胸躍るままにブルースを_05
二、アンチャイド・メロディ_02
カフェから出ると、遊歩道に当たる日差しはまだ熱く、「暑いから中入ろっか」と明確な目的も無いまま屋内へ入った。
宛もなくぶらぶらと歩き、麻里の「ちょっと見たい」を合図にアパレルショップへ入り、目についた服の値札を確認してはすぐに出るを繰り返した。どこに行っても聞こえてくる賑やかな雑踏が、まるで自分達の気分を遠回しに訊ねられているように感じた頃、午後十八時の時報がショッピングモール内に響くとともにに僕から帰ろうと言った。
車のキーを回しエンジンが問題無くかかったことに安心し、それからカーステレオにCDを入れてボリュームを上げる。先ほどカフェでお喋りをしてから麻里の元気が無いように感じたので、僕は麻里が好きなエルトン・ジョンのベストを流した。
「ありがとうDJさん」
麻里はそう言って助手席で少し申し訳なさそうに微笑んだ。まるで今の今まで落ち込んでいる姿を見せていることに気が付いなかった様子だったが、おそらく実際に何も気にしてはいなかったのだろう。
エルトン・ジョンの唄声に合わせてメロディを口ずさむ麻里の表情はだんだん明るくなってゆき、曲が終わる度に「綺麗な曲だな~」とか「感動するな~」と独り言を漏らしていた。そして機嫌を取り戻してからは「こんな曲書いてみればバンドに合いそうじゃない?」と、コーポラビッツの編成でも十分鳴らせそうなバラードの細部に指を指すようにして、一曲に対し複数の引用可能なポイントを挙げていた。僕はそのアドバイスを頭の中で分解し、リズム、音の重なりをバンド用にアレンジしては、美羽、川畑、猿楽、ボンゾーをイメージし実際に演奏させてみた。しかし、すぐさまボンゾーの音は止んだ。
そうだ、おそらく彼は居なくなるんだ。
では、今度はリズムマシンを使って音を鳴らしてみる。するとステージに立つ四人のイメージが浮かんできたが、美羽の後ろにそびえていた高台の司令塔は無く、両端の大きな砲台ばかりが目立つ要塞は、主要部を潰されて敗戦から帰還した情けない戦艦の様だった。四人になったとしてももちろん僕は客席から見えない。おそらくベースアンプ横の巻かれたカーテンの裏でひっそり鍵盤を叩いているのだろう。
どうイメージしても前向きになれない思考を打ち破ろうと話題を変えようと思ったが、機嫌良さそうな麻里を見ていると思わず断念した。
僕はなんとなく勢いでへハンドルを回し、子供が見たら興味津々になるような派手な照明に囲われたホテルのビニルカーテンをくぐった。
すっかり機嫌を取り戻した麻里は「ちょっとちょっとちょっと!」と笑いながらハンドルの回転を制止しようとしていたが、僕は「おっとっと~」と陽気にふざけて意外に駐車量の多い敷地内へ車を納めた。
出会ってから四年、色褪せない麻里の色気に酔う度に、このまま子供でも出来て強制的に音楽を止めなくてはいけない状況になれば良いと本気で思ったりすることもあった。
そんなトラブルを演出しなくても、音楽を落ち着かせて、ちゃんと仕事をして、プロポーズして、カフェで見た遊歩道を歩く家族の様に、(普通の生活)を送れるようになれたら、それが一番幸せなんじゃないかと思うこともある。
だけどいつも「これまで積み重ねたもの」という世間的にはまったく価値の無い財産を理由に、容易く夢を捨てられない。それが出来たらどんなに楽だろうと真剣に思い悩んだりもする。
いつも麻里の白く柔らかな肌に触れる度、唇を当て、舐めたり噛んだりする度に、(普通になれない)罪人の僕が女神の裸体に罪の告白を重ねてゆくような気持ちになる。この全身で感じる幸せは僕にとっては身分相応では無く、いつか大きな罪として裁かれるのではないだろうか。
呼吸がまだ落ち着かないまま2人でベッドに横になっている時、僕は麻里に泊まってゆこうと提案した。麻里は次の日のライブを心配したが、心配いらない、練習する程の曲じゃない、気持ちを作って望むライブでもないと言ってほぼ無理やり提案を可決させた。
有線のチャンネルをジャズからオールディーズに切り替え、ビールとカクテルを注文し、ベッドの上で裸のまま乾杯した。麻里は「美味しい」と静かに笑うと、その笑みの余韻を残したままピンクゴールドのカクテルグラスを昇る小さな泡を眺めていた。
「この歌、懐かしい、好きだった。最近聴かなくなったね。」
有線のオールディーズチャンネルからは、ライチャス・ブラザーズの『アンチャイド・メロディ』が流れていた。
幼い頃に観た映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、主人公のマーティ・マクフライが演奏する『ジョニー・B・グッド』に衝撃を受けた僕はオールディーズに興味を持ち、コンピレーションCDなどを中古ショップで探すのが日課でもあった。麻里と付き合い始めの頃、カーステレオには『懐かしのベスト・ヒッツ・オールディーズ 2』というアルバムが常に回っていて、『ジョニー・B・グッド』、『スタンド・バイ・ミー』、『アンチャイド・メロディ』などの名曲が僕らのドライブを彩った。
「どうして最近は聴かなくなったの?」
「バンドの参考になる曲ばかり聴いているからかな」
他にもう一つ決定的な理由があることに気づいていたが、卑怯な僕は敢えて口には出さずに点いていないテレビを見つめながらビールを少し飲んだ。
『アンチャイド・メロディ』が後半に差し掛かり、壮大で美しすぎる愛の賛歌となり僕の記憶を紡いでゆく。
お金もなく、宛てもなく、ただドライブをしていたあの頃、僕らはいつも夢を描いていた。こんなくたびれた日常を抜け出して、今よりもっと順調な生活をおくれる夢を。
そして僕はその夢を叶える為に、いち早くプロのミュージシャンになろうとひたむきに音楽に向き合っていた。ある時期なんて半日だけラーメン屋でアルバイトをして、美味しい賄を食べて帰宅し、午後はひたすら曲を書いているような時もあった。その時の僕の月収は五万円から七万円程しかなく、足りないお金は全て麻里が工面してくれた。申し訳なさと感謝の気持ちは持っていたものの、惨めさや、情けなさなど、後ろ向きな気持ちは一切持っていなかった。自分がこうして努力することで、他のミュージシャン達の誰よりもストイックに音楽に向き合うことで、必ず結果はもたらされるものだと信じていた。それはきっと麻里も同じだったのだと思う。僕の夢が麻里の夢でもあった。
あの頃、まるで泉から湧き出るかのように曲が書けた。いくらでもアイデアは生まれたし、それを形にする為に費やす膨大な時間も、体力も、お金も、全て価値あるものだと常に前向きに支払っていた。その支払いの対価は最後の歌入れの時、自分が追い続けようやく形にした音の上で自分が唄いたかった歌を唄う喜びは何にも代え難かった。だけど、今はその歌を唄うのは自分ではない。そもそもその歌は本当に自分が作りたかったものなのかさえ曖昧だ。
ビールが身体中を巡り頭に帰ってきては顔を火照らせる。
プロミュージシャンになるという夢の代償に自分がやりたい音楽を手放してしまった本末転倒な今を俯瞰し、なんだか無性に悔しくなってきた。服を着ていないのに、着ている時よりも体が熱を発している気がする。
「バンド、まだ続けられるように頑張ってみるよ。」
思わず口に出していた。出してしまったと言うべきか。麻里と目を合わせることはできなかった。
「え?」
驚いた麻里は、カクテルの泡に視線を引きずられたまま僕に向いた。
「リズムマシーンとか使ってダンス調とか、ドラマーがいなくても出来る曲調はいくらでもある。これを機にもう一度真剣になろうってメンバーを説得してみる」
僕もビールの泡に視線の残したまま、恐る恐る麻里の方に向いた。
『アンチャイド・メロディ』がクライマックスを迎える中、瞳に涙を浮かべた麻里が世界一美しく、そして優しく微笑んでいた。
―「いや、よく考えたら不思議っつーか、なんか奇妙なんだよな・・・」
男は会社の同僚と社用車で煙草をふかしながらぼやいた。
昨夜から何度もテレビで放送されている証言映像は、しがない土木作業員の男をたちまち話題の人へとのし上げた。
起床直後の家族からの電話や、出勤早々の同僚や上司からのニュースを観たという報告、それらの対応に追われているうちに、企業が莫大な予算をかけてテレビコマーシャルを流す理由がよく解った。若くして子供を産んだ事務の可愛いギャルまで話しかけてくるくらいだ。普段なんて「オッケーでーす」と「っつかれしたー」しか言葉を聞いたことないのに。
ただ、周囲の質問に答えようと記憶を洗い出してゆく度に、昨夜見た十字路の光景に違和感を感じ始めていた。
「言っても俺がコンビニにビールを買いに行ったのはまだ二十三時半頃だぜ?、だってのに他に客は一人もいないし、駐車場にも道にも、車が一台もありゃしない、そんなことあるかい?」
男は早くなる呼吸を煙草に預けるように煙を吸ってはすぐ吐いていた。
「偶然じゃないスか?そんなミステリーじゃあるまいし」
オレンジに近い金髪の後輩が、左耳のピアスをいじりながら鼻で嗤う。
「いや空港の外周沿いのコンビニだぜ?、夜だろうとお構いなしに貨物車両がバンバン走ってるってのに、そんなことほぼ有り得ないだろう?」
次第に男の口調は自問自答に変わってゆき、煙草を口に加えるペースが早くなっている。
「それにあの時の、あの犯人の歌、なんかノイズが混じったような音に聴こえたんだよな。まるでレコードを聴いてるような感じさでさ」
「俺、レコード聴いたことないから分かんないスけど」
金髪の後輩は左手に持った煙草の箱を、右手の人差し指と中指でトントン叩き、取り出した煙草を口に咥える。
「あのモッズコート着た犯人、幽霊なんじゃねぇの」
男は少し呆れた様子で自答を吐き捨てた。
「いや、きっと悪魔っスよ」
金髪の後輩が煙草に火を点けながらニヤっと笑う。
落とし忘れていた男の煙草の灰が、ポロリとズボンに落ちた。―
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