちゃんと実を結ぶ物語になっています。
 
公教育が太陽なら、塾は月。それは光と影の間柄というふうに語られていますが、今となっては区別なくどちらも太陽ではないのでしょうか?
いずれにしても子どもたちの教育について真剣に向き合い、良き方向へと突き進めるように奮闘している人々を讃えたいと感じます。
 
ただお役人が考える教育というものが、いつの時代も上手くいかないのはなぜなのでしょう?
吾郎の妻となる千明が受けた国民学校での教育を恨み、その後文部省と敵対していく様子はとても考えさせられます。
戦前・敗戦直後の教育を詳しく知らない私にとって、千明ではなくとも「お怒りごもっとも」と言わざるを得ないのではないでしょうか…と思えました。(詳細はぜひ本作をお読みください!)
 
高度な民度を誇る日本で上質な教育をぜひともひとりの落ちこぼれもなく、平等に機会も与えられて、未来に向けて日本を支える人材が育つようにと祈るばかりです。


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