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第7回◆アリランをうたう

 日本の朝鮮支配と戦争は様々な人びとの人生に影響を与えました。過酷な作業に追いやられた労務動員被害当事者、稼ぎ手を奪われて日々の暮らしにも困ったその家族。そして、兵士らを相手とする「性的慰安」を強いられた女性たちもいました。
 自身の祖父母・父母が朝鮮人として差別を受けながら日本で暮らしてきた経験についても語って来た深沢潮さんが、「慰安婦」たちについての沖縄取材の経験をもとに文章を寄せてくれました。
(編集部)


アリランをうたう

深沢 潮(作家)

 沖縄本島の西方約40キロにある阿嘉島は、慶良間諸島のひとつで、太平洋戦争時、米軍が最初に上陸した島でもある。
 小説「翡翠色の海へうたう」の執筆のため、私は阿嘉島で取材をした。

 港からの道を北に行くとT字路があり、集落を左に観ながら右手に歩を進めると、穏やかな上り坂があらわれ、草木が濃くなってくる。さらに進み、坂を上りきると、わずかに海が遠くにのぞめる峠に出る。
 アリラン峠だ。
 太平洋戦争末期、この島にいた朝鮮半島出身の「慰安婦」たちが、この峠でアリランをうたったという。彼女たちがこの島に滞在したのはわずか3ヶ月足らずで、その後、やってきた朝鮮人の軍夫たちも、ここで、故郷に想いを馳せながら、アリランをうたったそうだ。
 
 アリラン峠のエピソードは、阿嘉島の慰安所で食事の準備などを手伝ったという兼島菊枝さんから聞いた。彼女は、慰安所にいた女性たちと一緒に、自分もアリランをうたったと言って、私に披露してくれた。
軍の行事が小学校校庭で行われ、彼女たちが舞台でアリランをうたったとき、着物を貸してあげたとも語ってくれた。

 私は、アリランが長いこと苦手だった。亡くなった祖父が酔ってうたうと、「一緒にうたおう」と言ってきたが、逃げるようにその場を離れた。当時は自分の出自が恨めしく、朝鮮半島につながるものを拒んでいたのだ。
 菊枝さんの歌声を聞きながら、私は祖父の顔を思い浮かべていた。1920年代に来日して以来、故郷に帰れなかった祖父は、あのとき、どんな思いでアリランをうたったのだろう。
 私は、涙をぐっとこらえて、歌い終わった菊枝さんに、拍手をおくった。

 菊枝さんのお孫さんやひ孫さんは韓国ドラマが好きだという。
「こんな時代が来るなら、私もあのひとたちから朝鮮の言葉を習っておけばよかった」と言った菊枝さんは、「あの人たちがどうしてそんな仕事をしていたか、あまり話してくれなかったけれど、知らないで来ている人もいたみたいでしたね」と続けた。
 菊枝さんは、慰安所にいた女性の名前をはっきりと憶えていた。ミハル、アケミ、シノブ、マチコ……。
 それらの名前は源氏名だ。果たして、本当の名前はなんだったのだろう。そして、故郷は朝鮮半島のどこだったのだろう。
 軍事物資として運ばれてきたというが、どういう経緯があったのだろうか。
 紺碧の海を眺めながら、思い巡らすと、ただただ、胸が痛んでくる。

 性を搾取された女性たち。
 彼女たちが本島にうつったその後には、軍夫たちが過酷な労働を強いられた。米軍上陸後、食糧が足りなくて、自ら掘らせた穴に軍夫たちは閉じ込められた。イモを盗んだ疑いで殺された人もいたという。

 いまも、性を搾取される女性たちがいる。
 そして、労働を搾取される外国人技能実習生。

『翡翠色の海へうたう』が世に出て、ふたたび菊枝さんに会いに行った。96歳になっていた菊枝さんは、いまでも毎日のように畑に出ている。マンゴーの木の近くに腰を下ろして、新刊本を渡すと、菊枝さんは、とても大事そうに本をなでた。

「あの人たちが生きていたら、会いたいですね。私も苦しい生活でしたが、あの人たちはもっとつらかったでしょうね」

 菊枝さんのように、女性たちとともにアリランをうたい、心を通わせた人がいる。
 従軍「慰安婦」がいたことは、なかったことにはできない。
 なかったことにしようとする動きを止めなければならない。

 そう思いながら、菊枝さんと声を合わせて、アリランをうたった。
 祖父とうたえなかったことを埋め合わせるように、大声で。



〈「波の音をきく」編集部から〉
リレーコラム「波の音をきく」は、サイト「『徴用工』問題を考えるために」の特別企画です。「徴用工」問題に対する思いをもつ様々な人にコラムを寄稿してもらっています。
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