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【コラム】「コードにとらわれた音楽」…ってなんですか…?

先日書いた「洋楽の聞き方」云々の質問をしてきた友人からまたもや良い質問をいただきました。いや〜彼は伸びるね!疑問を持つのはいいこと!(実は彼は年上)(クソ失礼)

「コードにとらわれない音楽ってことで知人からハードコアってものを教えてもらったけど、ハードコアのオススメある?」

ハイハイ、ハードコアね。じゃあこれ!つってAt the Drive inのアルバムを北斗百裂拳しときました。これ100回聞けばわかる!これで問題解決です!終わり!いや〜世界は平和!

…………待て待て待て待て待て待てスッと聞き流してたけど、「コードにとらわれない音楽」ってなんだ…?



コードにとらわれない音楽ってなんだ…?

どうにも忘れられなくなってしまった。妙に気になるこの文章…ちょっと真面目に考えてみようか。

まずは「コード」というものについて考えてみる。
コードというのは直訳すると「和音」、つまり「複数の音が重なり合ってできる音」のことだ。
ドとミとソがあれば和音の「C」が出る(ここで言うCはドイツ音階ではなくコード名としての「C」を指す)。
長三和音とも言い、根音(ルート音)に長3度、完全5度の音が重なっている。
しかし、「ドとミとソ」で「C」とされているが、ギターには「パワーコード」というものがあり、「根音と5度の音」でもコードと称される(メジャーの場合)。つまりCの場合だとドとソが鳴っていれば、ギター上ではCコードにカウントされる。

ここでミソ(ダジャレではない)なのが、"広義では"「2つの音でもいい」ということ。
同一の楽器で鳴っている必要もない。ベースが「ド」の一音を鳴らしていて、ギターが「ソ」の一音を鳴らしていた場合、「バンドとしてはCの音を奏でている」ことになる。
もちろん、ギターが「ド」の一音当てているときに声で「ソ」を出したら「Cコードの音を出している」ことになる。
(厳密な学術としての音楽について筆者の私は詳しくないが、あくまでこの記事上ではその定義で進めさせていただく)

ここまでCメジャーで説明しているが、コードというのは幅広く多岐にわたる。
というか、定義上「和音」であればコードなので、「綺麗な和音」である必要はない。「ドとソ」でもコードだし「ドとド#」でもコードということだ。
そして、音というのは、完全音感でなければ気づきづらいが、すべて音程がある。ギターやピアノはもちろん、ドラムにだってキーが存在するし、電車の音、人の笑い声、街の音…全て音階があり、耳に入ってくる音は「コード」と言えるのではないだろうか。

長ったらしく説明したが、このセクションで言いたいのは、広義の意味で言えば「コードが存在しない音楽はない」ということだ。
広義に捉えると音が二つ鳴ってる時点でコード。それを鳴らさない音楽はない、と断言してよさそうだ。
(アカペラ独唱は?と思ったが、それは伴奏を想像もしくは抜いて歌っている、つまり本来は伴奏が存在する=歌と合わせると2音以上存在すると考える)(何度も言うがあくまでこの記事ではそのスタンスで進めさせていただく。厳密な音楽こと言われればわからんし)

この前提で「コードにとらわれない音楽」について考えていければと思う。

「コードにとらわれる」

さて、議題の「コードにとらわれる」だが、ひとつ例に出して考えてみよう。"世界一有名なリフ"とされる、『smoke on the water』だ。

今聞くと、ベースの入りが天才的だ。こんな扇状的なフレーズなのか。ギターは今聞くとさすがにさすがにではあるが。伝説的フレーズなのは間違いない。

それはさておき、『smoke on the water』のリフのコード譜は以下の通りである。
Gm→B♭→C→Gm→B♭→D♭→CGm→B♭→C→B♭→Gm
しかしいわゆるローコードを鳴らす「じゃーん」という伴奏ではない。
と言っても先のセクションであった通りこちらもコードである。
それはまあ…たしかにそうなんだが…ギタリスト諸君はこの違和感がわかるだろうか。例えば、『smoke on the water』を作ろう!とDeepPurple一行が曲作りに励んだとして、「Gmのコードから入るフレーズにしよう」とは確実に考えていない。下記にこの曲のリフをtab譜で示してみる。

手書きでスマソ。こまけーこたぁ気にすんな

多分だが、「Gmでいこう」ではなく「5フレットらへんをガッと弾こう!」の方が感覚的には近いだろう。

もう一つ、私の大好きなリフを挙げてみよう。
ArcticMonkeysの『Do I Wanna Know?』だ。

MVが素晴らしいのでMVを貼らせていただいた。ギターリフというのは、細かい条件ブレはあるものの、24(フレット)の6(弦)乗という無限ではない有限なもののため、平成後期に革命的なリフは生まれると誰もが思わんかっただろう。シンプルなドラムパターンと相まって大変クールな出来となっている。

こちらは一聴するとわかる通り、単音だけの仕組みになっている。

いきなり「2音鳴ってたら和音、つまりコード」の例外的話になってしまうが、1音の場合でもその音を根音として、和音としてのコードとは別に、表記上はコードと捉えることができる。
というかこの考え方はドイツ音階ってことだ。「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」はイタリア語、ドイツ語だと「ツェー(C)・デー(D)・エー(E)・エフ(F)・ゲー(G)・アー(A)・ハー(B)・ツェー(C)」。ちなみに日本だと「イロハニホヘト」だ。
そして厳密に言えばCのコードは「ドミソ(メジャーの場合)で構成されたコード」ではなく「ツェーを根音にしてコード」という定義でも俺あるという言えるので、ツェーだけでもCだ。
先ほどの説明だと、「ドミソはCコード」であるが、ドだけ鳴らしてもCと表記する(そりゃツェー鳴らしてんだからツェーやろ。という感覚)

それに当てはめて、アクモンの『Do I Wanna Know?」のリフをコード譜とすると
Gm→E♭→Cm→Cm→D→Gm
こんな感じだろうか。tab譜で見比べてみると、

スライドとか細かいのは書いてない。だからこまけえこたぁ気にすんな!

赤く書いてるところがコードとしてカウントした根音だ。
こう書くとわかるようにコード譜だけではすべての構成音を追えてはいない。別にすべての音を追ってコード譜してもいいが、コード譜にその役割はないため書くことはない。
(譜面の違いってなに?という議題にも飛べそうな話だが、筆者も詳しくないため一旦知らないふりで次にいこう)2つの譜面を見比べて分かる通り、確実に、コードから考えてない。「ドゥルドゥドゥ〜〜〜からいこう」と考えてるのではなかろうか。

ここに「コードにとらわれない」の答えが1つあると思う。リフやギターフレーズ主体で考える、ここがもしや友人の彼の言う「コードにとらわれない」なのではないだろうか。

(一旦ジャズも置いておかせてほしい。ジャズは未踏の地…筆者の僕は"枯葉"も理解していない…)

リフという考え方

ロックにおけるリフを考えていくことで、友人の彼の言う「コードにとらわれない」に一つの考えを示せそうなのでこの路線で進めさせていただく。

リフ、リフレインの略で直訳すると「繰り返されるもの」
曲中で繰り返される印象的なフレーズのことを指す。

ここにロック(及び諸ジャンル)とポップスを分ける壁がある。ロックとして名曲とされるものは、このリフが印象的とされるものが多い。
そしてこのリフはコードとしての調和がどう、歌との調和がどう、ではなく「かっけーか否か」が判断基準に置かれることが多い。

(例外は数多くあるだろうが一旦置いておいて)日本におけるポップスと、リフ主体の楽曲(ロック問わず)には大きな構造上の違いがある。
日本のポップスは、イントロ→Aメロ→Bメロ→サビ…とセクションひとつひとつが区切られている。
イントロのフレーズがAメロの裏で鳴っていることは少なく、Aメロのときは歌のバックサウンドとして楽器類は機能している。

一方、リフ主体で考えられている楽曲はイントロでリフを弾いた場合、Aメロで伴奏に徹するように切り替わるわけではなく、リフの上に歌メロが乗ってAメロとして機能している。
そもそもAメロとここでは形式上表記しているが、あくまで邦楽ポップスに寄り添ってるだけであり、ジャンルでその形をとってはいない。

逆に言えば、イントロとAメロをくっきりと分けたらポップスぽくなるし、リフを繰り返す構成にすると、ポップスから離れる。
これは作曲上のヒントとして覚えておくといいだろう。

もちろん、リフというのはギターだけの話ではない。ベースで弾いても、ピアノで弾いても、シンセで弾いても、なんならコーラスワークでもリフを取ることができる。

(コーラスがリフと捉えられそうな例↓)(何回聞いても頭おかしいな…)

ギターにおいても単音と思われがちだが、コードリフというものがある。(コードリフの例↓)(なんならこの曲はギターソロもコードである)

上のSalyu×Salyuは、ハーモニーが丁寧に重なっていく。が、考え方は「でっ!でっ!」というコーラスのリフに色んな楽器(歌も含め)が重なっていっているという形で、リフ中心楽曲の考え方にある。
ACIDMANのほうはコードでリフを鳴らしているが、それは歌のために存在しているコードではない。コードの上にギターが乗って、そこから展開している。リフ中心楽曲の考え方だ。

さらにさらに言えば、イントロとAメロが区切られていたとしても、イントロだけで印象的なリフが鳴らされていて、ロックの名曲と称される場合もある。

ここで定義をガッチリさせておくとまだまだ例外は尽きないが…とりあえずは、なんとなくリフの考え方をなんとなく掴んでくれると嬉しい。

つまりは…

最初の問いに戻ろう。
「コードにとらわれていない」のが"ハードコア”、ではないのではなかろうか。ハードコアにももちろん"和音"はあるわけだし。もちろんコードも鳴らすし。

前述までのことを踏まえると、作曲上で、コードは全ての音楽にあるが、「歌があり、それに伴奏としてのコードがある」のか「リフがあり、そこに歌をのせる」のかで、「コードにとらわれる」が左右されそうだ。

「とらわれる」という単語を使うのでネガティブイメージっぽく聞こえるが、コードと歌の旋律を考える楽曲ももちろんそれはそれで素晴らしいものだ。

ざっくり言うと、つまりは…
「伴奏に歌が乗るのか」「歌に伴奏が乗るのか」
さまざまなジャンルにこの違いがあり、彼の考える「コードにとらわれない」はこの違いでありそうだ。

なので彼には、「ハードコアも確かにそういうの多いけど、"コードにとらわれない"で考えるなら、ジャンル問わずめちゃくちゃいっぱいあるよ。だからいっぱい聞いてみようよ」
と言いたい。聞いてくれた?
感想待ってるで〜。

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著者;ひろむ
サウラボのコンテンツディレクター。曲を作って歌う人。
ライターやラジオパーソナリティーといった側面も持つ。
Twitter:https://twitter.com/9630166

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