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自分の夢を取り戻す!!!

って書くと大袈裟なんですが。

数日前メールでサポートのお知らせを受け取りました。初めてだったので、めちゃくちゃ緊張してメールを開きました。

大先生マダオさんという方からで、初めてお目にかかったので、すごくびっくりして、ドキドキしながらお礼メールを送りました。

槇原敬之の曲「どんなときも。」の記事を書こうとされていて私の記事を見つけたとのことでした。

本当にありがとうございます。深く感謝いたします。

以前の自分のこの下の記事に「どんなときも。」について書いていたんですよね。自分は音楽があればそれでオッケーって気づいたっていう内容です。


そして、大先生の記事を楽しみに待っていました。

そして大先生が書いてくださいました。その記事がこちらです。

(大先生マダオさんの紹介欄をコピーします:【元】音楽プロデューサー/DJ 【現】ピアコーチ/障がい者支援SST講師/マダオ相談室は「双極性障害者向けのちょっと特殊な恋愛相談室」)

マダオとは「まだ終わりじゃない」「まだ遅くない」「まだ追い越せる」などポジティブなワードです!)


あらためて✨読ませていただくと、

大先生の言葉全部が五臓六腑にしみました。

大先生と同じ気持ちかもしれないと思いました。

そのときまた曲を聴いたのですが、目頭があつくなっていました。

本当に夢をおきざりにしていたんだな・・・とまさに実感して。

あの泥だらけのスニーカーを履いてた頃の自分の夢は変わってなくて自分が変わっていただけだった・・・。


それから数日、夢を蔑ろにしてきた記憶をまた細かく辿っていました。

(↓つらつらと自分の気持ちを整理しながら書くのでかなり長い文になります。読みにくいかもしれません。)

最近は少しそんな自分に気付いていて、ここ数年少しづつ夢を回収するアクションを起こしていました。

周りにどんなふうに思われるかなんてかなり気になるけど、もう全く気にしないようにして、わがまま言いました笑。(仕事もしていなくて収入もないのにアンサンブルに入ってバイオリンを習いました。安いけどバイオリンを買ってもらいました。今は少しお休み中なんですが。なぜバイオリンになったかというのはまたいつか書ければ。)

今までも他のわがままを何回も受け入れてもらっているんですが、今回は純粋に自分だけのわがままでした。家族には本当に感謝です。

でもそんなふうにわがままを言って本当にやりたいことをさせてもらった時に思ったんです。

自分が自分の首をしめていただけだったんだなと。

今の家族は言わないけど、以前周りから「そんなことあなたには無理」とか「もう少しだったね」、「ダメだったね」、「ただガムシャラに頑張ってただけだったよね」などと言われたことがあるんですよね。
相手にとっては気楽な言葉でも、自分にとってはすごくきつかったんです。でもそんなことを言われても、自分が好きなら、したかったら、下手でも音楽を続けていればよかったんだってわかったんです。

どうせやるなら一流になるまでがんばれとかいう大昔言われた言葉を気にしすぎていたりして。

別に一流とかプロになれなくても、上手くなくても、好きならしてもいいんだ!って自分が自分に許してなかっただけなんだなって思ったんです。

周りに悪いとか、気遣っていた、と思っていたんですが、よくよく掘り下げたらただ単に下手だから恥ずかしいっていう変なプライドが主な原因だったと気付いたんですね。


それに気づくまで結構のたうち回ってきたんですけどね。

ここまでのたうち回らないとわからなかった自分が本当にあほだなと思います。

でも、のたうち回った結果、好きなことを再確認して実行したときの魂の喜び具合ったらなかったです。初心者なのにはじめてアンサンブルでカノンを弾けた時は音が胸に響いてブワワ〜って震えました。目の瞳孔が開いていました笑。

失ってわかる好きなことの大切さ、それを取り戻した時のこの倍増する感動を得たかったのか!私は!とバカさ具合を少し良い方に考えたりしました。

そしてバイオリンを習っていた時、どんなときも。の歌詞で出てくるんですが、

確かに背筋が伸びていました笑。

バイオリンを持って教室に行くときも、バイオリンを構えるときもピーンとしてるなって思ってました。


どこまで遠回りしてたんだろう・・・。


でも遠回りも結構いいことあります。

本当にいろんなことに気づけました。



今まで何かとチャレンジしていますが、結構うまくいかなかったことが多々あります。
うまくいかない理由の一つはチャレンジのベクトルが本来の自分のベクトルを無視していたことが多いことにやっと気づいたんです。

家族のためにとか、周りのためにとだけ考えてしていたことだったり。

よくよく掘り下げたらいい人になろうとしていただけだったんじゃないかと。

人のために働く(はたをらくにする)はいいけどちょっと、自分をおざなりにしすぎるのもどうかな、少しだけちがうよって本来の自分は多分言っていたんです。
やってることは同じでも気持ちの面で本来の自分を無視し続けてるっていうか。

聞こえないフリをしていたのでしょうか。
全然気づいていませんでした。

もしくは、音楽をしながらしていたらそこまでうまくいかないってことはなかったのかもしれません。うまくガス抜きできるっていうか、感情のコントロールができていたり、バランスをうまくとれていたのかもしれません。

なんでやめてしまうんだろう・・・。


この年になってまだそんなこと言ってるの?って思うのですが、

大先生マダオさんのいろんな記事を読ませていただくと、大人になっても、歳をとっても、みんな何かと乗り越えて生きているんだなと気付かされました。

愛着障害という言葉も知り、本もKindleで少し読ませていただきました。


確実に私はこれかもしれないと思いました。(まだちゃんと理解できているかはわからないんですが)

愛着障害のない方はこの人何言っているんだろう、やりたいことなんてすぐやっちゃえばいいのに!って思うと思うのですが、本当に傷が行動を妨げてくるって感じ、わかりました。

巻末の診断をしたら愛着障害は「まあまああるけどなんとかうまくやっている」タイプでした。そこまで重症ではなさそうでした。多分。もっと以前に診断したらまた違ってたかも。

小さい頃に何気なく言われた言葉が深く傷になっていることはうっすら気づいていましたが、また目を背けていたんだなと気付かされました。

親は愛情深く育ててくれていたのは、とってもよくわかります。本当に家庭愛に溢れた家庭に育って、兄弟も仲良いし、幸せだと思っています。本当に感謝しています。感謝しかないんです。今もずっと愛情をかけてくれています。

でも若い頃20代くらいかな、傷つけられてた言葉を思い出して、気づいて腹が立っていた時は、昔傷つけられた言葉をフィードバックしたことも何回もあります。

子供の時は、期待に応えたかったけど、結局応えられなくて。
期待されてもなぁ、って思うのと、後で何を期待してたのかわからないって思うのと。

自分の中に深く潜ってみると、長女でみんなに本当に可愛がられて甘やかされて、過保護にされすぎて、でも下に兄弟ができたら急に厳しくなって、その切り替えの時のギャップにびっくりしたりとか、姉なので見せしめにすごく怒られたりとかで、意味が分からなくて混乱している自分がいました。

そのときの言葉が結構残っているんですね。その言葉を親にフィードバックした時、親の方はそんな言葉言ったことほとんど覚えてなくて、でもそういえば言ってたかもって、思い出したみたいで、それはごめんねって言ってくれました。親も私がまさかそんな事思ってたなんて思ってないですよね。

自分もまさか、そんな小さい頃に言われた言葉が残ってて自分の行動を妨げているなんて、わからないし、気づかないですよね。

でも自分の中を探っていくとわかってくるし、そんな言葉はもう気にしなくて良いって気づけたら本当に気にならなくなってくるんですね。

すぐに消えないくらいものもありますし、何回も出てきて脅かしてくることもあるのですが、何回も気づいていくうちに消えていくのかも。

前に進めなくなって、足が止まったら、ん!?ちょっと待って!ただ傷に足止めさせられてるだけじゃない?って気づけば進むことができるかな。

これって、インナーチャイルドを癒すとかっていうのと似ているんですかね。


kumicoの心理学コミュニティさんも愛情深いがゆえの過保護の悲劇の内容が書かれていました。そうそう!って感じでした。ありがとうございます。こちらの記事にもとても感謝しております。


この記事からすると、私の場合は親に、部活は体を鍛えたほうがいいから中学校は運動部に入りなさいって決められたりとか。

自分の性格もかなり関係しますが、そこで自分があれば良かったんですが、それもそうだなと思って向かない運動部で自分を酷使するんですね。あのとき吹奏楽部に入っとけば良かったんだな〜とか後で思っても遅い。運動部で得られたことは結構多かったし、根性はついたし、いい思い出なんですが、自分が心からしたかったことではなかったと後で気づくんですね。友達にも先生にも恵まれていたのに心はどんどん灰色になっていきました。それがなぜだかわからなかったです。

思い出しました。私がどんなときも。を歌っていた時は高校の時で、中学の時の灰色の気分を後悔しての歌でした。自戒を込めた歌でした。よくよく思い出すと危うい自分の心に喝をいれていたのかも。大人になって何がしたいかわからなくなった自分と比べるとその頃の自分はまだ全然ちゃんとわかっていた自分です汗。

高校も今度は友達に誘われてそこまできつくない運動部に入ってしまっていたのですが、当時カラオケがブームでそれで私は救われていました。


これまでの人生、自分が嫌なことでも訓練すれば何でもできるって思って何でもがむしゃらに頑張っていました。

それが自分がそこまでやりたいと思ってなかったとしても、やりたいことだと勘違いして頑張りすぎていました。自分でもわからないってやつですね。

頑張るっていい言葉だと思っていたけど、実は自己中心的になるということで「頑張る」という言葉の語源は「我を張る」なんですね。自分を押し通す、それが頑張るということで、競争し、自分の利益を優先させることなんだ、と知ってから、知らない間にこうなっちゃってたこともあったのかも?とショックを受けたりしました。

もちろん、やらなきゃいけないことはやらなきゃダメなのよ〜♪で、自分のやりたいことだけやって過ごせるような世の中にはまだなっていないと思うのですが(これから世の中どう良い風に変わっていくかはわかりませんし、結構最近変わってきているとは思うのですが)あまりにも自分を無視した生き方はダメなのかと気付かされたんですね。嫌なことばかりするのが修行の人生だと思っていました。

あと、私はただ親に認められたかったんだなとわかりました。

若い頃、親によく「感謝が足りない」って言われていました。実際感謝が足りなかったのかもしれませんが、自分ではとても感謝していたので「感謝してる」って言ってました。でも全く伝わらなかったです。私の行動からの感謝が感じられなかったんでしょうね笑。

でもまた大人になって、自分の誕生日に「産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう」と必ずメールするようになってから親の態度がガラッと変わりました。自分から言葉にしないと親子でも伝わらないことってありますね。近すぎて伝わらないってことあります。

親子関係ものたうち回っている間にもいろいろありましたが、以前より増して理解しあえて絆が深まっていっている気がします。

親は私が幸せならそれが幸せなんだってわかりました。

親はずっと愛情いっぱいのままです。そんなに子供に期待だけしていたわけじゃなかったんです。(完全にあきらめただけかもしれませんが笑)親も変わってくれたのかもしれませんが、自分が成長するにつれ、自分の受け取り方が変わっているっていうのがわかります。コミュニケーションのエラーだったりもします。


自分の今まで頑張った全てを否定するつもりはありませんし、自分でやりたくてしたこともたくさんありますし、させてもらえたこと、頑張らせてもらえたこと全てに感謝しています。うまくいかなかったのはやり方がまずかっただけなのかもしれませんし、また復活することもあると思います。人生に無駄なことはないとも思っています。

遠回りした自分の人生も自分もとっても愛おしいです。


結局人生っていつも自分とのたたかいだなって気づくんです。

私には自分の素直な気持ちに蓋をしない、自分に嘘をつかないっていうたたかいがあります。

またなにか妨げたられる思い出が出てくるかもしれないですし、目を背けないで面と向かって乗り越えていくしかないですね。

大人の階段をあらためてまだ登っている感じ。

いつまでたっても子供っぽいのかなとも思うのですが、そんな自分も受け入れて、嫌いにならずにそんな自分も好きでいようと思います。


そんな細部にまで気づかせて、思い出させてくださった大先生マダオさんの記事に✨あらためて✨感謝しています。


そんなこんなで私が小さい頃に思っていて、ずっとしてみたかった作曲(DTM)にチャレンジしようと思えるようになりました。

みんなに気に入られる曲が作れなくてもいいんです。

自分がこの曲いい!!!と思える音楽が作れるまで趣味でやってみようと思いました。

数年前にiPadのガレージバンドで作った時、ただ気に入ったループを組み合わせただけだったので、ゲロゲロ〜吐きそうっていう音楽しか作れず、挫折したのですが、今度は機能が充実しているロジックプロXに挑戦しています。レシピを見ないで適当に料理を作ったらそれは不味いの当たり前ですよね。まぐれもありますが。

(まだYouTubeをそのまま真似しているだけなんですが。機能が多すぎてまだよくわからないのですが。まだ打ち込み用の機械もなく、今できるだけのことをしているだけなんです笑)

とりあえず気が済むまでします。またその先に他に何がしたくなるかはわかりませんが、また危うい自分にならないようにここに書かせていただきました。


大先生マダオさんのプロフィールを拝見すると、すごい経歴の持ち主で、大先生もいろんな人生を歩まれていらっしゃるんだなと知りました。悩んでいる人を前向きにする力がある方なんだなと思いました。


長くなってしまいました。自分のもやもやを整理させていただいた感じです。

ここまで自分の考えを書けたのもnoteの記事をたくさん読ませてもらえたからです。他のみなさんにも感謝です。

取りとめのない文章をここまで読んでくださってありがとうございました。

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