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有名アトリエでの思い出〜建築設計の仕事

 新卒で就職した頃、建設業界はまだ当時3K(キツイ、キケン、キタナイ)とか言われて、設計職も本当にキツかった。(今はどうなんだろう?)

有名アトリエでオープンデスクを経験する

 学生の時、某有名アトリエにオープンデスク(学生が事務所を体験できる=タダで仕事させられる仕組み)に行って、いきなり初日に、所長の有名建築家の人が話しかけてくれたけど、(もうそれは誰でもいいやって感じで)とりあえず今日は徹夜してくれと言われた。私は、地方の大学から東京でオープンデスクに参加するために、横浜にある母の古い友人宅に泊まらせてもらって事務所のある恵比寿まで通っていた。当時はまだ携帯電話を持っていなかったし、いきなり始まった仕事で席を外す勇気もなかった私は外へ電話しに行くこともできず徹夜した。母の友人はとても心配していた。
 事務所の所員さんたちは、もう二週間家に帰ってないわ〜、風呂に入ってないわ〜と、眠くなったら床に倒れこみ、朝になって、お客さんが来ると起き上がって、ボサボサ頭のままで打ち合わせを始める。
 事務所には当時所員さんは数名だったが、オープンデスクに来ている学生がたくさんいて、いつもフル回転だった。

アトリエでの仕事

 私の仕事は模型製作。模型作るのはそこまで好きではなくまだ学部生でヘタクソだし・・・ということで詳細な模型を結構苦労して作った。その模型はスタディ模型(検討用の模型)だったので、打ち合わせの時、その有名建築家の手によって、あっけなくぶっ壊された

 所員さんたちは優しかった。だいたいお昼ご飯に連れて行ってくれて、オシャレな店だとか、老舗の和食など。カツ丼屋で、所員さんが漬物にたっぷり醤油をかけるのをみてカルチャーショックを受けた。(私は西日本から来た人間なので関東の食べ物は大抵、濃く感じる)

 その頃は、所員さんはその仕事のキツさ(家に帰っていないとか、風呂に入っていないとか)がある種の自慢のようでもあり、そういう所員をよそ目に、当の建築家先生は時々街で派手なファッションの服を買って来て所員頭(今では独立して別の有名建築家になった人)と一緒にあれこれファッション談義。とてもミーハーに見えた。

 事務所で聞く話は、ある現場では竣工前に、工事の仕上げを多数の学生で手伝って、徹夜で作業して、朝になったらバタバタと学生たちが倒れて行ってさ・・・笑。など、そんな話ばかりだった。(この語尾の、東京弁の「さ」にも当時カルチャーショック。実際にやっぱり使うんだ!と。)

 結局オープンデスクのあいだ、その有名建築家先生と話したのは、最初の「徹夜して」の一度きり。彼女にとっては、我々学生は、スターウォーズのストームトルーパーみたいなものだったのかもしれない。お前らはいくらでもいる。次々戦って、倒れるまで戦うのだ!!(ちょっとひどい表現ですね。冗談ですよ。)

経験してわかったこと

 へんぴな地方の国立大学から来た学生(当時そこにいた多くの東京の私立の学生とはかなり文化=行動様式が違うと感じた)だった私にはもはや面食らうことしかなかったが、それが正しいと信じ込まされた。それが「建築の設計の世界だよ」というように。そうしなければ建築設計の仕事なんてできない。そういうものだと。

 そして、二週間のオープンデスクで、得たものは、「アトリエに就職するのはやめよう」だった。これは今でも正しかったと思っている。
 それは、そういう世界を否定しているのではなく、有名建築家先生のために懐で草履を温めるのは私には無理だなと直感で感じたからだった。それがたとえ将来自分が「建築家」としてその仲間に入って仕事するための登竜門だとしても。そもそも「建築家」になりたいわけじゃないと気づいたと言える。

 それは私にとって犠牲を強いるものだった。それは嫌だった。自由な創作とはかけ離れた世界に思えた。でも、建築の設計の仕事は好きだと思った。


 さて、そんな学生の時の「決意」があったにも関わらず、結局就職してからは・・・・というのはまた今度気が向いたら書きます。



出典:冒頭のストームトルーパーの画像はwikipediaより引用しました。https://bit.ly/2AR0ogu

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