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【”人間の”感染力】ウイルス人間とワクチン人間 (1)

<考えていた時の頭の中>
・@ホテル × 人間 × ウイルス と ワクチン  × (アドラー)心理学
・「ワクチンは、ウイルスに及ばない」というぼんやりとしたキーワード

・ウイルス人間とワクチン人間

わたしは人間という生き物自身にも”感染力”が備わっている、と常々思っています。
それは自分自身(容姿、パフォーマンス、仕事、生き方など)を示すことで
「自分にもできそう」「始めてみようかな」「もっと身近に感じたい」という
①活動量を増やすための内なるエネルギー
②より良く発展しようとする意思 
2つを周囲に持たせる能力のこと。

この能力を持つ人を、ウイルス人間と呼んでみます。

※ ここではYoutubeやその他SNSを介して情報を拡散することにのみ価値を持つインフルエンサーのように、スマホの画面を閉じれば存在が消えてしまうようなものではなく、自分の生活圏に実在し、直接的・間接的に力が及ぶ人のことを想定しています


これに対し、①と②を著しく奪い、停止させ、無力化させる人もいますね。そんな人をワクチン人間と呼んでみます。

ウイルスとワクチン。コロナではなく人間を軸に考えるなら、ありがたみがまるっきり反転するのが面白い。

さて『自分の生活圏に実在し、直接的・間接的に力が及ぶ人』について考えるなら、私の周りには前者のタイプが一人でも多くいてほしいと思うのですが、あまり思いつかない・・・。はて、両者の違いは何なのか。

・貢献値と反価値

大前提として、ウイルスは意思を持ちません。自分の複製を増やす=影響の範囲を広げるという本能(プログラムとも)があるだけで、感染者の数はただの結果にすぎません。

一方で「ウイルス人間に意思があるかは否か」その人と場合によりますが、彼らが良い影響を及ぼす人の数は”ただの結果”などではなく、いわば「未来への(社会)貢献値」です。
ここを評価の対象とできるか否かで、会社組織や社会(地域)、家族などの”集団”が持っている『器の大きさ』や『先見性』、『哲学』が垣間見えるところ。
具体的な数字に落とせる、つまり数値化の可否や表面的なファクトだけを評価基準・判断の指針にしていると、未来への貢献値が蓄積しにくいのではないか、と思います。

そしてワクチン人間。
彼らも影響の範囲は外側に向いており、一見ウイルス人間の態度と似ています。しかし、彼らの態度が目的とするのは停止と無力化のため、彼らが影響を及ぼしてしまう人の数は、言うなれば「未来への反価値(無価値)」。

自分自身、または特定の”その人”が、(良い)影響を広く伝え、同じ機能を増やすウイルス人間なのか。

それを考えたり、確認するための時間や機会は必要かもしれません。

(続)


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