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本当の「エリート教育」が必要だと思う 人に優しく ノブレス・オブリージュ

英才教育とか言って、バレエとかピアノとかフィギュアスケートとか「3歳の時からやってました」というのが美談みたいによく報道されてます。特にスポーツ系の話題で多いですね。
でも、どうなのかな? まあ、そういうおうちは昔からあったと思うんですけど、「ヒト」としての成長ということを考えると、ちょっとかなり疑問です。
親が国体に出た選手だったからとか、音楽の先生だったからという理由で、物心つく前からやらせているケースが多いみたいですが、報道されてる成功例はごく一部で、うまく行かなかったケースとか、人生が歪んじゃったケースとかも相当あるんじゃないでしょうか?
本人が好きだったり、興味を持っていたらいいんですけどねぇ。

まあ、お稽古事に限らず、「お受験」とか「超進学校受験」なんてのもおんなじですよね。


綺麗事に聞こえるかもしれませんが、やっぱり「好きこそ物の上手なれ」なんだと思うんです。スポーツにしても、勉強にしても。
「勉強が好きな人なんかいるの?」と思う人もいるかもしれないけど、私は「勉強は一番贅沢な遊び」だと思ってますし、学校の生徒にもそう言ってます。「勉強なんかして何の役に立つの?」と聞かれると「役には立たんかもしれんけど、おもろいやん」と言ってますが、なかなか真意は理解されないですね。
たとえば、私は本が好きで、高校時代ぐらいからアホほど読んでましたが、「国語の勉強になるから」なんて思いは1ミリもありませんでした。逆に「本を読むと国語の成績が上がるぞ」なんて言われたら、読む気がなくなっちゃうような天邪鬼でした。
そういう「楽しさ」とか「遊び心」というのが一番大事なんだと思うんです。スポーツにしても、芸術にしても、勉学にしても。
ネットなんかに書かれてる進学関係の記事を読むと、これがほとんどないんですよね。「東大に入ったら外資系コンサルに入れて儲かる」みたいなのばっかり。こういう受験指導をしてる人って、「勉強が楽しい」と思ったことがないんでしょうね。学校の先生にもこういう人が結構いて、何か悲しくなってしまいます。
最近のいわゆる「エリート」さんに、基本的に世界観とか人生観が歪んだ人(たとえば成功至上主義とか拝金主義)が目立つのも、何か関係がありそうな気がします。
本来、「ノブレス・オブリージュ」あってこそのエリートだと思うのですが、そういう発想も哲学もありませんよね。
その意味で、日本に足りないのは「エリート教育」じゃないかな?と思ってます。「東大に入る」とか「ハーバードに入る」という受験教育は、エリート教育でも何でもありません。東大でもハーバードでもいいけど、そこに入って何を学ぶのか?という視点が全く欠如してますよね。司法試験や公認会計士やMBAに合格するのもいいけど、その前に学ぶべきことがあるんじゃないでしょうか?
本当に頭の良い人って、想像力が豊かなはずだし、その知性にふさわしい読書とか知的体験とかをしてたら、本来は「人に優しい人」になるはずなんですよ。「自分さえ成功できたらいい」なんて人は、あんまり頭が良いとは思えない。
だから、本当の「エリート教育」が、この国には必要だと思います。


【追記】

「選ばれてあることの恍惚と不安二つながら我にあり」(ヴェルレーヌ)という言葉がありますが、恍惚と不安の「二つ」ないとダメなんですよね。恍惚だけでは薄っぺらすぎる。選ばれることの重さを感じたり、おののいたりしないような人は、そもそも選ばれてなんかいません。
 

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