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「多様性」「ダイバシティ」から落ちこぼれかけている でもその一方で「結婚制度の解体」を叫ぶ変なおじさんの話

「多様性」とか「ダイバシティ」とかかまびすしい昨今だけど、ちょっと危うさを感じなくもない。

あまりに頭でっかちで、観念、理念が先行しすぎてないか?

先日、テレビのニュースで、高校の制服の話題をやっていて、「男女なんて決めつけて考えるのが、もう時代に合ってないのかもしれませんね」というコメントに「え?男女もダメなの?」と思った。NHKのニュースだった。想像するに「男女」の話題をやるとクレームが入るんだろうな。そういえば、個人情報の記入欄の「性別」も「男・女・その他」とか「答えなくてよい」とするのが増えている。そのうちアメリカみたいに10個とかの選択欄になるのかなあ?

そういうことの意図や理念はわかる。理解はするんだけど、やっぱり窮屈な感じは否めない。「意識をアップデートせよ」と言われたらそれまでなんだろうけど。

これって何だか、6、70年代の尖ったフェミニズム運動に似てないだろうか? あの時は、理念、観念先行で生活感に乏しく、女性からも共感を得られなかったように記憶するのだが。

最近の「ノンバイナリー」のカミングアウトなんかには、正直「インテリセレブの趣味っぽくない?」と違和感を感じてしまう。

そして、今日知人から聞いた話では、「人間以外のもの(フィギュアとかビルとか)への愛情」もあるのだそうだ。「まあ、ご自由に」と言うしかないが、それさえも「多様性」と言われそうな勢いの昨今の情勢だからなあ‥‥。

これって、ちょっとまずいんじゃないのかな?

私は左派でリベラルを自認している人間で、「多様性」「ダイバシティ」は理解しようと努めてはいるんだけど、なかなかそこまで自由度を広げる自信がなくなりかけている。正直、ちょっとしんどい。

そうなると、保守派の言う「伝統的な家族観」みたいなのが力を得、共感を得てしまうのではないだろうか? 「多様性社会は窮屈でしんどいよ。もう普通でいいじゃない?」みたいな感じで。

それとも、若い人たちは自然に受け入れているのだろうか?

そこのところはよくわからないし、自信はないのだが。

【追記】

実は「同性婚」などの主張についても若干の違和感を感じないでもない。

誤解されると困るのだが、「同性婚」自体に関して、認めることに私は全くやぶさかではない。

ただ、どうして「結婚」「婚姻」というのにこだわるのだろうか? もちろん、経済、その他の権利問題が存在していることはよくわかる。

しかし、そこまで言うなら、「結婚制度」自体を疑うべきではないのか?と思うのだ。

日本でも、3組に1組が離婚するという。生涯未婚率も男性が3人に1人、女性が4人に1人になるという。この状況の中で、制度としての「結婚」「婚姻」の有効性に疑問を投げかけるべきではないのか?

たとえば、現行の制度の下では、未婚者や子供のいない人間は「標準的、伝統的人生モデル」の枠外に置かれたマイノリティとして、税制その他数多くの不利益を被っている。これに対する問題提起はあまり聞かない。

あるいは、しつこく言っているが、キリスト教先進国をモデルとする一夫一婦制についてもしかりだ。

真に「多様性」「ダイバシティ」を言うなら、この婚姻を前提とした制度設計の見直しから入るべきなのではないか、と思うのだ。

ここの所だけは、やけにラディカルである自分に笑ってしまうのだが。「結婚制度を解体せよ!」と主張する過激派の変なじいさんなのだった。

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