しゃぶしゃぶの淡いピンクと
絶妙に歪んだ骨格と絶妙に不気味なパーツと、絶妙に凝り固まった筋肉ゆえにぎこちない表情しか浮かべられないことが不幸にも負の方向に作用しあって、ただ単に不細工ではなく、何となく関わりたくないと思わせるような気持ちの悪い顔をしている。私は、昔から。
だから実の親でも視界に入れるのが嫌だったようで、顔を見ると怒鳴り散らされ、醜いと罵られ、まともに会話してもらえたことがない。特に父には。
そう、人は醜くて不気味な顔をした人間にはとても辛辣なのだ。何をしなくとも、そこにいるだけで嘲笑したり蔑んだり貶めたりしたくなるようだ。でもそれが人間の本能で、鏡を見れば「まあ自分が醜いからしょうがないよね」と半ばあきらめていたが、そう簡単に諦めきれないのもまた本能で、強烈なストレスで常に自律神経のバランスが狂って吐き気や冷や汗との闘いだった。というか今も。
年を取って化粧を覚えたら、不気味さは何となくミステリアスまで底上げすることができて、周りからも人間扱いしてもらえるようになった。親も前ほどは醜いと連呼しなくなった。でもそういえば先日「じゃがいもみたいなボコボコなフェイスライン」と笑いながら母に言われたっけ。そんな母とは普通にランチに行ったりするが、彼女と対峙すると常に手足が氷のようになって吐き気が発生するので安定剤が手放せない。
父は、テレビドラマが大好きな人で、というかドラマに出演している美しい女優が好きで、母の録画がたまに失敗すると火がついたように暴れ狂った。今もお気に入りの女優が何人かいて、リビングを占領してリアルタイムかもしくは録画を見て悦に入っている。
性的な発言をしたり猥雑な話題を出したりとか、そういうことはなかった。ただ、美しい人間が好きなだけで、私の友人や母の友人、その娘が美人だったら過剰に褒めた。私は容姿について不細工だとしか言われたことはない。不細工だから生きる価値がない、俺の金を使いたくないと遠回しに言われ続けた。
まあ私が醜いからしょうないよね、と今も思っている。同時に、醜く生まれて生きていくことはつらいので殺してくれればよかったのに、とも思う。何度か母に「あなたはお母さんが産んだ存在だからお母さんが好きに殺しても何の問題もないのよ」と鬼の形相で言われたことがある。たしか中学時代に珍しく私よりもテストで高得点を取った人がいたからだったと思う。
母は、友人の母親たちからその子どもたちのテストの点数を聞き出しては娘である私の点数と聞き比べて、常に高いことで満足していたらしい。母はとても顔が美しい人で経年劣化によりその点において褒められなくなった腹いせとして、笑いながら私の醜さを指摘して、同時に私の人よりも高いテストの点数や成績を眺めてにんまりと悦に入っていた。
母も父もしゃぶしゃぶが大好きだ。フィルムに挟まれた薄い高級なしゃぶしゃぶ用の肉。それを丁寧に剥がしながら、大きな昆布が沈む鍋で泳がせる。薄いピンクになって少しだけ縮んだ肉をゴマダレにつけてかぶりつく。至福の味だった。私はいい年になるまで、しゃぶしゃぶ用の肉は全部フィルムに挟まれて売られているのだと思っていた。そうではないことに気付いたと同時に、吐き捨てるように(おまえの生活費のために)金がないと毎日怒鳴られ続けた生活が蘇った。私に言われても。でもたぶん私が美し顔をして生まれてきたら、こんなにも生きていることに文句をつけられることはなかったのだろうなと思う。
化粧をしていたらぎりぎり外を歩いてもよい顔(と自分で思い込んでいるだけかもしれないが)になっているかもしれないとはいえ、素顔では一歩も外に出ることができないほど、私は依然醜い。
生まれたくなかったし、たぶん親も生まれてきてほしくなかったと思っているだろう。別の子どもだったらよかったと思っていることは間違いない。
でも母は、人としてそう思ってはいけないと自分に言い聞かせて、教育虐待に及んだのだと思う。せめてこの醜い子どもが成績優秀であれば、もしかしたら存在を許せるかもしれない、と。でもそれは他に上がいない最上の成績を取ってのことで、ただ1人でも上にいるのだとしたら劣等感と同時に「やっぱり醜い子どもなんていなかったら良かった」と思ってしまうから、叱っても殴っても怒鳴っても睡眠時間を奪っても、一番を取らさないといけないと思ったのだろうと思う。たぶん私のために。ずっと私のためだといい続けてきたのは、たぶん、そういうことだったのだろうと思う。
髪をおろしていたら汚いと言われ、少し化粧をしたら似合っていないと笑われ、近所の同級生の母親まで連れてきて似合わないと言わせた。よく覚えているよ。懐かしいね。
でも最近気付いた。別に醜く生まれてきて何が悪いのだろうと。人も殺さず奪わず、ただ静かに誰の目にも触れないように死に向かって淡々と生きている私のこの何が悪いというか。
いつか、あのしゃぶしゃぶ肉を冷蔵庫に入り切らないくらい買って、母と父に永遠と食べさせてあげたい。おそらく母と父の声は私には届かない。醜い私は彼らにとって金銭をかけて育てたい子どもではなかったのだから。本当は。存在が許されない私の、終わることのない楽しい食卓を。