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卒業研究の想い出

私の卒業研究と研究テーマなどの想い出です。

最近、大学の設計課題や卒業研究でお世話になった恩師の一人(当時の教授)が亡くなられたことを知りました。この先生は私と同郷で、在学中に偶然その話を両親から聞き、先生の親族から紹介を受けていました。

懐かしいというか、私の研究テーマや問題意識に大きな影響を与えた人でした。(私の研究室の恩師とは別です)

もう一つの話は、私が独立開業して数年経過した頃に、ある都内の有名大学の卒論生(建築学科)から取材を受けたエピソードですが、これは別の機会で触れる予定です。

私の卒業研究と研究室の想い出

私の母校(大学の建築学科)では、当時は卒業研究(卒業論文)は必修科目ではなく選択でした。※必修は卒業設計。

建築学科は卒論よりも設計技能を重視しており、産学共同研究が多く、都市計画や建築史、研究職には余り関心がないことが背景にありました。このため、卒論生も論文発表会は大人しく無難に単位が取得できれば良いという学生が多く、指導教官も質疑応答は形式ばかりのものでした。

ところが、その歴史にまさか自分がインパクトをもたらすとは想像もしていませんでした。学内の論文発表会で私の研究発表時に質問をした教授と、まさかの激論をすることに(笑)。質問をした教授は上記の恩師でした。

「君の研究テーマは学術的論文とは言えない内容で、建築学科における研究論文とは異質なものである。もう一度、研究の主旨と目的を説明していただきたい。」と発表後に言われました。これをまともに買ってしまい「研究の目的と問題意識は冒頭に説明しました。学術的な研究だけが卒業研究だとは思いません。」それを聞いた教授は、顔が真っ赤になり「それが君の答えなのか。卒業研究としては認められない。」・・・(途中省略)

熱血漢の教授は納得せず、その場の議論は建築学科長の裁定で、教授会での審議対象とするということで、その場は納められました。(要するに、首を洗って待っていなさいということに)

質問した教授は学術的な研究を重視しており、建築設計と都市空間論が専門でした。私は、このテーマには関心があり、この教授の研究室にお願いしようかと迷っていましたが、自分が3年生時からサークルの活動で取材していたテーマが気になり、別の研究室に入れていただいたのです(研究室の恩師)。

研究テーマと卒業研究

大学の卒業研究テーマには特段の制約はなく自由なものでしたが、担当する教授(准教授含む)の指導によって任されていました。私の研究テーマは「皇居周辺の水面開発と再開発事業の歴史的考察」でした。学内では就職先の企業や担当教授の出身である建設省(建築研究所)が関与している都市開発事業が事例に含まれており、おそらくこの点がタブーに触ったと見られたようです。

ある意味、パンドラの箱を私が開けてしまった。触ってはいけないテーマを批判的な題材にした。しかも、ひとりの大学生が。私の言い分は、実際に歴史的に行われてきた都市開発事業の評価や考察を学生として取り組んだことであり、社会的な問題意識を持って、都市計画や都市整備を考察するのが目的である。学術的な研究とは最初から思っていない。

都市再開発法の主旨や事例、歴史的な水辺空間がどのように埋め立てられ変遷してきたか、再開発事業とは何かを資料として持ち込み、ケーススタディとして取り組んだというわけです。

教授会での審議と議論

教授会では、私の研究室の恩師は必死に擁護してくれました。(この話は会議に同席していた助手の先生から聞きました)

学生の問題意識や研究の芽を摘み取るべきではない、研究論文の中身で審査するべきだという主張が認められ、学科内の教授や准教授みなで、私の論文本体が審査されました。(これは前例がなく、他の指導教授の卒論をみなで審議されたことは無い)ほんとうは、時間的な制約があり、教員全員で審査するのは物理的に無理があるので、発表会の梗概のみで評価するのが通例でした。

その結果、大半の教授は内容的には合格水準に達しているということで、一人を除いて(笑)、合格判定をいただきました。多数決で決まったわけです。これがきっかけになり、この年は全ての卒論本体が厳正に審査され、たくさんの不合格者が出たそうです。(私のせいなのか、ちょっと責任を感じますが)

私は恩師からすると、できの悪い記憶に残る卒論生だそうで、寿命が縮まったと、教授会の後の研究室の打ち上げ会場で言われました。恩師は現在もご健在であり、毎年のように夏のギフトを贈り続けています。逆に恩師の奥様から毎年のようにギフトをお返しいただいており、恐縮しています。できの悪い教え子ほど、恩師の記憶に強く残るという典型だと思います(笑)。

後日談と和解

研究室の恩師から、今後の課題としてアドバイスを頂戴しました。論文発表会時に、質問されたときに「ご指摘されました課題については、今後の研究活動や仕事に生かしてまいりたいと思いますので、宿題とさせてください。学術的な分析の視点を忘れないようにしたいと思います。」と一言付け加えていれば、問題は起こらなかったはずだと。

プライドの高い熱血漢に、余計な火を付けた君の態度が良くないと言われました(笑)。まるで、子供の喧嘩のようだったと。

その後、私は都心部の「都市整備や土地利用計画の基礎資料に関する分析」研究を目的にして、恩師の研究室に働きながら「研究員」として2年間残りました。都市計画の研究者になろうとしていたのですが、研究テーマはすでに類似の学位論文が出されており、見込みがないことが数年後に分かりました。(民間の建築・都市計画会社に就職しました)

研究員として2年間研究した成果は、大学院生と一緒の発表会で、大学院の会議室で「研究発表会」というスタイルで行われました。卒論と同じく、私の発表後に質問された教授は、やはりあの先生でした。今度は喧嘩にならないように慎重に言葉を選びました(笑)。

「先生、ご質問・アドバイスありがとうございます。私も先生と同様な今後の課題があると思っています。ご指摘の視点・可能性は、研究の続編や実務で生かしていきたいと考えています。」と応じて、満面の笑みを浮かべていた教授の姿が記憶に残っています。

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