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どんな人でも緊張する

今から40年前に遡るが、マリオ・デル・モナコ(1915年~1982年)というイタリアのテノール歌手がいた。「黄金のトランペット」と呼ばれ20世紀を代表する伝説の名演奏家だ。彼が日本で舞台上演のオペラに出演したのは1959年、1961年の2回だけである。第二次世界大戦以後、ヴェローナ野外劇場(イタリア)で『アイーダ』の「ラダメス」を歌い、ロンドン、南米、イタリアなど世界各地で活躍した。

そんな世界的に有名な彼でも「緊張」に関するこんな話がある。

 デル・モナコの初日は危険だというのが、世界のオペラ界の常識になっていた。キャンセルが多いのだ。この「危険さ」をぼくは目の当たりに見た。『オテロ』の初日だった。ぼくはアシスタント指揮者として東宝劇場の舞台のそでに待機していたのだが、そこにもうスタンバイしていなければならぬはずのデル・モナコが来ない。音楽は始まっている。直前に奥さんとマネージャーが彼の両脇をかかえて、引きずって来た。デル・モナコは泣き叫んでいる。ガタガタにあがって、震えて歩けない。
 「おれは駄目だ。今日はできない。東京の初日に失敗したら『マリオはもう終わりだ』と世界中にニュースが流される。」楽屋の出口のほうに走って逃げようとする。奥さんが追いかけて捕まえる。「マリオ!あなたは世界一よ。大丈夫よ。」パン、パンと彼の頬をひっぱたく。マネージャーがデル・モナコの尻を蹴っ飛ばした。ドンピシャのタイミングで彼はステージによろけ出た。オテロ登場の場面である。彼は朗々の声を張り上げ、だがそのままステージから逃げてきて、うずくまる。奥さんがひっぱたく。マネージャーがまたステージに押し出す……。
 初日はいつもこうなのだそうだ。世界一を保つ男のつらさ、悲しさ、孤独を痛いほど知った。
岩城宏之著『棒ふり旅すがら』1986年/朝日文庫

これまで僕自身も人前に立ったり受験や面接などを行ったりする時には緊張する機会が度々あった。経験したことがないことを行う時、初対面の人と接する時など、緊張する瞬間(場面)はまだまだ他にもたくさんあると思う。

緊張はおそらくし始めるとコントロールが効かなくなり、「緊張するな」と自分自身に言い聞かせても解決しないと思う。むしろ、より緊張が増してしまうかもしれない。

そんな時は、「どんな人でも緊張する」と考えるようにして、自分だけではないと思えるようになれたら少しずつ和らげることもできると思う。

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