躁鬱とカロリー

浮かんでは沈み、上昇中に破裂して浮遊して再び谷へ。ものを食べます。フィクションです。

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最近の記事

しゃぶしゃぶの淡いピンクと

絶妙に歪んだ骨格と絶妙に不気味なパーツと、絶妙に凝り固まった筋肉ゆえにぎこちない表情しか浮かべられないことが不幸にも負の方向に作用しあって、ただ単に不細工ではなく、何となく関わりたくないと思わせるような気持ちの悪い顔をしている。私は、昔から。 だから実の親でも視界に入れるのが嫌だったようで、顔を見ると怒鳴り散らされ、醜いと罵られ、まともに会話してもらえたことがない。特に父には。 そう、人は醜くて不気味な顔をした人間にはとても辛辣なのだ。何をしなくとも、そこにいるだけで嘲笑

    • 綿飴に似てる私の声

      はっきりと覚えている。これは顔が醜くなり始めた頃からだ。周りの人々が、私の訴えをなかったことにしはじめたのは。 人は、醜い人間は心も醜いと思うようにできているらしい。逆に、美しい顔をした人間の心も美しいと感じるように作られている。 二次性徴を経て、顔も体も醜く成長した私の言うことなど誰も聞き入れなくなったし、正当な訴えも何かと理由をつけて却下かスルーされることが俄然増えた。 そえまでガリガリで顔のつくりもぼやっとしていた私は、とりあえず成績と愛想の良さで何とか普通の人間

      • 廃棄のお弁当が人生で初の親友だった

        残念ながら醜く生まれてしまったので、これまで稼いだ金の8割と起きてる時間の9割ほどを容姿をどうにかするために費やしてきた。磨くためではない。磨く土台がボコボコのズダズダでどうにもならないので、それをまずヤスリで延々と削って表面を整えて少しずつ数字の大きい目の細かいものに変えていくようなことをして、なだらかに滑らかにしないと、ツヤツヤに磨くという作業に入れないのだ。 でも、本当に残念なことにこの年になっても磨く段階に到達できなかった。ヤスリで必死に削って削って削って、気づいた

        • いちごのショートケーキに刺される

          忘れてしまえば幸せなんだろうか、と何百回も何千回も、もしかすると何万回も思ったかもしれない。 でも人は嫌なことをそんなに簡単に忘れられるのだろうか。 とくに人格形成される幼少期にされた嫌なことを、そう簡単に忘れることなどできない。普通の人間なら。 私は人生の前半はずっと毒親の虐待と容姿の“至らなさ”から遠回しに、たまに直接的に見下し嘲笑してくる人の餌食となり地獄をなぜか死なずに生き続けていた。 私は手がかかる子どもではなかった、と毒親である母からよく言われた。大人しくて人

        しゃぶしゃぶの淡いピンクと

          今は亡きオムライス

          食べたものが食道を通って胃に落ちて小腸に入って大腸に到達した後の感覚が、それはそれは嫌いになったのは思春期のころ。栄養を吸収するのは小腸だけど、大腸にずっと溜まっている食物の残骸が太らそうと躍起になっているような気がして、ザリザリとした苛立ちと不安感をどうしても消し去ることができなかった。 だから、食べて吐くことで心の安寧を得ることができることを知ったが、それは底なしの沼だった。すっと引きずり込まれて、気付いたらそこから抜け出すことができなくなっていた。 私にはそこを超え

          今は亡きオムライス

          もう二度と食べたくないコロッケ

          母が死ぬほど嫌いだ。物心ついたころには近づいてほしくなかったし、手をつながれようものなら振り払っていた。友人たちの“お母さん”とは全く違うモンスターがなぜ自分の母親なんだろうと思ったが、不運でハズレくじを引いてしまったのだと思うようにしている。 母を言い表すとすれば、「人の心が全くわからない」「正当性のない自分の異常なこだわりを他人に強要する」「顔で優遇されてきたことを自分の性格が良いからだと思い込んでいる」「“嫌なもの”に対する嫌悪感が強すぎて何年でも同じことを主張し続け

          もう二度と食べたくないコロッケ

          3分、ラーメンの幸せと

          ただただひとつ願いごとが叶うなら、美しく生まれ直したい。  毒親でもいい、ひどい対人関係に悩んでもいい、致命的に頭が回らなくてもいい。一目見て瞬時に美人だと判定されるような顔が、見た目が欲しかった。 物心ついたときから、この願いはずっと私の一番に君臨し続けている。人為的でならいくらでも変えられるかもしれないが、そうではなく「生まれつき」の美しさが欲しいのだ、私は。どうしても。途中で努力と金の力で得た美しさもすばらしいとは思うけれど、それが欲しいわけではない。醜いルックスゆえ

          3分、ラーメンの幸せと

          レッドアイと吐き気

          絶対に、そうされていたとは言いたくなかった。だって惨めだから。かわいそうだと思われるから。それに自分が悪いと思っていた。私の存在がいけなかったんだ、彼女の気分を不快にしたのだからと。 学生時代、いじめにあっていた。期間はそんなには長くなく数ヶ月のことだった。けれど、私はその数ヶ月で学校に行けなくなった。結局、だいぶ時間が経ってから復帰したけど彼女は学校にいて、姿を見掛けるたびに動機と吐き気に悩まされた。 されたことは主に精神的ないやがらせで、頭の良い彼女は周りの人間に、私

          レッドアイと吐き気

          泥とチョコテリーヌ

          さすがにもうダメかと思ったけど、なぜか生きているなと思いながらねっとりとした香ばしい濃厚なチョコテリーヌにフォークを埋め、軽く力を入れてもったりと切り離す。手の動作によって滞留していた空気が動いたのか、鼻先を掠めたアッサムとヴェネズエラ産カカオマスのナッツの香りが混ざり合う。あまりに香しくて一瞬ためらった。全く食欲がなかったからだ。何かを食べても仕方ない、どうせ、と思っていたから。でも。 飲み下せるかなと思いながら口に入れた瞬間、今日十何度目かの涙が洪水のように溢れた。でも

          泥とチョコテリーヌ

          カレーにたゆたう

          カレーライスにしめじを入れることは断固として反対する。 なぜなら、おいしくないから。香り高くて若干すっぱいものは、まったりとしたスパイシーなカレーには絶対に合わない。 最初にこの不思議なカレーを私にごちそうしてくれたのは男友達の母親だった。次は、近所の小児科医。その次は義母。全員にある共通点があった。息子の母親であることと、私にマウントをかましてきたということだった。 彼女たちから見た私は、自分たちの息子よりも優秀で彼らを能力でもってして脅かすかもしれない存在だったようだ

          カレーにたゆたう

          ワインを飲んで自ら“さよなら”を告げる毒親はいない

          シャボン玉のオーロラを抜いて固めたようなグラスに、少なめに注がれるツヤツヤしたブドウ色。舌のはしっこに感じるツンとした酸っぱさが、あるかないか。圧倒されるような香り。吸い込むと、どんなものよりもまっさきに恍惚とさせてくれる不思議な液体。 それが私にとってワインだ。 でもときに紙コップで飲んでもいいし、瓶からラッパ飲みしてもいい。渋すぎたって、それはそれで臭い鼻が曲がりそうなチーズと併せたら最高のマリアージュになる。 と、いろいろ治療中なので久しくワインなんか飲んでいない

          ワインを飲んで自ら“さよなら”を告げる毒親はいない

          母とラーメン

          ラーメンを愛している。火傷する寸前の熱さに煮えたぎった液体から箸で麺をですくい上げ、口に運んで味わう至福の瞬間。 と同時に、世界で2番目に嫌いな母がラーメンを同じように愛していることを思い出す。 料理が嫌いな母は高頻度で食卓にカップラーメンを出した。自分の労力を必要以上に使いたくない人でカップラーメンを愛していたので、何の問題もなと信じたゆえの行動だったように思う。 そんな母の作るものの9割はおいしいとは言えず、本当に料理教室へ通っているのか不思議だった。 例えばレシ

          夏と雲と真緑のクリームソーダ

           真緑色をしたクリームソーダにどうしよもない憧れがある。  それは、間違いなくコミック版『ちびまる子ちゃん』(集英社)の4巻に収録されている「夏の色も見えない」というエッセイ漫画の影響だ。 さくらももこ氏自身が高校時代(だったと思う)の夏休みに友達と真夜中まで勉強したときの話で、その中でクリームソーダへのこだわりが語られる。子どもながらに本当に美味しそうに見えて、食べに行きたくてしょうがなかった。 結局、その後クリームソーダを食べに行ったのかもしれないけれどそれについては

          夏と雲と真緑のクリームソーダ

          コーラに救われた話

          近所の銀行でもらった茶渋のつきまくったマグカップの中で、小さな小さな泡が弾ける音がしてる。すごい、泡が陶器をはじく音ってこんなにかわいいのか。何時間でも聞いていられるぞ。そんなことを思いながら3杯目をゴクリ。 コカコーラ。薬草を甘く煮て青空の下で飲めるように改良されたような味がする。 どう作るのかレシピなんか全然分かんないような味がするのに、世界中で愛され続けている清涼飲料水。いやほんまめちゃくちゃうまいやん、と思いながらふと何年ぶりに飲んだっけと思い返す。 たぶん、と

          コーラに救われた話