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雪のない冬の日

【これは、劇団「かんから館」が、2005年2月に上演した演劇の台本です】


     〈登場人物〉

      定岡卓也
      定岡祐子
      吉田雅之
      磯部健太郎
      船越美恵
      りんご
      細見亜紀


      暗闇の中、「海ゆかば」が荘重に鳴り響く。
      舞台がゆっくりと明るくなる。
      正面に、自衛隊の制服姿の定岡卓也の大きな顔写真。
      その前に、喪服を着た祐子。
      脇に、制服姿の自衛官、吉田が、直立不動で立っている。

首相の声   故・定岡卓也陸曹の非業の死を悼み、衷心より弔意を捧げます。イランの復興支援と治安の維持に尽力された将来ある有為の自衛官を失ったことは、大きな悲しみであると共に、卑劣なテロリズムに対する強い憤りを禁じ得ません。御家族の胸中を察するに、申し上げる言葉もありません。心からお悔やみ申し上げます。
先だって我が国は、国際連合安全保障理事会の常任理事国として、国際社会の平和と秩序維持に寄与すべく責任ある立場に立ちました。その矢先に、このような尊い犠牲を払わねばならなかったことは、誠に沈痛の極みではありますが、この深い痛みを乗り越えてこそ、我が国の国際貢献に対する真摯な姿勢と誠が顕示されるのであり、また、故人の遺志もそこにあるものと信じます。
定岡陸曹は、日本国、日本国民の誇りであります。我々は、あなたの国を思い、平和を願う高い志と熱い思いを決して忘れることはありません。日本政府と日本国民は、平和の礎として散った尊い英霊の遺志に応えるべく、敢然としてイランの復興と平和維持に精励することをここにお誓い申し上げます。
どうか安らかにお眠り下さい。
平成二十一年、二月二十四日。内閣総理大臣、黒沢正樹。

      祐子が会釈する。
      吉田が敬礼する。

      照明が薄暗くなり、祐子にエリア明かり。
      吉田が退場する。

      祐子にカメラのストロボが連射される。

      ボイスレコーダーをかざして磯部と船越が現れる。

磯部   亡くなられたご主人に、何かおっしゃりたいことは?
祐子   え‥‥。
船越   黒沢首相に対して、何かおっしゃりたいことは?
祐子   あの‥‥。
磯部   お腹にお子さんがいらっしゃるんですよね。
祐子   ああ‥‥はい。
磯部   今、何ヶ月ですか?
祐子   えーと、六ヶ月です。
船越   自衛隊史上、初の戦死者ということになりますが、それについてはどう思われますか?
祐子   そういうことは、私の立場では‥‥。
磯部   ご主人は、お子さんの名前は考えていらっしゃったのでしょうか?
祐子   いえ‥‥それは、まだ‥‥。
船越   首相が「英霊」という言葉を使いましたが、それについては?
祐子   さあ‥‥それは‥‥。
磯部   定岡陸曹に国民栄誉賞を与えるべきだという声がありますが?
祐子   ああ‥‥そうなんですか。
船越   自衛隊は、イランから撤退すべきだとは思いませんか?
祐子   さあ‥‥。
磯部   ご主人と最後にお話しされたのはいつですか?
祐子   たしか‥‥一週間前だったと思います。
磯部   それは、電話ですか?
祐子   はい。
船越   憲法が改正され、自衛隊がPKF活動に加わったことで今回の事件が起こったわけですが、そのことについては?
祐子   はあ‥‥そういう難しい話は‥‥。
磯部   その最後の電話で、どのようなお話しをされたんですか?
祐子   えーっと‥‥インフルエンザに気をつけるように、と。
磯部   それは、奥さんが妊娠されているからですか?
祐子   はあ‥‥そういうこともあったかもしれません。
船越   今後、第二、第三の犠牲者が出ることも予想されますが?
祐子   そういうことが起こらないことを祈っています。
船越   そのためには、政策の転換が必要ですが、政府に対して何か一言。
祐子   え‥‥そんなことを言われても‥‥。
磯部   国民の皆さんに何かおっしゃいたいことは?
船越   日本国民にあなたが訴えたいことは?

      吉田が現れる。

吉田   貴様ら!

      全員、吉田を見る。

吉田   ‥‥。もう‥‥いいかげんにして下さい。

      しばしの沈黙。
      船越、磯部去る。
      吉田が、祐子に歩み寄る。

祐子   吉田さん‥‥。
吉田   奥さん‥‥。このたびは‥‥誠にご愁傷様です。
祐子   (黙って会釈)
吉田   定岡君には、本当に申し訳ないことをしました。
祐子   そんなことは‥‥。
吉田   本当は‥‥本当は、自分が死ぬべきだったのです。
祐子   え?
吉田   定岡のトラックには、初めは自分が乗車することになっていました。それが出発の直前に変更になって‥‥。
祐子   ‥‥そうだったんですか。
吉田   だから、自爆テロで死ななければいけなかったのは、定岡ではなく、自分だったんです。あのトラックに自分が乗ってさえいれば‥‥。本当にどうもすみませんでした。
祐子   そんな‥‥別にあなたのせいでは‥‥。
吉田   定岡は、子供が生まれるのを本当に楽しみにしていました。奥さんの写真をいつもポケットに入れていました。そんな定岡が死んで、独り身の自分が生き残ってしまって‥‥。
祐子   ‥‥‥。
吉田   自分が死んでさえいれば‥‥。
祐子   そんな‥‥。
吉田   本当に申し訳ありません。
祐子   ‥‥吉田さん。お願いですから、お顔を上げて下さい。
吉田   ‥‥‥。
祐子   吉田さん。どうか、そんな風に自分を責めないで下さい。主人もそんなことを望んではいないと思いますよ。
吉田   しかし‥‥。
祐子   それに‥‥死んでいい人間なんて、いませんよ。‥‥あなたにも、ご両親や兄弟がいらっしゃるでしょう?
吉田   ‥‥‥。
祐子   そうなんです。死んでいい人間なんていないんです。たとえ、自衛官でも軍人でも。
吉田   ‥‥‥。
祐子   だから‥‥だから、あなたも命を大切にして下さい。
吉田   ‥‥‥。
祐子   約束してくれますね?
吉田   はっ!(敬礼)

      二人、去る。


      船越と磯部が歩いて来る。

磯部   それでさあ、何がしたいわけなんですか?
船越   何がって?
磯部   船越さんのコンセプト。
船越   コンセプト?
磯部   見えないんだよね。ぜーんぜん。
船越   どう見えないのよ?
磯部   どういう切り口でやりたいのかって。
船越   そんなの、はっきりしてんじゃん。
磯部   へぇ、そうなんだ。
船越   真実を暴くのよ。
磯部   真実?
船越   イラン戦争の真実。自衛隊の真実。
磯部   え‥‥。それ、マジ?
船越   冗談言ってどうすんのよ?
磯部   アハハハハハ‥‥。
船越   な、何がおかしいのよ!
磯部   だって、そんなの、イマドキ、大学のマスコミ研究会だって言わないよ。
船越   ‥‥だったら、それがおかしいのよ。
磯部   へぇー‥‥真実ねぇ。
船越   真実を書かなくて、何を書くのよ。私達ライターでしょ?
磯部   しがなーい、フリーのね。
船越   茶化さないでよ。
磯部   茶化してませんよ。それこそが、真実ですよ。我々のシビアーな真実。
船越   その言い方が茶化してんのよ。もう、頭来るなあ。
磯部   あのね、船越さん。先輩にこんなこと言っちゃ何だけど‥‥。
船越   何よ?
磯部   僕らは、大新聞の記者でもなけりゃ、大出版社のジャーナリストでもないんですよ。
船越   そんなこと、わかってるわよ。
磯部   わかってないんだなー、これが。‥‥じゃあさ、僕らの書く文章って何ですか?
船越   何って‥‥雑誌の記事じゃない?
磯部   ブー! はずれ。
船越   じゃあ、何よ?
磯部   商品ですよ、商品。出版社の編集部に買ってもらうためのね。
船越   そりゃ、そういう言い方もできるかもしれないけど‥‥。
磯部   売れなきゃ、ただの紙くず。ポイッ。
船越   ‥‥‥。だったら、どうなのよ?
磯部   商売にはお客さんのニーズってのがあるっしょ?
船越   そりゃ、そうよ。
磯部   だったら、ニーズにかなう商品を作らなきゃ。
船越   ‥‥要するに、磯部君は、戦争の真実は、商品にならないって言いたいわけ?
磯部   まあ、ならんでしょうなあ。少なくともここ数年はね。
船越   でも、ロバート・キャパは、ベトナムの真実を報道して売れたじゃない?
磯部   ほう、キャパと来ましたか。‥‥でもね、それは、それがその時代のニーズだったんだよねぇ。
船越   それは‥‥。
磯部   それにね、あの人、けっこう売り込み上手な人だったらしいですよ。
船越   ‥‥‥。
磯部   それとも、船越さん、いっそのこと、反戦デモでもしてみたらどうですか? イラン戦争はんたーい! アメリカ帝国主義は出て行けー、ってね。
船越   もう、茶化さないでって言ってるでしょ!
磯部   ハハハハ‥‥。いや、マジで似合うんじゃない? 船越さん、女闘士って。
船越   もう、馬鹿にして! 行くわよ。

      船越、早足で去る。

磯部   ちょっと‥‥そんなマジで怒んなくてもいいじゃない。

      磯部、追いかけて去る。


      前年の春。
      公園のベンチ。
      定岡と亜紀が座っている。
      二人とも缶コーヒーを持っている。

定岡   わっ、失敗したな。(缶コーヒーを見る)
亜紀   だから、言ったでしょ?
定岡   だって、まだちょっと寒いかなって思ったし‥‥。
亜紀   春の日なたの紫外線は、夏より強いのよ。
定岡   紫外線は関係ないだろ?
亜紀   女の子には天敵なのよ。(缶コーヒーを飲む)
定岡   何だよ、それ。(缶コーヒーを飲む)あちっ‥‥。
亜紀   ハハハハ‥‥。バッカねぇ。(缶コーヒーを飲む)
定岡   くそっ‥‥。(缶コーヒーを飲む)

      鳥の声。

定岡   ‥‥亜紀ももう四回かあ。
亜紀   え‥‥何?
定岡   いや‥‥早いなあって。
亜紀   ああ‥‥そうだね。
定岡   こないだまでは高校生だったのになあ‥‥。
亜紀   フフフ‥‥。
定岡   何だよ?
亜紀   だって、おじさんみたいじゃん。そんな言い方。
定岡   そっか?
亜紀   そうよ。
定岡   オレも、トシとったしなあ。
亜紀   何言ってんのよ。まだまだ若いじゃん。
定岡   (缶コーヒーを飲む)
亜紀   ‥‥結婚したから?
定岡   それも‥‥あるかな?
亜紀   子供ができるまでは大丈夫。
定岡   何?
亜紀   まだまだ遊び盛りだって。
定岡   ‥‥子供ができたら、遊んでくれないの?
亜紀   どっしよーかなあ‥‥。(缶コーヒーを飲む)
定岡   ‥‥冷たいなあ。
亜紀   冷たいよ。‥‥あたしのコーヒーは。
定岡   うっせーんだよ。(缶コーヒーを飲む)あちっ。
亜紀   アハハハ‥‥。
定岡   就職活動は、やってんの?
亜紀   そりゃ、やってるよ。‥‥やってるけどねぇ。
定岡   ‥‥不況だからなあ。
亜紀   うん。‥‥なかなかねぇ。
定岡   あ、そうだ。
亜紀   え?
定岡   亜紀もさ、自衛隊に入れよ。
亜紀   え? 何、それ?
定岡   不況の時はさ、やっぱ公務員だぜ。
亜紀   ああ‥‥そういえば、自衛隊も公務員よねぇ。
定岡   だろ?
亜紀   卓ちゃんも、それで自衛隊に入ったの?
定岡   まあ、それだけじゃないけど。‥‥いろいろ資格も取れるしさ。
亜紀   でも、自衛隊も、けっこう難しいんじゃないの?
定岡   そんなこたないよ。オレみたいな三流大でも入れたんだから。‥‥ほら、憲法が変わったから、大幅増員してんだよ。
亜紀   クリアランス・セール?
定岡   ハハハ‥‥。まあ、そんなとこかな。ただ今、大売り出し中。
亜紀   そっかあ‥‥。
定岡   な、いいだろ? 自衛隊。
亜紀   でも、イランとかイラクとか行かなきゃなんないじゃん。
定岡   大丈夫。女の子は内地勤務だからさ。
亜紀   ふーん。
定岡   だろ?
亜紀   ‥‥卓ちゃんは、行かないの?
定岡   え?
亜紀   その‥‥イランとかイラクとか。
定岡   うーん‥‥ま、当分ないんじゃない?
亜紀   どうして?
定岡   PKF部隊ってさ、地方の部隊が中心なんだよね。北海道とか、九州とか。
亜紀   ふーん、そうなんだ。
定岡   うん。
亜紀   それでも、もし行けって言われたら?
定岡   そりゃ、行かなきゃなんないだろうけど‥‥。命令だからさ。
亜紀   それって、恐くない?
定岡   うーん、どうかなあ? それほど心配しなくていいんじゃない? 日本は、だいたい後方支援だしさ。危ないとこは、アメリカ軍が行くんだし。
亜紀   へえ、そうなんだ。
定岡   それにさ、知ってる? 自衛隊って、今まで戦死した人間はいないんだぜ。
亜紀   え、マジで?
定岡   マジ、マジ。一人もいないんだよ。訓練とかの事故で死んだ奴はいるけどさ。
亜紀   へえ‥‥何だか不思議だね。軍隊なのにさ。
定岡   そう言えば、そうだよな。
亜紀   ふーん、そうなんだ。
定岡   だからさ。
亜紀   だから‥‥何?
定岡   亜紀も自衛隊に入れよ。
亜紀   ああ‥‥また、その話?
定岡   何だよ。冗談って思ってたの? 失礼な奴だなあ。
亜紀   ごめーん。
定岡   ほんと、お薦めだよ。公務員だから、安定してるし。
亜紀   ‥‥安全だし。
定岡   ‥‥まあね。
亜紀   それに、不倫もできるしね。
定岡   こら! それは余計なの!
亜紀   アハハハ‥‥。

      二人、去る。


      前年の夏。
      ソープランドの個室。
      吉田とりんご(ソープ嬢)が座っている。
      二人ともガウン姿。

      りんごが、吉田にタバコをすすめる。

りんご  どうぞ。
吉田   いや、自分、いや僕は吸わないから。
りんご  そうなの。‥‥あたし、吸ってもいいですか?
吉田   どうぞ。
りんご  それじゃ、失礼しまーす。

      りんご、タバコに火をつける。

りんご  この頃の若い人って、タバコ吸わへん人多いですよねぇ。
吉田   え? ああ、そうかな。
りんご  公民館とか、どこでも禁煙になってるし。
吉田   ああ‥‥そうだね。
りんご  タバコ吸いは肩身が狭いわ。
吉田   ‥‥‥。
りんご  お客さん、今日はお休み?
吉田   え? ええ、まあ。
りんご  ええなあ。あたし、この頃休みないんですよ。
吉田   ああ‥‥そうなの。
りんご  うん。‥‥まあ、こういう仕事してると、休みでも海にも行けへんけどねぇ。ほら、日焼けしてるとまずいでしょ?
吉田   ‥‥‥。
りんご  お客さん、おしゃべりは嫌いですか?
吉田   いや‥‥別に。
りんご  あたし、おしゃべりやしねぇ。うっとしない?
吉田   ‥‥そんなことないですよ。
りんご  そう‥‥。よかった。
吉田   ‥‥‥。
りんご  お客さん、ソープは初めて?
吉田   え?
りんご  いや、別にいややったら答えんでもええですよ。
吉田   ‥‥いや‥‥ソープというか、こういうのは初めてなんです。
りんご  ああ、そうなんですか?
吉田   おかしいでしょ?
りんご  え? 何が?
吉田   こんなトシで童貞なんて。
りんご  そんなことないですよ。そういうお客さん、けっこういやはりますよ。
吉田   ほんとに?
りんご  ほんと、ほんと。
吉田   そっか。
りんご  そうそう。そんなん気にすることないって。
吉田   ありがとう。
りんご  フフ‥‥。
吉田   え?
りんご  いや、そんなんでお礼言われたことないから。
吉田   ああ‥‥それもそうだね。
りんご  お客さん、真面目やねぇ。‥‥もしかして、警察の人?
吉田   え‥‥違うよ。
りんご  そしたら‥‥自衛隊の人でしょ?
吉田   え‥‥どうしてわかるの?
りんご  当たり?
吉田   うん。‥‥でも、どうして?
りんご  だって、自分のことを「自分」って言わはったもん。
吉田   ああ‥‥。
りんご  そんなん言わはるのん、警察か自衛隊の人だけやもん。でしょ?
吉田   そう言えば、そうかな。(笑う)
りんご  ハハハ‥‥。
吉田   こういうとこ、警察の人でも来るの?
りんご  来やはりますよ。
吉田   まずくないの?
りんご  そら、自分で「警察だ」って言わらへんし。
吉田   じゃ、何でわかるの?
りんご  そら、何となく雰囲気で。‥‥お客さんかてわかったでしょ?
吉田   ああ、そうだね。‥‥そういうのって、だいたいわかるの?
りんご  うーん、どうかなあ? そんなに詳しく観察してるわけでもないしねぇ。それに、ほんまは、あんまりお客さんのこと詮索したらあかんことになってるし。
吉田   どうして?
りんご  そら、気ぃ悪いしちゃいますか? 知られたくない人も多いやろしね。こういうとこでは。
吉田   そりゃ、そうだ。
りんご  でしょ?
吉田   じゃあ、君のこともきいたらダメなのかな?
りんご  何ですか? あたしはあんまり気にしませんけど。
吉田   じゃ、どうして、りんごさんって言うの?
りんご  さあ? 何ででしょう?
吉田   え?
りんご  それでは質問です。‥‥あたしは何でりんごなんでしょ?
吉田   えーとね‥‥青森の出身?‥‥違うよな。
りんご  ブー。あたし、関西ですねん。
吉田   ほっぺたが‥‥赤くないよね。
りんご  わからへん?
吉田   うーん、降参。
りんご  それはね、椎名林檎のファンやから。
吉田   ‥‥しーなりんご?
りんご  えー、ウッソー。‥‥椎名林檎知らんの?
吉田   それ、人の名前?
りんご  めっちゃ有名なミュージシャンですよー。
吉田   ああ、そうなんだ。‥‥オレ、音楽聞かないから。
りんご  浜崎あゆみとかも聞かへんのですか?
吉田   ああ‥‥その人、名前は知ってる。
りんご  へぇ‥‥そうなんや。‥‥自衛隊の人って、みんなそうなんですか?
吉田   いや、そんなことないよ。オレがちょっと変わってるだけ。
りんご  ‥‥それじゃ、ヒマな時とか、何したはるんですか?
吉田   そうだな‥‥本、読んでるかな?
りんご  推理小説とか?
吉田   りんごさん、三島由紀夫って知ってる?
りんご  みしまゆきお?
吉田   めっちゃ有名な小説家だよ。「潮騒」とか知らない?
りんご  ああ、なんか聞いたような気がする。
吉田   オレ、実は、その三島由紀夫を読んで、自衛隊には入らないって決めてたんだ。
りんご  え? それ、どういうことですか?
吉田   三島由紀夫って人はね、ずっと昔、昭和四十五年にね、自衛隊の市ヶ谷の司令部で切腹して死んだんだ。
りんご  切腹って、ハラキリですか?
吉田   そう。‥‥それでね、切腹する前にね、その市ヶ谷のバルコニーで、自衛官に向かって演説したんだ。
りんご  へぇ。‥‥何て言わはったんですか?
吉田   日本国憲法は、第九条で戦争や武力を否定している。だから自衛隊の存在は完全な憲法違反だ。そうやって、自分たちを否定している憲法の下にある日本国を君たちは守ろうとしている。そこに矛盾を感じないのか、ってね。
りんご  ふーん。
吉田   それからね、ここが大事なところなんだけど、戦後の日本は、生命や財産を守ることばかりを考えてきた。しかし、人間には、生命や財産以上に守らねばならない大切なものがあるのだ。今、それを見せてやる、ってね。そう言って三島は切腹したんだ。
りんご  へぇ。
吉田   この話、りんごさんはどう思う?
りんご  ‥‥あたし、あほやから、そういう難しい話は‥‥。
吉田   オレは、三島先生の言う通りだと思う。人間には、命よりも大切なものがあるんだよ。
りんご  命より大切なもの? ‥‥何ですか?
吉田   うーん、ひとことでは言えないけど、例えば「魂」かな。
りんご  えー? 命と魂とは違うんですかあ?
吉田   ちょっと古くさい言い方で言えば、「大和魂」かな。
りんご  ヤマトダマシイ?
吉田   そう大和魂。‥‥敷島の大和心を人問わば朝日ににおう山桜花。
りんご  ‥‥何ですか? それ?
吉田   江戸時代の国学者で、本居宣長っていう人の作った歌。
りんご  へぇ。
吉田   そういう歴史や文化を守るためには、命さえも惜しんではならないってこと。
りんご  ‥‥なんか、難しいこと、よう知ってはりますねぇ。
吉田   だから、それを否定する自衛隊には入るまいって決めてたんだ。
りんご  え?
吉田   それが、憲法が改正されて、ようやく自衛隊が、あるべき正しい姿に変わろうとしている。自衛隊は、日陰者ではなくなったんだ。まだまだ意識は十分変わってはいないけれどね‥‥。だから、オレは自衛隊に入ることにした。その中に入って、少しでも「もののふ」の志を伝えようって思ってね。‥‥わかるかい?
りんご  ‥‥へへ。わからへん。すんません。
吉田   そうだよねぇ。わかんないよね。
りんご  はい。
吉田   ‥‥アハハハ。
りんご  え? どないしたんですか?
吉田   オレって馬鹿だよねぇ。‥‥こんなとこ来て、こんな話してさ。‥‥場違いもいいとこだよね。
りんご  そんなことないですよ。‥‥おもしろいですよ。‥‥あたしねぇ、熱い人って好きなんですよ。
吉田   へぇ、そうなの? ‥‥オレって熱いかな?
りんご  うん。熱い熱い。
吉田   そっか。
りんご  うん、そうですよ。
吉田   ‥‥‥。実を言うとね。
りんご  はい?
吉田   オレ、死ぬかもしれないんだ。
りんご  え! なんで?
吉田   ここだけの話だけど、来月、イランに行くことになったんだ。
りんご  イラン?
吉田   そう、イラン。
りんご  戦争ですか?
吉田   直接戦争ってことじゃないけど、テロとかもあるからさ。
りんご  へぇ、そうなんや。‥‥大変ですねぇ。
吉田   でさ、さっきも言ったけど、死ぬのは恐くない‥‥恐くないって言ったらウソになるかもしれないけど、覚悟はできてるつもりなんだ。でも‥‥。
りんご  でも?
吉田   でも‥‥ほら、女も知らないで死んでゆくってのはさ。
りんご  ああ‥‥。それで?
吉田   うん。
りんご  ほなら‥‥ほなら、あたしは、お国のために役立ってるちゅうことですか?
吉田   え?
りんご  そんなん聞いたら、なんかうれしなってきた。
吉田   ‥‥‥。
りんご  ほなら、がんばって、もう一戦やりましょか?
吉田   え‥‥。
りんご  ほら、元気出して! 上も下も!
吉田   ああ‥‥。
りんご  (立ち上がって)それでは、お客さんの武運長久を祈って!
吉田   え? ‥‥よくそんな言葉知ってるね?
りんご  兵隊さんを送る時はそう言うんやって、死んだおばあちゃんが言ってたんです。‥‥ほら、お客さんも立って!
吉田   ああ。(立ち上がる)
りんご  それでは、武運長久を祈って、がんばりましょう!(敬礼)
吉田   はい、がんばります!(敬礼)
二人   アハハハ‥‥。


      前年の夏。
      定岡の自宅。
      卓也と祐子がリビングに座っている。

定岡   ‥‥‥。
祐子   仕方ないじゃない。決まったんだから。
定岡   ‥‥そうだけど。
祐子   でしょ?
定岡   ‥‥まあな。
祐子   だから、
定岡   ‥‥だから?
祐子   ね、元気出そうよ。
定岡   ‥‥‥。んなの、出るかよ。
祐子   ‥‥‥。
定岡   ‥‥‥。
祐子   いつまで?
定岡   たぶん‥‥二月か三月かな。
祐子   ‥‥そう。
定岡   ああ‥‥まだ、よくわかんないけどな。
祐子   ‥‥半年なんて、すぐよ。
定岡   すぐじゃねぇよ。‥‥長いよ。
祐子   まあ‥‥そうだけど。
定岡   そうだよ。
祐子   ‥‥‥。
定岡   あーあ、どうしよーかなあ。
祐子   どうしようって?
定岡   やめちゃおか?
祐子   え?
定岡   自衛隊。
祐子   え?
定岡   だいたい、こんな話、聞いてなかったもんなー。契約違反じゃん。
祐子   それ、本気で言ってるの?
定岡   けっこう本気。
祐子   ‥‥やめてどうすんのよ?
定岡   そんなの、まだ考えてないよ。‥‥そうだな、トラックの運ちゃんでもすっかなあ‥‥俺、大型持ってるし。
祐子   ふざけないでよ。
定岡   ふざけてなんかいるかよ。
祐子   ‥‥ほら、会社なんかでも単身赴任とかあるじゃない? それも、半年どころか、二年も三年も。それと比べたら‥‥。
定岡   そんなのと一緒にすんなよ。
祐子   だから、例えばよ、例えば。
定岡   単身赴任でイラン行くか? 砂漠なんだぜ。パチンコもできねぇんだよ。仕事の帰りに一杯ひっかけたり、きれいな姉ちゃんにお酌してもらえるわけじゃねぇんだよ。それに、相手は銃や爆弾持ってんだぜ。あいつらにとっちゃ、俺たちは敵なんだよ。へたすりゃ死ぬかもしれないんだぜ。そんなとこ、単身赴任で行くかよ!
祐子   ‥‥だから‥‥だって‥‥。
定岡   ‥‥‥。
祐子   ‥‥だって、卓也の気持ちが、少しでも楽になれたらって‥‥そう思って‥‥。
定岡   ‥‥‥。
祐子   ‥‥大丈夫よ。
定岡   ‥‥‥。
祐子   きっと大丈夫よ。そんなに心配することないわよ。‥‥イラクにだって、イランにだって、今まで一杯行ってるけど、みんな大丈夫だったじゃない?
定岡   ‥‥‥。
祐子   それに、ほら、卓也言ってたじゃない? 自衛隊で死んだ奴はいないって。ね?
定岡   ‥‥‥。
祐子   そうなんでしょ?
定岡   ‥‥ああ。
祐子   だからさ。
定岡   だから、何?
祐子   元気出してよ。
定岡   ‥‥でもなあ。
祐子   大丈夫だって。半年なんて、あっという間に終わるって。
定岡   ‥‥お前、なんだかうれしそうだな。
祐子   え?
定岡   俺に、そんなにイランに行かせたいのかよ?
祐子   別に、そういうんじゃないけど‥‥。
定岡   だって‥‥。
祐子   だって、今更、行かないなんて言えないでしょ? 実際の話。‥‥もう、すぐなんだからさ。
定岡   お国のためにがんばれってか?
祐子   え?
定岡   ハハハ。お前、まるで吉田みたいだな。
祐子   え? 吉田さん?
定岡   ああいうの、右翼っていうの? ちょっとついていけないとこがあるんだよな。
祐子   吉田さんとケンカしたの?
定岡   いや、そうじゃないけどな‥‥あんなに張り切られたら、ちょっとしらける。
祐子   そうなの?
定岡   だって、そうだろ? 自分一人で正義の味方みたいじゃん。‥‥人にはね、それぞれ事情ってもんがあんだよ。みんながみんな、お国のために自衛隊に入ってる訳じゃねぇんだからさ。
祐子   吉田さんのことは、もういいじゃない。ね。
定岡   ‥‥ああ。
祐子   ‥‥あのさ。
定岡   何だよ?
祐子   ‥‥前から思ってたんだけど。
定岡   だから、何だよ?
祐子   子供作らない?
定岡   え?
祐子   そろそろ、赤ちゃんがいてもいいかなあって。
定岡   唐突に何言い出すんだよ。
祐子   だから、唐突じゃないのよ。
定岡   だからって、よりによってこんな時に‥‥。
祐子   こんな時だから、言ってるのよ。
定岡   え? 何だよ、それ。
祐子   今子供作ったらさ、生まれるの、来年の夏前でしょ?
定岡   ああ、そうなるかな。
祐子   そうなのよ。‥‥そしたら、卓也もイランから帰って来てるじゃない?
定岡   ああ‥‥。
祐子   帰ってきたら、あなたパパなのよ。
定岡   ああ‥‥。
祐子   そう思ったら、卓也だってがんばれるんじゃない? そしたら、半年なんてあっという間よ。
定岡   祐子‥‥。お前‥‥。
祐子   ね、グッドアイデアだと思わない?
定岡   それは‥‥そうだな。
祐子   ね! そうしましょうよ。そうしましょ!
定岡   ああ‥‥。
祐子   よし! それじゃ決まりね!
定岡   ‥‥‥。

      祐子、卓也に抱きつく。


      喫茶店のような場所。
      磯部と祐子が座っている。

磯部   それで、とりあえずありきたりな質問なんですが、
祐子   はあ。
磯部   ご主人とのなれそめと言いますか、どういうきっかけで?
祐子   あの‥‥そんなことが必要なんですか?
磯部   いや、まあ、全てを記事にするというわけではないんです。ですが、私たちとしては、できるだけ、正確な情報が欲しいんですよ。参考としてですね。
祐子   はあ。
磯部   いや、プライバシーの方はきちんと配慮しますから、ご安心下さい。
祐子   はあ。
磯部   それで、初めて出会われたのは?
祐子   ‥‥友達の知り合いだったんです。
磯部   友達と言いますと?
祐子   学生時代の友人です。
磯部   ああ‥‥それじゃ、ご主人は、友達の友達だったということですね?
祐子   はあ、まあ、そうです。
磯部   それで、出会われたのは、コンパとか、旅行とか?
祐子   はあ、まあ、そんな感じです。
磯部   それは、いつ頃ですか?
祐子   三年‥‥か、四年前ぐらいだったと思います。
磯部   そうですか。‥‥それで、その時のご主人の印象は?
祐子   はあ。
磯部   かっこよかったとか、男らしかったとか‥‥。
祐子   すみません。あまり、よく覚えてないんです。
磯部   少しも?
祐子   はあ‥‥楽しそうな人かなって。そのぐらいです。
磯部   それじゃ、その時には、まだ意識はしてなかったんですね。お互いに。
祐子   ‥‥そうだと思います。
磯部   アプローチというか、声をかけたのはどちらですか?
祐子   主人です。
磯部   それは、電話で? それとも直接に?
祐子   メールです。
磯部   どんなメールですか?
祐子   二人で遊びに行こうって。
磯部   ほう‥‥それで、どこに行ったんですか?
祐子   ディズニー・シーです。
磯部   そうですか。‥‥それで、その時、ご主人はもう自衛隊におられたんですよね。
祐子   確か、入ってすぐだったと思います。
磯部   それまでは?
祐子   アルバイトとかしていたそうです。
磯部   フリーターですか?
祐子   まあ、そんな感じだと思います。
磯部   どうしてご主人は自衛隊に入られたんですかね?
祐子   それは‥‥詳しくは知りません。
磯部   聞いてはいらっしゃらないんですか?
祐子   はあ‥‥あんまり話さないんです。仕事については。
磯部   そうですか。‥‥じゃ、ちょっと話を変えて‥‥自衛官とつき合うっていうことについては、奥さんはどう思われました?
祐子   はあ‥‥特に意識したことはありません。
磯部   それは、普通の公務員とおんなじ、ということですか?
祐子   はあ‥‥まあ、そうですね。
磯部   でも、自衛官は、普通の公務員とは違いますよね?
祐子   それは‥‥そうですが‥‥。
磯部   PKO部隊とか、今はPKFですが、そういうのに参加する可能性っていうのは、ご存じだったでしょう?
祐子   はあ‥‥まあ‥‥一応。
磯部   心配じゃなかったですか?
祐子   はあ‥‥。
磯部   あんまり切実な感じはしなかった、と?
祐子   まあ‥‥そうですね。
磯部   でも、結婚なさるとなると、その辺のことは‥‥。
祐子   ‥‥一応は考えましたけど‥‥仕事ですから。
磯部   ご両親とかは?
祐子   ‥‥私のですか?
磯部   そうです。
祐子   特に何も言わなかったと思います。
磯部   そうですか。‥‥それじゃ、また話は変わりますが、お腹のお子さんのことについて伺ってもいいですか?
祐子   あのぅ‥‥。
磯部   え?
祐子   失礼ですが、そんなことを聞いて何になるんでしょうか?主人とのなれそめとか、子供のこととか‥‥。
磯部   あの‥‥おっしゃってることがよくわからないんですけど。
祐子   ですから、私たちは芸能人ではないんですから‥‥。それに、そんなことが今度の事件に何か関係があるんですか?
磯部   はあ‥‥なるほどね。
祐子   ‥‥‥。
磯部   大いにあるんですよ。
祐子   はあ?
磯部   奥さんも、テレビとか新聞とか雑誌とか、ご覧になるでしょう?
祐子   はあ‥‥でも、事件以来はあまり見ないようにしています。‥‥つらくなりますから。
磯部   ああ、そうなんですか。‥‥それじゃお教えしますが、ニュースでもワイドショーでも、ここんところ、今回の事件で持ちきりですよ。どこでもトップ扱いです。
祐子   はあ‥‥そうなんですか。
磯部   そうなんです。ですから、今、国民の関心はご主人に集まってるんです。定岡陸曹は、いわば時の人なんです。
祐子   時の人‥‥。
磯部   そう、時の人です。ですから、国民みんなが知りたがっているんです。定岡陸曹の人柄から生い立ち、考え方から言葉の一つ一つに至るまで、全てを知りたがっているんです。
祐子   はあ‥‥。
磯部   不謹慎な言い方になるかもしれませんが、ご主人はスターなんですよ。日本国民一億二千万人の英雄なんです。その人のことを知りたがることは当然だと思うんですがね。
祐子   ‥‥‥。
磯部   ですから、私たちも、今回の取材については、使命感を持って臨んでいるんです。国民の期待に応える‥‥それが、私たちの責務だと思っているんです。
祐子   はあ‥‥。
磯部   ですから、どうかご協力をお願いします。定岡陸曹の一番身近にいて、一番よくご存じなのは奥さんなんですから‥‥。
祐子   ‥‥‥。
磯部   そこのところはご理解いただけますよね。‥‥いろいろとおつらいでしょうが、よろしくお願いします。(頭を下げる)
祐子   ‥‥‥。


      前年の夏。
      定岡と吉田が話をしている。

定岡   お前は、いいよな。
吉田   何が?
定岡   準備が簡単で。‥‥一人だから。
吉田   ああ。‥‥でも、そんなに変わらんだろう? 旅行じゃないんだから。
定岡   それは、そうなんだけどさ、女房がいろいろうるさくってさ。‥‥あれ持ってけとか、これ持ってけとか。
吉田   ふーん。そうか。
定岡   ああ。
吉田   でも、私物は限られてるし、そんなに持って行けないだろ?
定岡   俺も、そう言ってんだけど、そこが女なんだよな。
吉田   何が?
定岡   持ってける物が少ないと、余計にえり好みをしたがるんだよ。あーでもない、こーでもないって。
吉田   ふーん。そんなものかな?
定岡   そんなもんなんだよ。
吉田   そうか。
定岡   ああ。‥‥俺としたら、うまい酒さえあればいいんだけどなあ。荷物はリュック一杯のウイスキーだけ。
吉田   酒はダメだよ。イスラム圏だから。
定岡   そんなのわかってるよ。‥‥あーあ、半年もアルコールさんとお別れかあ‥‥切ないねぇ。
吉田   ‥‥‥。
定岡   ‥‥イスラム圏って言ってもさ、どうせ日本人だけのキャンプなんだろ? 隠れて飲んだらわかんないじゃん。
吉田   それは、まずいよ。やっぱり。
定岡   そりゃ、お前はいいよな。酒もタバコも女もやらないんだし。
吉田   ‥‥‥。
定岡   そうだよ。酒だけじゃなくて、お姉ちゃんともお別れなんだよなあ。‥‥せめてどっちかにしてほしいぜ。半年もそんな生活してたら、坊主になっちまう。
吉田   ‥‥‥。
定岡   そーいや、第二次大戦の時とか、従軍慰安婦ってあったじゃん? せめて、あーゆーの作ってくれないのかねぇ。
吉田   定岡!
定岡   冗談だよ、冗談。‥‥ほんと、この人はお固いんだから。
吉田   ‥‥‥。
定岡   ‥‥お前、女に関心ってないのか?
吉田   ‥‥‥。
定岡   性欲もなかったりして。
吉田   定岡! ‥‥性欲ぐらい‥‥あるよ。
定岡   ほう。‥‥あるんだ。
吉田   ‥‥俺だって人間だ。
定岡   いや、それは意外だったなあ。‥‥俺はてっきり、お前はあっちの方の人かと思ってたんだけど‥‥。ほら、お前の好きな三島なんとかという作家も、ゲイだったんだろ?
吉田   三島由紀夫の悪口は言うな。
定岡   いや、すまん。すまん。
吉田   ‥‥‥。
定岡   ‥‥‥。
吉田   ‥‥定岡。
定岡   ん?
吉田   もう、来週出発なんだからさ‥‥。
定岡   ああ。
吉田   そろそろ腹くくれよ。
定岡   腹?
吉田   こんなことを言うと、またお固いって言うかもしれないけど、俺たちは旅行に行くんじゃないんだよ。
定岡   ‥‥‥。
吉田   あっちでは、俺たちは日本の代表なんだ。‥‥イランの人間にとっては、俺たちが日本人なんだ。‥‥オリンピックの選手とおんなじなんだよ。日の丸を背負ってるんだよ。‥‥その自覚が必要だと思う。
定岡   ‥‥‥。
吉田   不安ではしゃぎたい気持ちもわからんでもないが‥‥俺だって不安がないわけじゃない。でも、その不安を、緊張とモチベーションに変えなくてはならないんじゃないか?
定岡   ‥‥フフフ。
吉田   ?
定岡   ‥‥お前は、ほんとに優等生だな。お前の答えはいつだって完璧な模範解答だ。‥‥そういうお前が別に嫌いじゃないけどな。時々、ついていけなくなる。
吉田   ‥‥‥。
定岡   俺は、いつだって落ちこぼれだからな。子供の頃からずーっとそうだった。‥‥自衛隊だって、お前のような立派な動機があって入ったんじゃない。‥‥ここでもやっぱり落ちこぼれだ。
吉田   ‥‥‥。
定岡   そういう星の下に生まれたってことだよな。‥‥お前みたいなエリートがいて、俺みたいな落ちこぼれがいる。
吉田   俺は、エリートなんかじゃないさ。‥‥そんなのになりたいとも思わない。
定岡   ま、どっちでもいいんだけどさ。
吉田   ‥‥‥。
定岡   ‥‥スターになりたかったんだよ。
吉田   え?
定岡   アイドル歌手とか俳優に猛烈にあこがれてたんだよ。東京ドームとかでさ、スポットライトをあびて、何万人ものファンに囲まれて‥‥一度でいいから、そういうスターになりたかった。
吉田   ‥‥‥。
定岡   でもさ、人間、トシ取ると、どんどん自分の限界ばっかり見えてくる。‥‥子供の頃は、何でもできそうな気がしてたんだけどなあ‥‥。あーあ、できればあの頃に戻りたいよ。
吉田   ‥‥それは、わかるよ。
定岡   ひょっとしたら英雄になれるかもしれないって思ったのかな? 俺って往生際が悪いから。
吉田   え?
定岡   自衛隊。‥‥入る時は何にも考えてなかったけど、そんなすけべ心があったのかもしれないな。
吉田   ‥‥すけべ心でもいいじゃない?
定岡   え?
吉田   英雄になれよ。今からでも遅くない。
定岡   無理だよ。
吉田   無理じゃない。
定岡   どうやって?
吉田   国のために。‥‥国が嫌だったら、女房のためでも、親のためでも、ふるさとのためでも何でもいいよ。命がけで、俺たちが守るんだよ。誰も見ていなくたっていいじゃない? 誰もほめてくれなくたっていいんだよ。その思いこそが英雄の志なんだ。その瞬間、瞬間に、俺たちは英雄なんだよ。
定岡   ‥‥フフフ。
吉田   何だよ?
定岡   お前は、やっぱり模範解答だな。
吉田   ‥‥そうか?
定岡   そうだよ。

      二人、顔を見合わせて笑う。
      しばしの間。

定岡   ‥‥あっちは、暑いのかな?
吉田   そうだな。
定岡   冬は寒いのかな?
吉田   そうだろ。
定岡   雪は‥‥降るのかな?
吉田   テヘランでは、年に何度か降るらしい。‥‥でも、俺たちが行くのは乾燥地帯だからな。
定岡   そいつは弱ったな。俺は、暑いのも寒いのも苦手だからな。
吉田   そうか。
定岡   ああ‥‥友達連中から「変温動物」って呼ばれてた。
吉田   変温動物?
定岡   夏はクーラーに入り浸り。冬はコタツで丸くなる。
吉田   ‥‥よくそんなので自衛隊に入ったな。
定岡   だから言ってるだろう? 落ちこぼれだって。
吉田   ああ。
定岡   それじゃ、ババシャツを買っとかなきゃな。
吉田   ババシャツ?
定岡   オバサンが冬に服の下に着てるやつ。
吉田   ああ‥‥。でも、男がババシャツって変だろ?
定岡   そんなら、ジジシャツでもいいや。とにかく、急いで用意しないと。
吉田   でも、そんなの今の季節に売ってるか?
定岡   ああ、そうだよな。‥‥でも、通販ならあるんじゃないかな。祐子に調べさせよう。
吉田   ああ、そうだな。
定岡   よし、それじゃ、善は急げだ。

      定岡、携帯電話を取り出す。

吉田   そんなのが善なのか?
定岡   うるさい。優等生はだまってろ。‥‥ああ、もしもし祐子? 俺だけど、あのさ、ちょっと調べてもらいたいもんがあるだけどさ‥‥。

      定岡、電話をかけている。
      吉田は黙って見ている。


      喫茶店のような場所。
      船越と祐子が座っている。

船越   率直に伺いますが、
祐子   はあ。
船越   日本政府に対して、どのようにお思いですか?
祐子   はあ?
船越   今回の事件について、正直なお気持ちをお聞かせいただきたいのですが‥‥。
祐子   ‥‥そんなことを、いきなり言われても。
船越   自衛官の遺族という立場で、おっしゃりにくいことはわかります。そのあたりのことは、ご迷惑のかからないように十分に配慮しますので。
祐子   はあ‥‥。
船越   今回の派遣は、憲法改正以来、初めてのPKF部隊としての派遣だったわけですが、それ故に、以前のPKO派遣と比べても、一層危険性が増すことは、事前にわかっていたはずなんですが。
祐子   あの‥‥そのあたりの詳しいことは、私、よく知りませんので。
船越   ‥‥PKOとPKFの違いですか?
祐子   はあ‥‥。
船越   PKOというのは、ピース・キーピング・オペレーション、一般には、国連平和維持活動と訳しています。それに対して、PKFというのは、ピース・キーピング・フォース、すなわち、平和維持軍です。この「オペレーション」と「フォース」は、たった一語の違いですが、この違いは大きな違いです。「フォース」とは、すなわち、軍隊です。ですから、PKOに比べて、より積極的な武力行使を前提としているのです。そこは、おわかりですか?
祐子   はあ‥‥なんとなく。
船越   武力行使をするということは、それだけ、相手に敵視されやすいということになります。つまり、それだけリスクも大きくなるんですよね。
祐子   はあ‥‥。
船越   もし、自衛隊がこのPKF活動をしていなければ、今回の事件も起こらなかったかもしれないんです。
祐子   はあ‥‥。
船越   ‥‥‥。ご主人は、今回のイラン派遣について、任務の危険性は、どれぐらい認識しておられたんでしょうか?
祐子   それは‥‥ある程度は、わかっていたと思います。
船越   戦死の危険性も?
祐子   さあ‥‥そこまでは、どうか。
船越   ご主人から、電話の連絡はあったんですよね?
祐子   はい。
船越   最後の連絡は、一週間前と伺っていますが、その時、ご主人の様子はどうでしたか?
祐子   様子‥‥と言いますと?
船越   切迫感とか、危機感みたいなものは感じられたでしょうか?
祐子   いや‥‥特に、そんなことは。
船越   よろしければ、電話の内容を教えていただけませんか?
祐子   はあ‥‥特にお話しするような内容ではありませんけど‥‥。近況の報告とか、お天気の話とか、それから、お腹の子供の話とか‥‥。
船越   戦況の話とかは?
祐子   いえ、そういう話は特に。
船越   ‥‥そうですか。‥‥それでは、今回の事件は、奥さんにとっても、ご本人にとっても、まさに晴天の霹靂ということだったんですね。
祐子   はあ‥‥まあ‥‥そういうことになると思います。
船越   ところで、奥さんは、憲法改正の国民投票には行かれましたよね。
祐子   ‥‥‥。はあ‥‥行きました。
船越   それで、やはり、賛成投票をなさった?
祐子   ‥‥‥。
船越   いや、失礼しました。それはプライバシーの問題ですよね。
祐子   ‥‥‥。
船越   突然こんなことを伺ってご不審に思われるかもしれませんが、私の言いたいのは、こういうことなんです。‥‥先程、PKOとPKFの話をしましたが、奥さんは、その違いをよくおわかりではなかった。いや、これは奥さんだけではないんです。国民の多くも、この違いはわかっていないと思います。というより、憲法改正の意味自体が、どれほど周知されていたか、かなり疑問ではないかと思うんです。いったい何が変わって、それがどういう意味を持つのかを。
祐子   ‥‥‥。
船越   そういう中で、今回の事件が起こったわけです。私たちに言わせれば、起こるべくして起こったという側面もあるのではないかと思うのです。‥‥しかし、さっきからお話を伺っていると、それを当の派遣された自衛官自身、つまりご主人ですね、その人自身が、はっきりと認識していたかどうかも疑わしい。そう思いませんか?
祐子   ‥‥‥。あの。
船越   はい、何でしょう?
祐子   要するに、何がおっしゃりたいのですか?
船越   ああ‥‥。それでは、率直に伺いますが、今回の事件は、だまし撃ちだと思いませんか? 日本政府の、ご主人への。そして、奥さんへの。そして、自衛官や国民全体への。
祐子   あの‥‥そういう政治の話は‥‥。
船越   いや、難しい話じゃないんです。政府は、憲法改正の意味を、国民によくわからせないままに、グローバル化や国際貢献やテロとの戦いといった美名やあいまいなイメージによって実現してしまった。そして、その結果が、今回の事件だ、ということなんです。
祐子   だから‥‥おっしゃりたいことがよくわからないんですが。
船越   そして、あまつさえ、今回の事件を政治的に利用しようとしています。ご主人の死を「英霊」とたたえた首相の言葉が、そのいい例です。ご主人の死を、名誉の戦死として美化し、イランのPKFにお墨付きを与えようとしているのです。
祐子   だから‥‥。
船越   今回の事件によって、自衛隊は、国軍としての地位を手に入れようとしているのです。一人の犠牲によって、治安維持軍としての国際的な立場を確保しようとしているのです。それをどう思われますか?
祐子   どう思われる‥‥と言われても‥‥。
船越   あなたのご主人の死を踏み台にして、自衛隊は、初めて日本軍となったのですよ。
祐子   ‥‥‥。
船越   あなたは、自衛官の妻から、軍人の妻となったのですよ。おわかりですか?
祐子   ‥‥‥。わかりません。
船越   ‥‥‥。


      三月。
      吉田とりんごがデートしている。

りんご  あ。(木の枝を見る)
吉田   え?
りんご  つぼみ(枝を指さす)‥‥もう、赤くなってる。
吉田   ああ。
りんご  もうすぐやね。咲くの。
吉田   ‥‥そうだね。
りんご  やっぱし、春が来るんやねぇ。
吉田   ‥‥‥。
りんご  いっつも、冬になるとね、もう、このままずーっと冬のままちゃうかと思うんですよ。雪が降ったりすると、もう、このまま融けへんのちゃうかと思ったりして。それで氷河時代みたいになるんとちゃうかって。‥‥吉田さんも、そんなん思ったりしはらへん?
吉田   え? ‥‥ああ、そうねぇ。
りんご  あ、あたしのこと、あほやと思たはるでしょ?
吉田   そんなことないよ。
りんご  いや、そう思たはる。
吉田   ‥‥どうして?
りんご  そーゆー顔しやはったもん。
吉田   してないよ。
りんご  うそ。
吉田   ほんと。
りんご  ほんまに?
吉田   ほんとにほんと。
りんご  ‥‥ほなら、何でそんな顔しやはるの?
吉田   え? どういう顔?
りんご  ちょっと、難しそうな顔。
吉田   ‥‥そんなのしてたかな?
りんご  してた。
吉田   うーん‥‥ちょっと考え事してたからかな?
りんご  何考えてたん?
吉田   うん、ちょっとね。
りんご  ちょっとて、何?
吉田   だから、ちょっと。‥‥たいしたことないよ。
りんご  えー、秘密やの?
吉田   いや、別に秘密じゃないけど‥‥ほら、イランも、もう春なのかなあってね。
りんご  ああ、イランね。
吉田   夏から冬に行ってたから、春は知らないんだよ。イランの春はどんなのかなあってね。
りんご  ふーん、そっかあ。
吉田   うん。

      しばしの間。

りんご  ‥‥ほんまに、秘密ですからね。
吉田   え? 何?
りんご  もう! そやから、さっきも言うたでしょ! お客さんと個人的に会うのは禁止なんですってば!
吉田   ああ‥‥それはわかってるよ。
りんご  ほんまに? ‥‥それやったらええけど。
吉田   大丈夫だって。
りんご  見られるだけでもあかんのですよ。
吉田   わかってるって。‥‥だから、ここで会ってるんじゃない?
りんご  ‥‥それはそうやけど。でも、壁に耳あり障子に目あり、やからね。
吉田   ハハハハ。
りんご  え? 何?
吉田   りんごさん、時々、そういう古くさい言葉を使うよね。‥‥それも、おばあちゃんの影響?
りんご  え‥‥そうかな?
吉田   そうだよ。
りんご  そっか。‥‥そんなん言われたの、初めてですよ。
吉田   ふーん、そうなの?
りんご  うん。
吉田   ‥‥ねえ。
りんご  え?
吉田   桜が咲いたらさ、お花見に来ない?
りんご  別にええけど‥‥人が一杯やろしなあ‥‥。
吉田   それじゃ、サングラスでもしたらいいよ。
りんご  え、そんなんしたら、桜がちゃんと見えへんやないですか。
吉田   あ、そうか。
りんご  そうですよ。
吉田   ハハハ‥‥。馬鹿だね、俺も。

      二人、桜の木を見上げる。

りんご  これが全部咲いたら、きれいやろうねぇ。
吉田   そうだね。
りんご  吉田さん、歌とか歌うの?
吉田   え?
りんご  ほら、花見とか、歌歌う人いるやないですか。
吉田   ああ‥‥俺は、あんまり歌わないな。
りんご  カラオケとかも行かはらへんのですか?
吉田   うん。‥‥連れて行かれることはあるけどね。
りんご  そっか。‥‥あたしはね、歌うの好きですよ。
吉田   どんなの歌うの? あ、そうか、しいなりんごだったっけ。
りんご  もちろん林檎も歌うけど、何でも歌いますよ。(桜を見て)♪さーいた花なーらー、ちーるーのーは覚悟。みーごとちーりーまーしょー。国のたーめー。
吉田   ‥‥‥。
りんご  ‥‥あ、ごめんなさい。
吉田   いや‥‥別にいいよ。
りんご  ‥‥でも、あの定岡さんって、お友達やったんでしょ?
吉田   ‥‥ああ。
りんご  どんな人やったんですか?
吉田   ああ‥‥そうだねぇ‥‥。
りんご  やっぱし、吉田さんみたいに、お国のためにがんばってる人やったんですか?
吉田   ‥‥うん‥‥まあ、そうかな。
りんご  ふーん、そっかあ。
吉田   ‥‥ああ。

      りんご、木を見上げる。

りんご  ‥‥悲しないですか?
吉田   ‥‥え?
りんご  お友達が死なはって。
吉田   ‥‥ああ。‥‥そりゃね、悲しいよ。‥‥でも、それが仕事だからね。
りんご  ふーん、大変ですねぇ。死ぬのが仕事なんて。
吉田   ‥‥‥。
りんご  吉田さんも、死にそうにならはったんですか?
吉田   え? ‥‥ああ、あの時は、すぐ近くにいたからね。一歩間違えてたら、俺が死んでたな。
りんご  へぇ。そうやったんですか。
吉田   うん。‥‥それで、あいつが死んで、俺が生き残った。
りんご  え?
吉田   いや、皮肉なもんだなあって。
りんご  ひにく?
吉田   いや、だから、人の運なんてわからないもんだなってね。
りんご  ‥‥そうですよねぇ。
吉田   ‥‥‥。

      しばしの間。

りんご  ‥‥あの。
吉田   え?
りんご  ‥‥こんなこときいても、怒らはらへん?
吉田   え‥‥何?
りんご  そやから、怒らはらへん?
吉田   だから、言ってみなよ。‥‥怒らないから。
りんご  ほんまに?
吉田   ほんとに。
りんご  ‥‥あのねぇ‥‥死ぬって恐くないの?
吉田   え?
りんご  そやから、吉田さんも死にそうにならはったんでしょ?
吉田   ああ‥‥。
りんご  恐くなかった?
吉田   うーん‥‥あの時は必死で、恐いとか、そんなことを考えてる余裕なんてなかったな。
りんご  ふーん、そっか。
吉田   そうだね。
りんご  そしたら‥‥そしたら、あの定岡陸曹も、恐いとか思ったらへんのかな?
吉田   ‥‥だろうね。
りんご  そっかあ‥‥。
吉田   ‥‥‥。
りんご  ‥‥兵隊さんは、みんなそんなして死んでいかはるんかなあ‥‥。
吉田   え。
りんご  自分は死ぬんやとか、そんなんも考えんと死んでいかはるんかなあ。
吉田   ‥‥‥。
りんご  さびしいですねえ。
吉田   え?
りんご  だって、そんなんやったら、何のために生きてきたかも、何のために死ぬんかも、わからへんやないですか。
吉田   ‥‥りんごさん。
りんご  はい?
吉田   それはね、ちょっと違うと思う。
りんご  え?
吉田   例えば、りんごさんは、何のために生きてきたの?
りんご  え? ‥‥そんなんいきなりきかれても‥‥。
吉田   そして、何のために死ぬの?
りんご  え?
吉田   ‥‥あのね‥‥俺はこう思うんだ。‥‥たぶん、人が死ぬことには何の意味もない。生きることに意味がないようにね。‥‥そして、それは、軍人でも、普通の人でも同じなんだ。
りんご  ‥‥‥。
吉田   それでも人は生きて、そして死んでゆく。
りんご  ‥‥‥。
吉田   それは、さびしいこととは思わないかい?
りんご  え? ゆーたはることが、ようわからへんのですけど‥‥。
吉田   俺はね、自分の生き死にに意味を持たせたいと思っている。‥‥何のために生き、何のために死ぬのか、きちんと意味を持たせたいんだ。
りんご  ‥‥‥。
吉田   それは、ひょっとしたら自己満足にすぎないのかもしれない。でも、それなら、それでもいいんだ。‥‥自分が確固として信用できる意味のある人生を生き、そして死にたいと思う。‥‥それは、贅沢な望みかな?
りんご  ‥‥あたし、あほやし、難しいことわからへん。
吉田   あのね‥‥本当のことを言うよ。俺は、定岡が死んだ時、うらやましかった。死んだのが、どうしてあいつで、俺ではないのかって思ったんだ。あいつの死には意味がない。俺の死には意味がある。そう思ったんだ。
りんご  え? ‥‥なんでそんなことを思わはったんですか?
吉田   前にも言ったかもしれないけど、何のために死ぬのか、その覚悟が俺にはあるんだ。
りんご  ‥‥お国のため‥‥ですか?
吉田   そうかもしれない。‥‥国のため、天皇のため‥‥でも、ほんとを言うと、そんな具体的なものじゃなくて、もっと大きな精神のために殉じようと思ってた。‥‥古くさい言葉だけど、大義かな。
りんご  たいぎ?
吉田   そう、大義。

      空に白いものが舞う。

りんご  あ。
吉田   あ。
りんご  さくら?
吉田   まさか‥‥。

      吉田、手を伸ばす。

吉田   雪だよ。
りんご  雪? ‥‥へえ、もう三月やのにねえ。
吉田   ほんとだね。‥‥春の雪、か。

      吉田、雪をじっと眺める。

りんご  どないしはったん?
吉田   いや、三島由紀夫の小説に「春の雪」っていうのがあってね。
りんご  へぇ。
吉田   三島が切腹する前に書いた最後の小説なんだ。
りんご  へぇ。

      吉田、雪を見つめる。

りんご  ‥‥イランは、雪は降るんですか?
吉田   え?
りんご  イランの冬は寒いんですか?
吉田   イランっていう国はね、場所によって気候がバラバラなんだ。すごく寒い山岳地帯もあれば、砂漠もある。ペルシャ湾岸は、冬でもけっこうあったかい。
りんご  吉田さんのいやはったとこは?
吉田   俺たちのいたのは、砂漠地帯でね、カシャールっていう小さな町なんだ。北の方だから、相当に寒くってね、夜はマイナス十度以下になるんだけど、雪は降らない。
りんご  え? 何でですか?
吉田   砂漠だからさ。降水量がとっても少ないんだよ。
りんご  ああ‥‥そっか。
吉田   その代わり、砂が降る。
りんご  え?
吉田   冬は特に乾燥してるからさ、ちょっとした風でも、砂漠の砂が飛んでくるんだ。
りんご  ああ。
吉田   だから‥‥だから、雪は久しぶりだなあ。‥‥変な話だけど、雪を見ると、日本に帰って来たんだって感じがする。
りんご  ‥‥生きててよかったって?
吉田   え?
りんご  ‥‥春の雪って、ロマンチックですね。
吉田   え‥‥そうかな?
りんご  降っては融け、降っては融けて、なんか、冬の名残りを惜しんでるみたいで。
吉田   ああ‥‥そういえば、そうだね。
りんご  吉田さん!
吉田   え?
りんご  手握りましょか?
吉田   いいよ、恥ずかしいから。
りんご  ロマンチックやし、ええやん。

      りんご、吉田の手を握る。

吉田   人に見られたらまずいんだろ?
りんご  ええの。ロマンチックやし。
吉田   何だよ、そればっかりだな。
りんご  へへ‥‥あたし、ロマンチック好きやねん。
吉田   ‥‥‥。
りんご  それから‥‥吉田さんも好きよ。

      りんご、吉田の頬にキスをする。

吉田   あ。
りんご  ゆーきやこんこ、あられやこんこ、降っては降っては、ずんずん積もる。犬は喜び庭かけ回り、猫はこたつでまるくなる。
吉田   ‥‥‥。
りんご  ねーこはこたつでまるくなる。

      りんご、吉田の胸で丸くなる。
      そっとりんごの頭に手をやる吉田。
      ハラハラと舞い落ちる雪。


10

      喫茶店のような場所。
      船越と亜紀が座っている。

亜紀   あの、私、午後から用事があるんで‥‥。
船越   そんなにお時間は取らせませんから。
亜紀   あの‥‥マスコミの方が、私に何の用なんでしょうか?
船越   ‥‥‥。(笑う)何か、心当たりは?
亜紀   はあ?
船越   だから、何か心当たりはありませんか?
亜紀   あのう‥‥どういうことでしょうか?
船越   ‥‥‥。そうですか。
亜紀   ‥‥‥。
船越   イランで戦死した定岡陸曹のことはご存じですよね。
亜紀   ‥‥‥。はあ‥‥知ってます。新聞とか、テレビのニュースなんかで報道してますから。
船越   それだけですか?
亜紀   え?
船越   ‥‥細見さん。腹の探り合いみたいなのはやめましょうよ。
亜紀   ‥‥‥。
船越   私たちは別に警察じゃないんです。あなたを取り調べてどうこうしようなんて思ってはいません。それどころか、協力者として謝礼をさしあげたいとも思っているんです。
亜紀   ‥‥‥。
船越   それから、ご心配なされるといけませんから、あらかじめ断っておきますが、あなたにご迷惑をおかけすることはありません。プライバシーは確実に守ります。
亜紀   ‥‥‥。
船越   定岡卓也さんをご存じですね?
亜紀   ‥‥はい。
船越   いつから?
亜紀   たしか、高校二年、いや、三年頃だったと思います。
船越   どういうきっかけで知り合ったんですか?
亜紀   部活の先輩の知り合いだったんです。
船越   部活というと、テニス部ですよね。
亜紀   ‥‥はあ。
船越   定岡さんは高校も違うし、テニス部じゃないですよね?
亜紀   ‥‥はい。
船越   それで?
亜紀   ‥‥え?
船越   それで、付き合い始めたのは、いつ頃ですか?
亜紀   ‥‥いつ頃って言っても、なんとなく‥‥。
船越   高校生の時?
亜紀   いえ‥‥高校の時はまだ‥‥。
船越   それじゃ、卒業してから?
亜紀   ‥‥そうですね。
船越   なるほどね。
亜紀   ‥‥‥。
船越   その時は、定岡さんは、まだ独身だったんですよね?
亜紀   はい。
船越   奥さん、いや、正確に言うと、まだ奥さんじゃありませんが、その人と交際していたことは知ってましたか?
亜紀   ‥‥知ってました。ていうか、同じ頃に付き合い始めたんです。
船越   定岡さんは、そういうことも、あなたにしゃべるんですか?
亜紀   ええ‥‥そういう話を、わざとするようなところがあるんです。あの人。
船越   どうしてかしら?
亜紀   俺はもてるんだ、みたいなのをみせびらかしたかったんだと思います。
船越   ふーん。
亜紀   それに、私に嫉妬させたかったのかもしれません。
船越   ‥‥なるほどねぇ。‥‥確かにいるわね、そういう男。
亜紀   ‥‥はい。
船越   それじゃ話が早いから、率直に聞くけど、他にもいろいろと女性関係があったのは知ってるのかしら?
亜紀   ‥‥はあ、なんとなく。
船越   全部あなたにしゃべるわけ?
亜紀   全部というわけじゃありません。でも、なんとなくわかるんですよ。
船越   ふーん。なんとなくね。
亜紀   ‥‥はい。
船越   それで、あなたは何とも思わないわけ?
亜紀   ‥‥思わないわけじゃないけど‥‥遊びだから。
船越   遊び? それじゃ、あなたとの関係は遊びじゃないわけ?
亜紀   違います。
船越   他の人と結婚してても?
亜紀   はい。
船越   えらく自信があるのね。どうしてそう思うの?
亜紀   それは‥‥奥さんに言えないことでも、彼は私には話してくれるんです。それに‥‥女性だったら、なんとなく、そういうのはわかるでしょう?
船越   なんとなく、ね。‥‥まあ、そうかもしれないわね。
亜紀   ええ。
船越   つまり、定岡さんは、奥さん以上にあなたに心を許していた、と?
亜紀   はい。
船越   それじゃきくけど、彼はどうして自衛隊に入ったのかしら?
亜紀   ‥‥さあ、それは。
船越   なんとなくでもわからない?
亜紀   今から公務員になれるのは、自衛隊ぐらいしかない、って言ってましたけど‥‥。
船越   それを聞いて、あなたはどう思った?
亜紀   正直言って、びっくりしました。
船越   全然タイプじゃないって?
亜紀   ‥‥まあ、そうですね。
船越   なるほど。
亜紀   ‥‥‥。
船越   戦争映画が好きだとか、ミリタリーマニアだとか、そういうこともなかったのかしら?
亜紀   特にそういうことは‥‥。人並みに興味はあったかもしれないけど‥‥。
船越   男の子が、戦車や戦闘機にあこがれるみたいに?
亜紀   ‥‥はい。
船越   それじゃ‥‥例えば、サッカーの試合とかで日の丸を振ったり、君が代を歌うのが好きだったりはしなかったの?
亜紀   それも‥‥まあ、人並みって感じですね。テレビで応援なんかはしてましたけど‥‥。
船越   ふーん、そっか。
亜紀   はい。
船越   それじゃ、彼は、特に愛国心や使命感を強く持っていたわけではないということよね。
亜紀   ‥‥‥。
船越   それじゃ、もう一つ質問していい?
亜紀   ‥‥はい。
船越   定岡さんは、イランに行くことについて、どう思っていたのかしら?
亜紀   ‥‥‥。
船越   ‥‥‥。彼が言ってたことを、そのまま教えてもらえばいいんだけど。
亜紀   あの‥‥。
船越   何?
亜紀   あの‥‥これって、どういう記事になるんでしょうか?
船越   え?
亜紀   定岡さんの事件についての記事ですよね?
船越   え‥‥ああ、そうね。
亜紀   それを、あなたが書くんですよね?
船越   まあ、私の原稿がそのまま採用されるとは限らないけど‥‥。
亜紀   どんな風に書くんですか?
船越   え?
亜紀   定岡さんを、どんな人として書くんですか?
船越   さあ‥‥それは、取材をしながら考えるんだけど‥‥。
亜紀   それじゃ、お願いがあるんですけど。
船越   え? 何?
亜紀   お願いだから‥‥お願いですから、本当の事を書かないで下さい。
船越   え?
亜紀   お願いします。(頭を下げる)
船越   え‥‥それは、どういうこと?
亜紀   本当の定岡さんを書かないでほしいんです。
船越   だから‥‥それは、どういう意味?
亜紀   定岡さんは、あなたのおっしゃる通り、そんなに立派な人ではありません。女にはだらしないし、強がってるけど、どちらかと言うと本当は気の弱い人です。‥‥でも、そんな人は、よくいると思うんです。そんなに悪い人じゃないんです。
船越   ‥‥‥。
亜紀   あの人が突然死んで、日本中で大騒ぎになって、あっという間に私の知ってるあの人とは違う人みたいになっちゃって‥‥正直言って、悲しいとか、そういう気持ちも起こらない、ていうか、よくわかんなくなってしまったんです。だって、テレビや新聞で報道されているあの人は、やっぱりあの人なんだけど、あの人じゃないみたいで‥‥。
船越   ‥‥あなたの言うことは、よくわかるわ。だから、私は、その作られた虚像から、真実の定岡さんを見つけ出そうとしているのよ。
亜紀   だから、見つけ出さないでほしいんです。
船越   え? どうして?
亜紀   テレビの中の定岡さんは、確かに虚像かもしれません。あんなにかっこよくなかったし、別に日本や世界の平和を願って死んでいったのではないのかもしれません。‥‥でも、今のあの人はヒーローなんです。ウソかもしれないけど、確かにヒーローなんです。‥‥私は、それでいいと思うんです。
船越   それは、彼を国家の犠牲としてヒーローに祭り上げて、利用しようとする政治的な意図があるのよ。
亜紀   そんなことは私は知りません。そんなことは彼には関係ないし、私にも関係ないんです。
船越   いいえ、関係あるわ。彼の死が英雄の死として一人歩きを始めて、それがナショナリズムや、軍国主義の温床となっていったら、どうするの? もう取り返しがつかなくなるのよ。それは、もちろんあなたにも無関係ではないし、もはや、あなた一人の感情の問題ではないのよ。
亜紀   そんなの‥‥そんなの知りません!
船越   あなたは、馬鹿なの?
亜紀   ‥‥馬鹿で結構です。
船越   ‥‥ごめんなさい。私が悪かったわ。‥‥細見さん、冷静にお話ししましょう。
亜紀   ‥‥あの人は、ヒーローになりたかったんです。ビッグになるのが夢だったんです。‥‥でも、それはかなわない夢だと自分で知ってました。それに、そういう努力もできない人でした。‥‥でも、今、彼は、そのヒーローになれたんです。もちろん、自分で望んでなったんじゃないけど、それならそれでもいいんじゃないかと思うんです。
船越   でもね、何度も言うようだけど、それは作られたヒーローなのよ。彼を利用しているだけなのよ。それじゃ、本当の意味で、彼のためにもならないと思うのよ。
亜紀   ‥‥いつもそうなんですよね。
船越   え?
亜紀   マスコミっていうのは、いつもそうなんですよね。‥‥定岡さんをヒーローに祭り上げたのは、あなたたち、マスコミじゃないですか? 頼みもしないのに、人を勝手に祭り上げておいて、今度は、それがウソだって言うんですか?彼はヒーローなんかじゃなくて、本当は女たらしの、弱虫の、泣き虫だって。それが真実だって言うんですか?
船越   ‥‥それは。
亜紀   人をもてあそぶのもいいかげんにして下さい! あの人は、あなたたちのおもちゃじゃないんです! ‥‥それじゃ、あの人が、定岡さんが、あまりにみじめじゃないですか?‥‥卓ちゃんが、かわいそうよ!

      亜紀、泣く。

船越   ‥‥‥。


11

      中央に祐子が立っている。
      その隣に、磯部が立っている。

祐子   もう、いいかげんにしていただけないでしょうか?
磯部   はあ?
祐子   だから、もう、そっとしておいてほしいんです。
磯部   そっと‥‥ですか?
祐子   はい。
磯部   申し訳ありませんが、そういうわけにもいかないんですよ。‥‥もちろん、私がそうすることは可能です。でも、私一人がそうしても、結果として、何ら状況が変わらないのはおわかりでしょう?
祐子   だから、あなた一人にお願いしてるんじゃないんです。マスコミの皆さんに、私はお願いしてるんです。
磯部   マスコミ全部ですか?
祐子   はい。‥‥お願いします。
磯部   無理ですね。
祐子   え?
磯部   だから、そんなことは不可能です。
祐子   そんなに簡単に言わないで下さい。‥‥私がどんなに迷惑しているか、あなた方はわかっているんですか?
磯部   だから、以前にも申し上げたと思いますが、これは、もはや私とあなたの問題じゃないんです。そして、あなたとマスコミの問題でもない。‥‥さらに言えば、あなたの問題ですらないんですよ。
祐子   ‥‥私の問題じゃない?
磯部   ええ、そうです。‥‥これは、あなた個人の問題ではない。国民の問題なんです。日本人全体の問題なんです。
祐子   そんな‥‥。
磯部   ‥‥‥。

      磯部の反対側に、船越が立っている。

船越   そうです。これは、もはやプライベートな問題ではないんです。日本の将来がかかった政治的な事件なんです。
祐子   ‥‥政治的な事件?
船越   そうです。事件です。そして、過去にも、こうした事件の積み重ねが、歴史の歯車を動かしてきたんです。そうやって時代というものは動いてゆくんです。それが歴史的な事実です。
祐子   ‥‥‥。
船越   だから、言葉は悪いですが、悪い芽は、芽のうちに摘み取らなければならないんです。放っておけば、気づいた時には、もう取り返しがつかなくなってるんです。‥‥だから、つらいかもしれませんが、あなたに今、語ってもらわなくてはならないんです。そうすることが、あなたの責任でもあるんですよ。
祐子   責任? ‥‥何の責任ですか?
船越   歴史に対する責任です。誤った方向に回り始めた歯車を止められるのは、あなただけなんです。‥‥だから、勇気を持って言って下さい。
祐子   ‥‥何を?
船越   真実です。‥‥定岡さんの真実、自衛隊の真実です。
祐子   ‥‥真実。

      背後に、吉田とりんごが現れる。

りんご  ねぇ、吉田さん。
吉田   何?
りんご  あの死なはった定岡さんて、どうならはるの? 神さんにならはるの?
吉田   え?
りんご  お国のために死なはった兵隊さんは、みんな靖国で神さんにならはるって‥‥。
吉田   また、おばあちゃんかい?
りんご  うん。
吉田   りんごさんって、本当におばあちゃん子なんだな。
りんご  へへ‥‥。実は、そうなんよ。
吉田   ふーん。
りんご  それで、やっぱし、神さんにならはんの?
吉田   さあ‥‥どうだろう?
りんご  え? ならはらへんの?
吉田   ‥‥わからない。
りんご  え? 吉田さん、定岡さんの友達とちゃうん? 冷たいなあ‥‥。
吉田   あのね、国のために死んだ人が、みんな靖国で祭られてるわけじゃないんだよ。
りんご  え? ほんま? ‥‥そやったら、おばあちゃん、ウソつかはったん?
吉田   いや、そうじゃない。そうじゃないんだけど‥‥。昔々、二・二六事件というのがあってね、その時に立ち上がった人たちは、本当に国のために、いや、日本人のことを思って、命を懸けてがんばったんだ。でも、彼等は靖国に祭られてはいない‥‥。
りんご  え? なんで?
吉田   日本人のためにやったことが、国のためにはならなかったっていうことさ。
りんご  え? それ、どういうこと? ‥‥わからへん。
吉田   いいよ。別にわかんなくても。
りんご  ‥‥ふーん。
吉田   ‥‥‥。
りんご  ‥‥それで、そやったら、その人たちは、どうならはったの?
吉田   軍法会議にかけられて、銃殺されたんだ。
りんご  銃殺って‥‥死刑? 鉄砲でバーンって?
吉田   そう。
りんご  なんで?
吉田   ‥‥なんでだろうね。
りんご  ‥‥‥。

      祐子と船越が立っている。

祐子   真実って何ですか?
船越   え?
祐子   私が泣けばいいのですか?
船越   別に‥‥そういう意味では‥‥。
祐子   いいえ、あなたは、私が泣くのをお望みなんでしょう? ‥‥夫は名誉の戦死なんかじゃない。国に命を奪われたんだ。私は被害者なんだ。そう言って泣けばいいんでしょう?
船越   だから、そういう問題ではなくて‥‥。
祐子   そういう問題じゃなければ、どういう問題ですか? 私が戦争反対を唱えればいいのですか?
船越   ‥‥‥。
祐子   それじゃ、こういうのはどうですか? 夫は立派な自衛官ではありませんでした。就職がないから、仕方なく自衛官になりました。愛国心もありませんでした。日の丸や君が代より、星条旗やロックが好きでした。仕事より、遊ぶのが好きでした。妻よりも、若い女の子が好きでした。
船越   奥さん‥‥。
祐子   だから‥‥、だから、定岡卓也は英雄なんかじゃありません。

      背後に、定岡と亜紀が現れる。

定岡   オレが、もし死んだらさ。
亜紀   え?
定岡   だから、もしオレがあっちで死んだらさ、亜紀はどうすんの?
亜紀   え‥‥。そんな縁起でもないこと言わないでよ。
定岡   だから、もしもの話だよ。もし。
亜紀   もしねぇ‥‥。ええっと、何だっけ?
定岡   もう、人の話はちゃんと聞けよな。‥‥だから、もしもオレがイランで死んだら、お前どうする?
亜紀   どうするって?
定岡   泣く?
亜紀   そうねぇ‥‥ちょっとぐらい泣くかな?
定岡   ちょっと?
亜紀   じゃあ、もうちょっと。
定岡   ケチ。
亜紀   ワンワン泣いてほしいの?
定岡   うーんとね、声は出さなくていいから、涙をポロポロ流すの。
亜紀   なんか昔の臭いドラマのヒロインみたいね。
定岡   いいじゃん。そのくらいしてくれよ。愛人なんだからさ。
亜紀   愛人? ‥‥だったらできないよ。
定岡   どうして?
亜紀   だって、奥さんが見てるんでしょ? そんなとこでポロポロやってたら変じゃん。
定岡   いいよ。そのくらい。‥‥あいつ、そんなに敏感じゃないからさ。
亜紀   わかるよ。‥‥女って、そういうとこはすごいのよ。
定岡   ‥‥じゃさ、誰も見てないとこで、そうだな、星でも見つめながら涙流してよ。
亜紀   何それ? ‥‥卓ちゃんって、案外、くさーいロマンチックが好きなのねぇ。
定岡   臭い、は余計だよ。
亜紀   だって、そうだから、そうじゃん。
定岡   男ってのはね、ロマンチストなの。いくつになっても夢見る少年なの。女とは違うんだよ。
亜紀   ふーん。ロマンチストねぇ。‥‥どうせ、他の女にも、おんなじようなこと言ってんでしょ?
定岡   言ってねえよ。
亜紀   ウソ、ウソ。顔に書いてあるって。‥‥そっかあ、卓ちゃん、お葬式に、いっぱい女の子並べて、ポロポロやらすのが夢なんでしょ?
定岡   うっせえんだよ。‥‥どうせ、お前なんか、四十九日にもならないうちに、他の男を探すつもりなんだろ?
亜紀   四十九日?(笑う)あいにく私は、そんなに男に不自由してませんから。
定岡   ‥‥いるのかよ?
亜紀   さあね?
定岡   言えよ。
亜紀   あいにく、女は、一人の男に尽くし通すほどロマンチストじゃありませんからねぇ。
定岡   何だよ、それ?
亜紀   ヘヘーんだ。
定岡   こら!

      磯部が立っている。

祐子   だから、主人は、英雄なんかじゃないんです。
磯部   ‥‥‥。
祐子   私が言うのもなんですが、皆さんがおっしゃるような立派な人間でもありません。
磯部   ‥‥そんなことは、わかってますよ。
祐子   え?
磯部   奥さん、あなた、何か勘違いをなさっていませんか?
祐子   え?
磯部   英雄なんてね‥‥いないんですよ。
祐子   え‥‥だって。
磯部   別にご主人だけじゃありません。スポーツのヒーローにしても、映画のスターにしても、カリスマミュージシャンにしても、みんな、ただの普通の人間です。
祐子   ‥‥でも、あなた方は‥‥。
磯部   そうです。‥‥英雄は存在しない。作られるんです。
祐子   ‥‥あなたたちが作るんですか?
磯部   そうとも言えるし、そうでない、とも言えますね。
祐子   え? ‥‥それは、どういう意味ですか?
磯部   確かに、形式的にはマスメディアが英雄を作る、とも言えるでしょう。でも、そのマスメディアも、それ自身では成立できません。英雄が作られた虚構であるように、マスメディアも、一種のフィクションなんです。
祐子   じゃあ‥‥じゃあ、誰が作るんですか?
磯部   世の中の人々の無数の願望が集まって、それが偶然に結晶したものなのかも知れません。言い換えれば、時代が、その存在を要請したとも言えるかも知れません。
祐子   ‥‥‥。
磯部   いつの時代も、祝祭は、いけにえを必要としているんです。
祐子   祝祭? いけにえ?
磯部   そうです。祝祭です。人々の願望は、いつもポジティブなものばかりとは限らないんですよ。人間は、時として冷酷なまでにネガティブな願望を持ち得るんです。中世では、公開処刑さえもが、祝祭であり、イベントでした。
祐子   ‥‥‥。
磯部   だから、時として、人々は、人の死や戦争までも、願望し、祝祭とするのです。
祐子   ‥‥それじゃ、世の中の人々が、夫の死を望んでいたと言うんですか?
磯部   もちろん、表向きは違うでしょう。しかし、潜在願望としては、その可能性は否定できません。
祐子   そんな‥‥。そんなの、ひどすぎます。
磯部   だから言ったでしょう? 祝祭にはいけにえが必要だと。そのいけにえが、時として英雄と呼ばれているにすぎません。
祐子   そんな‥‥。
磯部   残酷なことを言うようですが、それが現実なんですよ。
祐子   だったら‥‥だったら、そんな英雄なんかいりません!
磯部   ‥‥お気の毒ですが、英雄は選べるものじゃないんです。どんなに望んでも英雄になれない人がいるように、どんなに望んでも、英雄から逃れられない人もいるんです。
祐子   どうして? どうして選べないんですか?
磯部   だから‥‥いけにえなんです。人身御供に選ばれてしまった人間は、その運命から逃れることはできないんです。
祐子   どうしてもですか?
磯部   どうしてもです。
祐子   そんなのおかしいじゃありませんか? あの人を勝手に英雄に祭り上げておいて、そこからは、もう逃れられないなんて!
磯部   ‥‥‥。
祐子   お願いです。どうか、あの人を自由にしてあげて下さい。あなたたちがあの人を英雄にしたのなら、その逆だってできるはずでしょう? それが、あなたたちの責任じゃないんですか?
磯部   残念ですが、私たちに、そんな力はありません。
祐子   お願いします!(頭を下げる)
磯部   ‥‥‥。

      しばしの間。

磯部   一つだけ、方法がないわけじゃありませんが‥‥。
祐子   え? その方法って、何ですか?
磯部   ‥‥‥。
祐子   教えて下さい!
磯部   ‥‥新しいいけにえを作るんです。
祐子   え‥‥。
磯部   新しいいけにえ、新しい英雄ですよ。‥‥そうですね‥‥たとえば、もう一人自衛官が殺されるか、あるいは、自衛隊がイラン人を殺しでもすれば、おそらく、ご主人は自由になれるでしょう。
祐子   そんな‥‥。
磯部   民衆は、熱しやすく、そして飽きっぽいものです。いつも新しい、新鮮な祝祭といけにえを求めているんです。
祐子   ‥‥‥。
磯部   奥さん‥‥‥それが、世の中というものですよ。
祐子   ‥‥‥。

      磯部、消える。
      祐子、一人で立ちつくす。

      静かに雪が降ってくる。

祐子   雪が降ってきました。春まだ浅い、三月の雪です。

私の夫は、遠い遠い町で死にました。
冬でも雪の降らない小さな町で死にました。

私は、空に祈ります。

春の雪よ。どうか、降り積もらないで。

私は、雪深い北国で生まれました。
そこでは、冬になると、あらゆるものが白一色に埋もれました。
美しいものも、醜いものも、雪は、すべてを消しました。そして、春がやって来ると、まるで何もなかったかのように、融けて水になって流れてゆくのです。

でも、私は、空に祈ります。

春の雪よ。どうか、降り積もらないで。

美しいものは、美しいままに。
醜いものは、醜いままに。
すべてをありままにしておいて下さい。
ただ、ありのままに。

それだけが、私の望みです。

      ペルシャ民謡が静かに鳴っている。
      雪は、降り続ける。

      やがて、祐子も消える。

                               おわり


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