成長は変化ってお話し。

昨夜は眠りが浅くねむねむな朝の僕です。どうも、クエッショニングの葵井柳宇です。

以前の記事で『会話するには翻訳が必要』ってお話しを書いたけれど、今日のは『伝える話し方』と『価値観の相違』についてのお話し。

僕が今まで働いてきた中で良かれと思ってしたことが怒られてしまう結果だった理由を探してみました。

結論から言うと、多分そもそもの『話が通じてない』とか『変化を求めてない』とかってことがあったのなら僕の話は雑談に手を止めるよりも意味のわからないことだったのかもしれないなと。

僕は自分の仕事の効率や正確性を向上させたかったり、手間・時間・精神にロスがあるなぁと思ったら改善すりゃいーのにって思ってしまうタイプで。

でも、毎日を繰り返しのように過ごす人や保守的な人ってそもそも『変化』を求めてないんだね。

改善できるかもしれないこと、それは良くなることではあるけれど『今』のままではなくなり『変化』するということ。

僕は日本語を話しているはずなのにその日本語が通じていない、ぐらいの意味のわかんなさを相手に与えていたんだろうと思う。


少し激しい言葉を使うけれど、『バカにはブラックジョークが通じない』という話を聞いたことがある。

僕の解釈でいくと、対象の事象に対して変化や成長、思考を続けること、学ぶことなどを求めない人には日本語が通じないことがあるってことなんだけど。

少しまえに実際、激しいなぁ極端だなぁ短絡的すぎないか?と感じたことがあって。

僕はちと過激になってませんか?まぁ落ち着いてくださいな。みたいな気分でお相手に返事をしたのだけれど、サッパリ伝わらずにけれどありがとうと言っていただけた経験があって。

ふとね、職場改善や根本解決について話してた僕と上司の間にもこの差があったんじゃないかって気付いたのです。

たぶん、問題ともやりにくいともロスだとも何も感じていなかったのでしょう。

そんなところに突然改善案を提案したところでハテナがいっぱいで、僕をかなりのバカで仕事をサボるやつと認定したのでしょうねぇ。

過去の上司さんたち、ごめんね。

そもそもがズレていたことを知らずに、困惑させてしまっていたね。

若かった僕は色々と知らなすぎたし、言葉もまだストレートで、今の僕ならせめて『これは無駄なことなのでは?』と様々なロスに気付いてもらうことが出来たかもしれないのに、僕は今よりも尚伝えることが下手だったんだ。

今朝のこの記事も、ねむねむな中でスッキリとしない頭のまま書いているので、もしかしたら今日僕が伝えたかったことが伝えられる書き方になってないかもしれない。

僕はまだまだ、日進月歩で学んでる最中。自分の至らなさを実感する朝なのでした。


んではまたー。


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