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胸躍るままにブルースを_06

三、胸いっぱいの愛を_01

 コーポラビッツのベーシスト猿楽と僕は馬が合った。

もともと好きな音楽が似ていて話が弾むというのがその理由だと思うが、一番有力なのは、お互いにビートルズが大好きだからだろう。普段からライブ当日はよく楽屋やオープン前のライブハウスのラウンジで尽きることなくお喋りをしていた。

 ちなみに、僕は麻里と朝帰りでアパートに戻り、急いで機材を用意して、迎えに来た川畑のミニバンに乗り込んだ。麻里はもう一眠りする様子だった。当然だろう、僕らはビールとカクテルで気持ちよくなった勢いでまた二度愛し合い、二時間の仮眠の後シャワーを浴びて、朝七時にホテルを発った。おかげで僕も良い感じのハイになっており、リハーサルではバンドの史上最高の名演を見せた。

 ライブハウスでステージに立つようになってから今までずっと疑問なのが、リハーサルを終えてから出番までの控え時間の長さだ。夕方五時にライブハウスがオープンして六時からイベントが始まるというのに、なぜ昼間からリハーサルをやるのだろうか。単発系の短時間バイトを途中に挟めそうなくらい莫大な暇を持て余す。ただ、この持て余す時間の中で気の合うメンバーとたっぷり喋ったり、他の出演バンドのメンバーと交流を深めるのは案外好きだった。滅多に出逢えない、自分のバンドにすら居ない事の方が多い、自分と音楽の好みが合う人間とたくさん意見を交わせるからだ。

猿楽とそれぞれ最近ハマっているバンドや、影響された本、それらを自分達の曲に取り入れたらどうなるか等の話をする時間は非常に楽しく、目が覚めた。

 「仁君、この前俺が持ってきた新曲、今回は仁君が歌詞を書いてくれないかな?」

 猿楽は前の週の練習の時に新曲を発表し、休憩中にスタジオのスピーカーを通し皆で大音量で聴いた。

猿楽らしいポップでキャッチーな曲調で、その上バンドメンバー全員の個性が引き出せるような魅力があった。今まで猿楽が作ってきた曲は二曲あるが、どちらもライブでは好評で、つまり彼のミュージシャンとしてのセンスもバンドにとって不可欠なものであった。

僕はたった三種類ほどの和音で構成され、同じメロディを何度も繰り返す猿楽が作る古風なポップが大好きで、あえてチープな響きに作っているデモを聴きながら頭の中でどういうアレンジが合うだろうかと色んな案を巡らせていた。五人で演奏した時、その案の通りに音が鳴ってくれることは絶対に無いのだが。

 「美優ちゃんの歌詞みたいな文学的なアプローチもいいんだけどさ、俺はもっと身近な歌詞の曲があっても良いと思うんだ。コポラビの前に仁君が唄ってたような、いい意味で人間臭い歌が。解るかい?」

 ちなみに「コポラビ」とはコーポラビッツの略称である。他にも馴染みのライブハウスのスタッフの方々は「ブランド」の調子で「ラビット」と「ビ」にアクセントを付けて言ったり、馴染みでないライブハウスのスタッフの方々には「コーポさん」と呼ばれることがあった。

 元々は僕、ボンゾー、川畑、猿楽の四人が集結した際に『トナリノウサギ』と名乗っていたことが始まりで、その後美優の加入と共にバンドイメージと名前を一新することにした。

 ちなみに『トナリノウサギ』時代、僕らは汗をかき、体を揺らし、何度も飛び跳ね、たまに足元のモニターアンプを破壊する荒々しく男臭いパンクバンドだった。

 (トナリノウサギ)というバンド名を聞いた美優が「集合住宅の隣にウサギが住んでいるようで、なんだか可愛い名前ですね」と言ったことから(加入当時は敬語だった)、せっかく可憐な女の子がボーカルとして加入したのだから、もっとカッコいいバンド名に変えようということになった。そして、美優が言った「集合住宅の隣にウサギが住んでいる」というイメージから、アパートの名前によく使われる「コーポ」という言葉を引用して今の名前に落ち着いた。カッコいい印象を狙った改名は功を奏し、その後バンド名だけを見た人からは「ヴィジュアル系だと思った」とよく言われるようになった。

 「うん、解るよ、考えておくよ」

 猿楽の提案を受け止めて一瞬、様々な返事のパターンが脳裏を過ぎったが、たった一言の空返事しか出来なかった。ボンゾーの脱退の確信に加え、そもそもバンドが僕の作品をあまり必要としていないだろうというある種の劣等感を強く抱いていたからだ。事実、ここ半年以上僕はバンドに曲を書いていなかった。

 あまりにシンプルな返答を不信に感じたのか、猿楽はジっと僕の顔を見ていた。そして何度か小さく頷き、右手に持っていた煙草の箱とライターをそれぞれ両手に振り分けて、右手の中指、薬指、小指で青色のライターを支えながら、人差し指と親指で左手の煙草の箱の蓋を開けては一本取り出し、そのまま口に咥えた。火が灯ったライターを口元に運び、煙草の着火点を囲む左手の中で「仁君さぁ・・・」と独り言の様に呟いた。

 「最近あまり曲を書かないし、特に歌詞なんてほとんど書かないじゃん?ボーカルの美優ちゃんが歌いたいことを大事にしたいってのは解るけどさ、それじゃぁこのバンドは成長出来ないと思うんだ。」

 猿楽は長くゆっくりキャラメル色のフィルターを咥えて、さらにゆっくりと煙を吐いた。

 「美優ちゃんは歌い手としては申し分ない実力・・・、というか才能?を持っていると思うけど、クリエーターとしてはまだ未熟だよ。難しい言葉や言い回しを使って自分のセンスを表現したいのだろうけど、あれじゃぁ聴き手は引いちゃうよ」

 僕は猿楽が細目に灰を落としている黒ずんだアルミ製の灰皿に目をやりながら頷いた。

 「もちろん洋楽なんて言葉の意味も解らないで、メロディや曲が持つ空気、音楽そのものを楽しむものだけどさ、そういう思考って日本では本当に音楽好きな人達が持つものじゃん?ほとんどの人はその人が歌う内容に注目する」

 真剣に猿楽の話に耳を傾けながら、いつも一緒に洋楽を聴いている麻里は(音楽好きな人達)の一員なのだろうかと少し考えた。

 「正直、内容さえ良けりゃメロディなんて二の次っていう本末転倒な欠点すら生まれているけどね。でもやっぱそれくらい皆歌詞を聴いているんだ。俺は仁君が書くまっすぐな歌詞は、たくさんの共感を得られると思うよ?」

 猿楽は僕の方を見ながらまだ長めに残っている煙草を灰皿に押し付け火を消した。三階の楽屋に続く階段から誰かが下りてくる靴音が二人だけのラウンジに響き渡る。

 狭い区画に建てられたこのライブハウスは三階建てで、一階にライブスペース(禁煙)、二階に客用ラウンジと小さなバー、三階に楽屋とレコーディングブースがあった。二階の客用ラウンジの裏手にも楽屋はあるのだが、そこは「ベテランの出演陣が使う場所」というイメージがあり僕らはいつも三階の半分物置みたいな楽屋にコソコソ隠れていた。しかし、結成直後に初出演をしてから二年間、このライブハウスのイベントに定期的に出演している僕らは周りから見たらしっかり「ベテラン」だったので、もしかしたら周囲の若いバンド達からしたら「三階はベテランのオッサン達が使う場所」という認識が生まれてるかもしれない。

 「二人で何イチャイチャしてるの~?」

 靴音の主は美優だった。ゆっくりスキップをするように長く茶色い髪を揺らして僕らが座る窓際に歩いてくる。

 「川畑さんとボン君さ、ゲームの話始まっちゃってつまんなくて逃げてきちゃった!」

 美優は自分用の椅子を持ってきてそこに腰かけた。出番に向けて髪型はセットしたのだろうが、マスクを付けた顔を見る限りメイクは後でやるようだ。

 「いや、僕らも釣りの話とかしてただけだよ」

 僕はなんだか気まずくて、頭にふと浮かんだ嘘をそのまま言葉にした。するとそれを聞いて猿楽が姿勢を正してもう一本煙草を口に咥えた。

 「いや、歌詞のこと。この前俺が持ってきた新曲、仁君に歌詞を書いてもらおうかと思ってさ」

 猿楽はハッキリと言い切るなり、ふーっとゆっくり煙を吐いた。何食わぬ口調で猿楽は答えたが、その言葉が彼にとってどれだけ重要なものか、美優に対してのしっかりとしたまなざしを見ればすぐに解った。

 美優は一瞬顔から笑みが消えたように見えたが、すぐにいつもの無邪気な笑みを見せた。

 「そうだよね!仁君最近歌詞書いてないし、私も仁君の書く詞を歌いたいよ!」

 いつもより眠たそうに見える美優のすっぴんの目は笑っているようだが、マスクの下の口はわからない。もしかしたら牙を剥き出しているのではないかと思ってすこし気味悪くなった。

 「ありがとう、まだ猿楽さんから聴かせてもらったばかりで演奏も固まっていないんだし、ゆっくり考えてみるよ」

 僕もいつもより眠たい目を全力で笑わせて見せた。とりあえずこの話題を早く終わらせたかった。沈黙が訪れそうな気配に気が付いた美優がより明るい表情で猿楽に向いた。

 「猿楽さんは今回どんな歌詞にしたいの?」

 「カッコいいコポラビだけじゃなくて、人間味のあるコポラビを見せたいんだよね。だから、いい意味で泥臭いような、恥ずかしくなっちゃうような、すごく身近に感じる曲にしたい」

 猿楽は言葉を選んでゆっくり話しているようだが、それはこの場は丸く収めようという意図ではなく、先ほど僕に話したように「歌詞が芸術的過ぎてリスナーが引いてる」という旨をきちんと美優に理解してもらう為の話し方だった。

僕らはこういった気まずさを生む空気を避けてきた。つまり、言いたくなくても言わなければいけないことを言わないで二年も活動してきた。そして、それが原因で二年間ずっと停滞していることにメンバー全員が気が付いている。猿楽もいよいよ痺れを切らしたのだろうか。真剣な猿楽の話を聞く美優の様子も真剣になっていた。

 「そっか、人間味のある歌か・・・。私の書く歌詞、いつも内容が難しいって周りから言われちゃうもんね・・・」

 「美優ちゃんは美優ちゃんの曲に対してのこだわりがあってもちろん良いと思うんだ。周りから何を言われても、そのこだわりに徹して突き詰めればきっとそれが美優ちゃんにしかないブランドになる。そしてその美優ブランドを愛するファンはきっと増えてゆくんだよ。ただ、今回俺が持ってきた曲で表現してゆきたいのは、何度も言うけど人間味。それを引き出せるクリエーターは仁君が適任だと思って依頼したんだ。誰が良くて悪いじゃない」

 猿楽は目しか見えない美優の表情から、少し落ち込んでいる様子に気が付いたのだろう。調和を計る訳ではないが、少し優しい口調で美優を慰めた。

 しっかり話そうと灰皿に置いた吸いかけの煙草の灰の割合が増してゆく。美優は猿楽から視線を外してゆっくり二、三度頷いた。

 それからは猿楽が持前の音楽の知識を用いて、例えばこのバンドのこんな曲の歌詞のようにと、実際にある曲を参考に自分の作った曲のイメージがどういうものなのかを説明した。そして、美優の書く歌詞のアプローチに似ている曲、僕が書く歌詞のアプローチに似ている曲をそれぞれ紹介し、僕らには多種多様の楽曲を作ってゆける可能性があるという希望を示してくれた。

彼は中学生の時にロックに出会ってその魅力に取り憑かれ、今年三十歳を迎える今も少年のように音楽を追いかけている。僕らはそんな猿楽を「軽音楽の博士」として慕い、尊敬していた。彼が培った音楽に対しての視野の広さは、楽曲製作時や、スタジオでアレンジを練っている時にいつも重要なヒントを与えてくれる。猿楽の話を聞いていると、自分たちはまだまだやっていけるのではないだろうかという前向きな気持ちが、胸中でふつふつと沸き上ろうとしているのをいつも実感する。

 「そろそろお昼だから、昼食どうするか川畑さんとボン君に訊いてくるね」

 美優がまた軽やかに三階の楽屋に向けて階段を戻っていった。僕は大きな溜め息と共に胸を撫で下ろした。

 「仁君、君の歌はこのバンドに必要なんだよ。」

 猿楽はラウンジの窓の外を向きながら、独り言の様に呟いた。


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