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胸躍るままにブルースを_07

三、胸いっぱいの愛を_02

 三階の楽屋から下りてきた三人と、軽く食事をしに外出しようという話になった時にボンゾーが僕を呼び止めた。表情を察した僕は他の三人に「ボンゾーと話したいことがある」と言って楽屋に戻ることにした。

ボンゾーはライブハウスのスタッフに頼んで買ったのだろう、ラウンジのバーカウンターにある小さな冷蔵庫で冷えている瓶のコーラを僕の前に置いて隣に座った。楽屋には淵に沿って丸いランプがたくさん付いてる大きい化粧鏡が三つあり、それをお互い目の前にして並んで座っている光景は、まるでオカマバーの控え室の様で笑い出しそうになった。

 乾杯とは言わずにコーラー瓶をチンッと鳴らし、一口飲んでからボンゾーが「お察しだと思いますが・・・」と切り出した。

 「もう一年もバンドをやっていて、何も進展が無いことに焦り、余計頑張って、その内その焦りを都合の良い言い訳で押しつぶして、その反動で不安だらけになって、そんな繰り返しが正直もう耐えられようがありません」

 ボンゾーは話し始めるなり核心を躊躇なく語った。遠回しな言い方や相手に理解力を要する話し方を嫌う彼らしい告白に「わかるよ」と僕は頷いた。

 「僕、今年いっぱいでバンドを辞めます。」

 「そう決めたのかと思ってたよ。他に宛てのあるバンドは決まっているの?」

 「いや、音楽でプロになる夢を諦めようと思っています」

 「え?」

 僕はボンゾーの言ったことをきちんと理解していたが、その内容があまりに衝撃的だった為にハッキリと同様した。そんな様子を冷静に見てたボンゾーは、僕が今の一言では理解出来なかったのではないかと気をきかし、もう一度丁寧に説明してくれた。

 「プロミュージシャンになるって夢は諦めて、ドラムは趣味としてやっていこうと思ってます。」

 バンドの脱退については安易に想像出来たが、まさか夢まで捨てるとは。僕より三つ歳が若いボンゾーは、ここで今のバンドを辞めてもまだ可能性はある。音楽が生業になっていないというだけで、実力はプロなのだから。

 「スタジオミュージシャンの道も考えました。だけど、以前お仕事をいただいて現場に入った時、僕はただのリズムマシーンだってことに気が付いたんです。言われた通りにドラムを叩くだけの、ただのリズムマシーン。そこが登竜門で、そこから地道に名前を売ってゆく厳しい仕事だっていうことも承知しています。そしてその茨の道の先に自分が好きなように叩ける場所があることも。だけど、それまでの長い修行の過程で、自分にとっては叩くことが一つの『癒し』でもあるドラムが、そんな苦しいものに変わっていってしまうという事が耐えられません。そんな辛い気持ちでドラムを叩きたくないんです。僕はドラムが大好きなんです」

 汚れ無きドラムへの純愛

 なんだかそんな言葉が浮かんだ。

 世の中の所謂「バンドマン」達が音楽をやる理由はさまざまあり、その全てが音楽への純粋な愛でないのは確かだし、軽音楽の世界で成功する上でその愛が必須という訳でもない。

だからこそ、余程の運が無い限り、どこかで己に見切りを付け、音楽をやっていたことを誰にも知られずにこの世界から去ってゆく。立派な志を持つ者であってもそれは同じだ。

しかし目の前にいるこの男は、立派な志と恥じらい一つない実力を持ち、それでいて登竜門を開いた運も持っていておまけに若いというのに、己の打ち込んだ楽器を愛するが故にこの道を降りると言う。あまりに美しい音楽、ドラムへの忠誠を目の当たりにして、途端に自分の顔を両手で覆いたくなった。

 「これからはどうするの?」

 「まずは自分が熱く向き合えるものを探して、それを生業にする為の行動に出ようと思います。場合によっては学校に入ることも視野に入れています」

 ボンゾーはドラムジャンキーと言える程、いつもドラムについて考えていた。スティックが手元に無い時は両方の人差し指をスティック代わりにテーブルなどを叩いていたし、色んなバンドのドラムをカバーしてはその構成を研究していた。自分が好きだと思った事にとことん熱中出来るボンゾーならきっと、音楽以外の分野で必要となる努力も、それが努力とは思わずに大成に向けて無理なく続けてゆくことが出来るだろう。

 「わかった。そうしたら後で皆に話さなきゃね」

 そこまで話して僕はちょっと温くなったコーラを一気に半分飲んだ。僕の胸の中でざわめいていた羞恥心をコーラのきつい炭酸で落ち着かせようとしたところ、不謹慎にも「グェーッ」と長いゲップが出た。おかげで少し落ち着いた。

 ボンゾーの胸中に空きあらば、バンドの継続を提案しようと思っていた僕だがすっかり鼻を折られていた。おまけに「まだあのバンドに縋るのか?」と言われたような惨めな敗北感、穴があったら入りたいという言葉は実によくこういった心中を上手く表現しているものだと感服した。

 それからは、先輩・後輩関係である僕らだけの思い出話に花を咲かせ、お互いにこれまでの礼を言い合った。

 ボンゾーのドラミングを初めて観たのは、十年前に地元で行われた小さな音楽祭だった。

田舎の小さな町で行われたその音楽祭には、地元のロックバンド、小中学校の吹奏楽部、ピアノ教室の生徒、幼稚園児や保育園児が出演した。その頃僕はちょうど音楽を本気でやっていこうと決意したばかりだったので、何か糧になるものがあればと思い客としてその音楽祭に来ていた。

 僕が通った中学校の姉妹校の吹奏楽部として参加していたボンゾーは、大小様々に煌く楽器を持つ生徒達のど真ん中でドラムを叩いていた。それはおそらくその吹奏楽部の策略だったのだろう、迫力ある音の中で中学生離れしたドラムパフォーマンスを見せるボンゾーに観客は皆感動していた。そして僕もその策略にまんまと乗せられた一人で、最後の演奏を観終えるとすぐに席を立ち、演奏を終えた出演者が歩いてくる通路で出待ちをして、大迫力の演奏を見せたドラムボンゾーに声をかけた。

周りの吹奏楽部の生徒達は冷やかな眼で僕を一見しては通り過ぎていったが、ボンゾーは僕の賞賛の言葉を素直に喜んで丁寧に頭を下げた。おそらくそういった言葉も言われ慣れていたのだろう、母の紹介で一回挨拶を交わした程度の僕への対応はとても丁寧で、そして落ち着いていた。

その時はただ僕が一方的に感動したと伝え、ボンゾーがお礼を言うだけで終わったが、その二年後、僕らはとあるライブハウスのイベントで再会した。当時ボンゾーが在籍していた同級生同士で結成したバンドは、他のメンバーの実力もかなりのものだったが、二年の歳月を重ね肩幅が広くなったボンゾーの音の迫力は飛び抜けていて、その夜も注目の的になっていた。

 ちなみに僕はその時、ドラムの音をリズムマシーンで鳴らしてメロディアスなパンクを演奏する三人組みのバンドで出演していた。その時のギタリストは出来ちゃった結婚の末に音楽をやめてしまい、ベーシストについては解散後に食事へ誘ったところ、「あなたの顔は二度と見たくないです、勘弁してください」と断られて以来連絡は取っていない。

 その夜僕とボンゾーは他のバンドの演奏をそっちのけで、再会の喜びのままにひたすらお喋りに興じた。尊敬しているミュージシャン、好きなバンド、音楽のジャンル、音楽の哲学、そして夢。僕らは在籍しているバンドや演奏している楽器は違えど、音楽に対しての真っ直ぐな情熱はまったく同じだった。数少ない同志を見つけた僕らは、ライブイベントが終わった後も、そのまま打ち上げ会場化したライブハウスで喋り続けた。

 あれから十年、その間にたくさんのバンドマンと出会い、演奏しては、小さな衝突や思考の違いで別れを繰り返した。けれども、同じバンドで一緒に演奏出来なくなることをこんなに悲しく思うのは、ボンゾーが初めだ。そして、こんなに感謝の気持ちが沸き起こることも、初めてだ。

走馬灯の様に巡る思い出に男同士ではにかんでいる内に他の3人が帰ってきた。しかし、僕らが何を話していたについては誰も問わなかった。

 オープンしてから客がちらほら入り口に入ってゆくのを客用ラウンジから眺め、顔見知りの客を探しては挨拶に行って話をした。

今夜演奏するバンドは六組で、僕らはトリの六番目。他のバンドの演奏を観たり、自分の楽器をちょっと触ったりして時間を潰し、少し緊張が感じられた時にライブハウススタッフから機材セッティングのオーケーサインが出た。

 僕らアマチュアバンドに機材セッティングをしてくれるスタッフなどいるわけもなく、僕ら自身が舞台に上がり、暗がりの客席にペコペコしながら機材を用意する。そして一旦舞台からハケて、仕込んでおいたカッコイイ入場曲が流れるのと同時に今度はクールな様子で舞台に上がる。僕はこの様がとても滑稽に思えて、機材を用意したらそのまま演奏を始めないかと提案したことがあるが、何かと理由を付けられ却下された。そのせいかいつもトークまでの2曲は余計に緊張している。

 その夜はいつになく調子が良かった。理由の一つは猿楽が選んだ入場曲だろう。イギリスの伝説のバンド、ザ・ストーン・ローゼズの『エレファント・ストーン』が大音量でスピーカーから流れた時、皆久々に入場前から気合が入った。名曲はどんな憂鬱も容易く木っ端微塵に打ち砕く。

客の身になってみるとザ・ストーン・ローゼズをずっと聴いていたかっただろうが、川畑がステージで手を挙げると同時に音楽は止まった。そして始まった僕らの演奏は、今までで最高と言えるであろうボンゾーのドラムの音に全員が背中を押され、一体となったサウンドが小さなライブハウスを揺らした。

ステージの袖にあるキーボードを立って演奏する僕は、笑顔で大好きな楽器を演奏するメンバーを見つめていた。そして踊る様に客に手を差し伸べ、まるでステージで巻き起こる「饗宴」に誘うかのように歌う美優を見つめていた。

一年半前、美優の加入と共に唄うことを止めた自分は、本当にキーボードなんてやりたいのだろうか?そんな自問を掻き消そうと僕も一生懸命体を揺らして演奏した。

そして、笑顔で、全員に目配せしながら叩くボンゾーのドラム音はまるで、「ありがとう」「愛してる」と唄うバラードの様で、強く、優しく、格好良かった。



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