リレーコラム 波の音をきく

こちらは、サイト「『徴用工』問題を考えるために」 https://katazuketa…

リレーコラム 波の音をきく

こちらは、サイト「『徴用工』問題を考えるために」 https://katazuketai.jp の特別企画として、各界の皆さんに寄稿していただいているリレーコラムです。

最近の記事

日本政府は強制動員の歴史的事実を認めるべきだ

外村大(東京大学大学院総合文化研究科教授)   聞く者を混乱させる日本政府の見解  日韓間の重要懸案であった「徴用工問題」=強制動員被害の問題について、政府間での決着の見通しについての報道がなされている。韓国の訴訟で確定している被害への慰謝料については、韓国政府系財団が支払う、日本政府は、これまで出された首相談話、日韓首脳の共同声明での植民地支配への反省を改めて確認する――ということらしい。  「村山談話や小渕・金大中声明について、考え方は変わっていません」というのは

    • 【声明】被害者不在では「解決」にならない―「徴用工」問題で日本政府・日本企業に訴える

      「強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」の依頼で掲載します  2018年、韓国大法院(最高裁)はアジア太平洋戦争中に日本に動員され強制労働に従事させられた被害者が起こした訴訟で日本企業に賠償を命じました。  大法院判決が出された時、当時の安倍政権は「国際法上あり得ない判決」と非難し、被害者に請求権があることは日本政府自身が認めていたにもかかわらず「日韓請求権協定ですべて解決済み」だと強弁。日韓両国は最悪の関係に陥りました。  その後、両国ともに政権交代したことから問題

      • 第6回◆日韓の棘を抜くために

        髙村 薫(作家)  韓国が尹錫悦政権に代わって以降、日本との関係改善を急ぐなかで元徴用工問題にも動きが見られるようになり、11月13日に行われた3年ぶりの日韓首脳会談では、早期の解決を目指すことで両首脳が一致したことが伝えられました。  しかし双方とも、具体的な一歩を踏み出すのが難しいのは相変わらずです。韓国は、賠償に応じない日本企業の韓国内資産の現金化を避けるために、韓国の財団が賠償金を肩代わりする案で調整を進める一方、原告の元徴用工らの意向に沿って、被告企業による謝罪

        • 第5回◆「謝る」ことの難しさを越えて

          御田寛鯨 日本人の「自覚と反省」を呼びかけた首相  とかく「謝る」というのは、難しい。子どものころから皆、「悪いことをしたと分かったら、ちゃんと謝るんだよ」と育てられてきたと思う。しかし「言うは易く行うは難し」の代表格だ。特に、時間がたってしまうとなるとなおさらだ。  「なぜ、自分だけが」という思いも出てくるだろう。相手の言っていることが、腹にすとんと落ちるのには、それなりに、時間がかかる。  日本と韓国の「戦後補償」の問題は、法的な諸課題をいったん横に置いて日常生活の

        日本政府は強制動員の歴史的事実を認めるべきだ

          第4回◆植民地支配を語る「言葉」がない

          中沢けい(作家) 「日韓文学者会議」で見たすれ違い  朝鮮人「徴用工」問題を考えるという本題に入る前に、「日韓文学者会議」で見た奇妙な光景について書きたい。日韓文学者会議は1991年の東京の第1回を最初に、2000年まで断続的に続いたシンポジウムで、私は1993年9月に済州島で開かれた第2回から参加している。当時の済州島は「韓国のハワイ」と呼ばれ、ソウルから済州島へ飛ぶ飛行機は新婚旅行のカップルで満席だった。  2022年に多くの視聴者を得た韓国ドラマ「天才弁護士ウ・ヨ

          第4回◆植民地支配を語る「言葉」がない

          第3回◆「ウトロ」から考える、植民地支配から続く今

          朴順梨(ライター) ネット情報を信じた青年が放火  焼け残った建物をじっと見つめていると、焦げ臭いにおいが鼻に飛び込んでくるようで、思わず息をのんだ。「あの日」から1年経っているのだから、そんなわけがないのはわかっている。    京都駅から近鉄京都線に乗り、宇治市内にある伊勢田という駅を目指す。各駅停車を降りて歩くこと約10分。「ウトロ51番地」と書かれた看板の向こうに、ウトロ地区と呼ばれる在日韓国・朝鮮人の集住地域がある。その一角にある空き家に2021年8月30日、当時

          第3回◆「ウトロ」から考える、植民地支配から続く今

          第2回◆『この世界の片隅に』と広島の「加害/被害」

          植松 青児(編集者) 読み直して気づいた大事なこと  大ヒットした漫画/映画『この世界の片隅に』はアジア太平洋戦争末期の広島・呉市を舞台に、ある一家の人びとを描いた作品だ。その序盤に、次のようなシーンがある。  広島市の南部、太田川河口にある集落・江波(えば)で海苔(ノリ)養殖を営んでいた主人公の父・浦野十郎が、呉から来た北條円太郎・周作親子に次のように語る。 「うちも海苔を作りよりましたが、三年前の埋め立てでやめましてのう/今はそこへ出来た工場に勤めよりますわ」(漫画

          第2回◆『この世界の片隅に』と広島の「加害/被害」

          第1回◆歴史を冒涜する者は「現在」の社会も破壊する

          安田 浩一(ノンフィクションライター)  「そういうこと、話したがる人はいないでしょう」  うんざりした口調と嫌悪の視線が私に向けられる。面倒な人間に遭遇してしまった時の後悔といら立ちだけが痛いほど伝わってきた。  無駄を承知で私は抗弁する。  いや、「そういうこと」に意味があるんです。大事なことなんです。  相手の表情にさらに険しさが増した。おそらく、私の言葉は重いぬかるみのような感情を引き出す以外に効果はなかったのだろう。  「特に話すことは何もないんで」  拒絶

          第1回◆歴史を冒涜する者は「現在」の社会も破壊する