性別違和と感謝と【LGBTQ】

自分とは違う身体を着させられている、という感覚に覚えがあった。

元々女性を演じる、演じることを習慣にする、という感覚でずっと生きてきました。

習慣に埋め込まれた価値観や所作は既に私の中で息づいて、私という存在の一部にすらなっている。

けれど、演じている感覚は変わらない。

ズボラ極まる私は、女性らしく身なりに気をつかうことはその支度だけでエネルギーを使い果たすほどにしんどいことだったりする。
なので普段はスッピンに好きな服を纏って、鞄や靴下なんかには気を配らずに過ごしている。
そのせいでめちゃくちゃダサくなったとしても、旅行とかでなければ気にしてトータルコーディネートするHP消費よりも出かけるという目的の方を優先させる。
それは時に、周囲や一緒にいる人間にとっては迷惑なことだろうと思う。
仕事ならなおのことね。
けど、全部に気を配って出かける気力すらなくなってしまったり、エネルギーを使い果たして途中で事故をしたり、仕事がなんにも手につかなくてミスばっかりになるよりは、出来る支度だけして『やる』『行く』という目的を達成することの方が皆にも自分にも負担は少ないと思うのだよね。

不格好な生き方しか出来ないけれど、その中でも精一杯生きてきたし、これからはもっと自分を大切にして生きていきたいなと思います。
そのおかげで周囲にはまた今までとは違った迷惑をかけるだろうけど、それでも世の中わりと根気強く付き合ってくれるもんだなと幸せを噛み締めながら。
これからもみんな、よろしくお願いしますね。
いつもありがとう。

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