三月大歌舞伎感想
三月大歌舞伎
第三部『信州川中島合戦・石川五右衛門』を観覧して
◎信州川中島合戦・輝虎配膳について
「歌舞伎は顔がでかい方がいい」と聞いたことがありました。今まで言葉の真意はさほど気にしていませんでしたが、この度の観覧では自分なりの回答が出ました。「歌舞伎とは舞踊ではなく、舞踏だからだ」と、肌で伝わりました。身体表現として、下へ、そして内へ向けた動作、押し殺した際の声、このどっしりとした印象を与えるには、身体は上部への伸びやかさを重要視するよりも、顔の大きなどっしりと構えたいでたちが必要であることを象徴した言葉として「歌舞伎は顔がでかい方がいい」 ということだったようです。西洋人式の背筋が伸びて体が逆三角形を理想としたスマートな、いうなれば高く飛翔するクラシックバレエダンサーのような姿よりも、腹部をずっしりと誇張したように膨らませ、体幹を下へ落とす様相はまさしく浮世絵で描かれた役者絵や、武士の姿でした。
近松門左衛門の文楽の台本がもととなった今作『信州川中島合戦』ですが、確かに、役者の文楽の人形の並びを思わせる、等間隔で整列する様や、表情を比較的抑えた演技などで見受けられたように思います。当時の文楽作品は上方では、いわゆる江戸時代の人が見る時代劇(現在の時代劇の時代感覚でいうところの幕末〜日露戦争あたりのドラマ)にあたると考えられます。時の権力者の名を避け、過去の武将をコミカルに描くことは、その時代にぎりぎり許された娯楽形態であると察します。さて、文楽から歌舞伎へ転換したこの演目は、現代の講談師である六代目神田伯山(以後神田伯山と表記)の『鮫講釈』を思い出しました。『鮫講釈』はもともと古典落語の話の一つで、話の中で、講談師が登場し、落語家が講談師を演じる場面が見ものです。神田伯山は、講談で『鮫講釈』を行うことで、講談をしながら、講談師を演じるという見事なイリュージョンをしてみせました。浄瑠璃という人の形を模した〈人形〉を扱う浄瑠璃の原作を、歌舞伎へ転用する様は、神伯山の『講釈』のイリュージョンと同様の感動を引き起こしました。
劇中で特別印象に残っているのは、見せ場の一つである、激昂し、多くの着物を脱ぐ輝虎です。私は二階席の俯瞰した視点から見ていたこともあってか、その激昂しながらゆっくりと四枚の着物を脱ぐシーンには<笑いとまでは言えないまでも<コミカル>に見えました。舞台芸術特有の一回性の緊張感がふと緩和したのだと思います。この<緊張の緩和〉を巧みに扱う落語を普段からよく聞いていることもあり、余計に感度が高かったのだと思います。<緊張の緩和>は桂枝雀が理論体系を確立し、ダウンタウンの松本人志が提唱した<緊張と緩和〉の笑いの反復性を説いた理論に発展し、現在もなお笑いの起こる原理というのは語られ続けています。このような、舞台に立つ役者の発する緊張感は、ライブ鑑賞では映像では伝わりにくいことがあり、まさに、今回の鑑賞の機会でひしひしと伝わってきました。中村魁春さんの越路は、圧巻の芝居でした。所作・声・間、どれを取っても、見ている私は圧倒されてときおり息が詰まるような素晴らしい老婆の芝居でした。まさに、演技というより、芝居をみた、という感覚が強いです。ほかの演者にも役の影響力が波及し、それが観客の私まで伝わったという事実、これは一流の芝居を目の当たりにしたな、と感情を揺さぶられました。大名みずからが御膳を運ぶ、という通常ではありえない状況も、見どころでした。御膳の恥を悶んで運ぶ姿、周囲の登場人物の反応など、見事な緊張が生まれていました。
日本刀の殺庫については、かなり新鮮でした、身体を客席に向けるがゆえに、日本刀を、基本的に片手で扱っていました。本来の武器としてのリアリズムよりも、フィクシヨン的な見栄えを考慮した動きは、本来の武術とはまた違った迫力がありました。
增補双級巴 石川五右門
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