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青春の後ろ姿のその先5 〜愛と幻想のファシズム⑤〜

 ゼロはスピードの頂点から降りてシステムになることを拒否し、トウジは受け入れた、つまりゼロが言うところの「無邪気で、真剣で、途上にあって、若くて、しかも現実にはすでに権力を握ってる」若いゲリラたちではなくなったことをまるで見透かすかのように、また、予見していたかのように
「ボク達を撮ったものはどうなのかな」
とトウジに問いかけます。そういう意味ではゼロにとっては日本国とか世界情勢なんかどうでもよくて、国家とか社会とか全部「愛と幻想」に過ぎないと見切っていたのかもしれません。
 ゼロの死は、この小説が文学であり続けようとする根拠にもなっています。ですから、主人公には決してなり得ないけれど、主人公以上にテーマ性を帯び、欠かせない存在がゼロだと思います。

 ちなみにトウジとゼロのような図式といえば、アニメでは「鉄コン筋クリート」の「クロ」と「シロ」、マンガだと「アキラ」の「金田」と「鉄雄」、映画だと「ワンスアポンアタイムインアメリカ 」の「ヌードルス」と「マックス」‥‥‥。現実世界では、やっぱりフィデル・カストロとチェ・ゲバラ、清志郎とチャボ、かな?

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