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我が子のこと

私の子供は配慮が必要な子だ。
いわゆる、発達障害である。

問題が明るみに出だして2年になる。
4月に小学校に入学した。息子と一緒に、ハラハラドキドキしながら過ごしてきた3ヶ月。
やっと小学校にも慣れたかな?
息子の表情が穏やかになり、冗談を交えながらの楽しい日常がまわりだした。
そんな私のつれづれ。

(以下は、私が体験した記録です。当時の心情のままの表現も含まれますので、不快になられる方がいらっしゃるかもしれません。
障害者と言われたり、発達凸凹や様々な生きづらさを持つ子供たちも、当然ながらどの子にも輝くものがあり尊重されるべき個人であると私は思っていますし、差別するような心を持って書いていることは決してないことをご理解いただきたいです)

1.え、発達障害…?
2.我が子の実態と私の心
3.それから
4.信じること
5.我が子へ

1.え、発達障害…?

私は正直、子育てをナメていたと思う。子供はほっておけば育つとそう信じていた。

息子は小さな頃から少し変わったところがあった。感覚が過敏で、虫除けスプレーを嫌がったり、スキーウエアが着れなかったり。プールを極端に怖がったり、お友達と関わるのが苦手だったり、偏食がひどかったり。
だけど、基本的には大人しくて、素直で、ニコニコして穏やかなとてもいい子だった。
私は、全く心配していなかった。この子は大丈夫という自信(今思うと全く根拠がないのだが)があったのだ。

過敏さや人間関係の難しさは、HSC(繊細な子)だからだと思っていた。ちなみに、うちの夫もバリバリこの気質をもっている。だが、まぁわりと楽しく生きている(と思う)。(いろいろと困難はあるようだが)

うちは、私も夫もけっこうな高学歴だ。(学歴だけが全てとは思わないが、当時の私の幸せの基準のわりと大きな一つの要素だったかも…人より秀でているということが自信のひとつになっていたんだと思う)
私は、さほど苦労しなくても成績はトップだったし、運動もよくできた。何もしなくても周りにはいつも友達が寄ってきたし、やたらモテた。欲しいと思うものは、多少努力すれば手に入った。
そんな環境もあり、私は、たぶん人より自己中心的で、なんか知らんが自信に満ち溢れている人間だったと思う。

調子にのっていたんだと思う。
自分の子供も自分と同じような人生を送ることを疑いもせずに信じていた。

息子が年中の春、幼稚園の先生に勧められて発達相談を受けたとき、保健所で言われた。
「発達が遅れています。療育を受けたほうがいいです」

…そうか。そう言うならそうしよう。

まだ現実味がなかった。
初めての場所は苦手だから。普段やればできるのに。まだそんなの教えてないし。まだ子供なのだから、苦手なことだってあるだろう…

よくわからなかったが、療育施設を見つけ出し、通わせる手はずを整えた。

やっと落ち着いたとき、ふと見かけた「発達障害」の文字。
一応読んでみるか…
読み進めるうちに、青ざめた。
これは、我が子のことだ。

2.我が子の実態と私の心


発達障害…?話題になったいたのでなんとなくは知っていた。
まさかうちの子が…?なんで私の子が…?

いわゆる「普通」から逸脱しているということに、大きな不安を覚えた。
当たり前のように描いていた、小中高大学、就職、結婚…
(いや、今の時代当たり前ではないんだけど)
そこから大きく外れた人生を歩むということなのか…?
これからのこの子の生活はどうなるのか。
友達はできるのか、勉強はできるのか、いじめられるのか、自立できるのか、働けるのか、愛されるような子に育つのか…
障害者になるってこと…?
自分の人生を幸せと思えるようになるのか、幸せに向かうように自分で努力できるのか、
そもそも幸せがわかるようになるのか…?
様々な疑問と不安に押しつぶされそうで、自分を保つことができなかったと思う。

ただ毎日泣いてばかりもいられない。私はもともと凝り性なのと医療職なので、膨大な情報を必死に読み込んでいった。
実態を把握するのに3ヶ月かかった。知れば知るほど息子の足りない部分が露呈し、愕然とした。

最終的にわかったこと
息子は、すべての発達に遅れがある。
すなわち、今診断をつけるとしたら、知的障害だということだった。
…息子は、障害者になるのか…
(当時のそのままの心情表現です。不快になられる方がいたら申し訳ありません)
そして、息子はおとなしいんじゃない。様々な面で困っているのに、それを表に出す手段がわからない子なのだということ。

なぜ私はもっと早く気がついてあげられなかったんだろう。根拠のない自信に満ち溢れていた過去の自分が心底嫌になった。
考えてみると、私は、息子が2歳のときから発病し、息子どころではなく、おとなしい彼を好都合だとほっておいたのだった。
あんなに欲しかった子供。何より愛していると思っていたのに。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

楽観的な私もさすがに気分を上げられなかった。けっこう荒れていたんだと思う。できない息子に苛立ち、冷たくあたっていたかもしれない。
そうしたら、息子の体調が崩れだした。
夜になると「おしっこが出る」と言って、トイレから出てこれなくなった。出しても出しても尿意があるようだ。
もう出ないのに…
そして、腹痛も頻繁に訴えるようになった。「おなかが痛い」とうずくまり、抱っこしてなでて欲しがる。
膀胱炎?便秘…?
普段ほとんど体調変化ない息子の異常にとても心配した。
結局、数週間で症状はおさまったが、後から考えるとあまりの私の不安定さに彼は不安になり身体症状が出てしまったようだった。

私がしっかりしなければ。
私が彼を支えてちゃんと育てていかなければ。
私は、彼のためにできること全てを捧げることを決意した。

3.それから


落ち込んでいてもしょうがないと思った。「すぐに前を向き、猛突進する」それは、私の長所だろう。
それからは、ありとあらゆるものを始めた。
発達の遅れはあるが、そこを成長させることもできるという情報を信じて、手当たり次第に始めた。

ビジョントレーニング。感覚統合。体幹、ボディイメージ、足育、整体、原始反射抑制。粗大運動、微細運動トレーニング、コミュニケーションを変え、指示を変え、言語トレーニングからSSTまで、本当に家でできることを何から何まで試した。

加えて、外に連れ出して様々な体験をさせた。
ホテル、水族館、遊園地、乗馬、気球、牧場体験、トラクター試乗、カヌー、果物狩、キャンプ、動物と同泊できるグランピング、観覧車、プール、船、電車、お祭り、外食、山登り、収穫体験、触れ合い体験、虫取り、スノーチューブ、マラソン…

子供と一緒であれば当たり前の体験ばかりかもしれない。
しかし、コロナ禍でしかも、病気で自宅で寝たきりだった私。そして、周りが怖くて縮こまり、特定の物にしか関心を示さなかった息子にとっては新鮮で新しい刺激の連続だった。

必死だった。
最初は、反応がなかった。
「あ、あの花見て!かわいい」
そう言っても、聞こえていないのか、視点を合わせられないのか、見えても興味がないのか、どんな感想を言えばいいかわからないのか…
全く動かない息子。何も言わない。辛かった。
ねぇ。なんか言ってよ…無視は辛いよ。なんでもいいから言って…?
こんな日々が続いた。

しかし、彼はだんだん「覚醒」しだした。そう、文字通り私は覚醒だと思った。
まず、体を動かすことが好きになった。やっと思い通りに動けるようになってきたのだろう。そして、動くことに対する恐怖がだんだん減ってきたんだろう。
表情が明るくなった。
性格も明るくなった。
おとなしい彼の本当の姿は、ひょうきんでユーモアがあるいたずらっ子だった。よくしゃべり、よく笑い、よく歌い、よく踊り、よく遊んだ。
そして、なんでも挑戦するようになった。以前は、何を提案しても「いいよ、しない」という反応だった彼。
今は、だいたい「やってみたい」と言う。

「あ、あの花見て!かわいい」
そう言うと、彼は「ホントだ!かわいいねぇ。見て、お母さん。てんとう虫がいるよ!」
もうあの頃とは別人だった。
前の彼に戻ったらどうしよう…1年くらい不安で仕方なかったが、彼は前に進み続けた。

4、信じること


私は、人と関わるのが好きじゃないのであれば、無理しなくてもよいと思っていた。
もちろん、今でもそう思っている。
ただ、息子の場合は、関わりたくないのではなく、関わり方がわからなかったのだった。
気がついてあげてよかった。あのままだったらと思うと、ゾッとする。

もちろん今でも問題はいろいろとある。苦手なこともたくさんあるし、配慮が必要な子だ。
だけど、きっとこの子は大丈夫、私はまた根拠のない自信を取り戻した。

障害があるといえば、そうなのかもしれない。
けれど、うちの子はちゃんと検査も受けていないし(まともに受けられないという事情もありつつ…汗)、今の困りごとに対して、周りの大人が配慮をしつつ、できることを増やし、楽しめる環境づくりをサポートしてもらうという生活をしている。
彼は彼なりに、小学校やデイサービスでの過ごし方をみつけ、関わり方を勉強し、楽しいことをみつけながら日々を過ごしている。

そして、思うのだ。
私はもちろん彼が困っていれば支えるし、一番の味方だけれど、彼は自分で彼の人生を歩むのだということを。
時には周りの人に助けてもらったり、逆に助けたり、楽しい思いや時には嫌な思いをしながらも、自分で自分の道を作るのだということを。

先のことはわからない。もちろん不安もたくさんある。けれど、今いろいろありながらも、楽しみ方をみつけられるように育った目の前の我が子を信じようと思う。
何かあったら、そのときまた考えればいい。私の知識と情報収集力と行動力、彼の意欲と明るさと少しの粘り(最近はほんのちょこーっとだけ出てきた…かも)で、どんなことも乗り越えてゆけると信じる。そう、今は信じることしかできないから。

私は、漠然と我が子の将来を、勉強も運動もできて、スマートで、女子にもモテて…みたいなイメージをしていた。
でも、そんなことは今はわりとどうでもいいなと思う。ま、あったらいいに越したことないけど(笑)

今思うことは、息子の日々が幸せでありますようにということ。
勉強や運動ができなくても、何か大好きで打ち込めることがあればいい。女子にモテなくても、誰か一人でもいい。大好きで、信頼できる相手と出会って心を通わせてほしい。
そんなことを思っている。

5.我が子へ



生まれてきてくれてありがとう。
お母さんは、あなたと会いたくて会いたくて、ずっと待っていたんだよ。
そして、お母さんはね、あなたのおかげで考え方がとっても変わりました。 
他人と比較したり、他人からの評価を気にしないこと、今のあなたをみつめること、今の幸せを実感すること。
言葉としては知っていたけれど、それを実感できたのは、あなたと過ごした日々があったからです。
あなたがいつか自分の人生を見つめるような年になったとき、生まれてきてよかったと一度でも思えるときが来たら、お母さんは本当に嬉しいです。
お母さんは足りないところもたくさんあるけれど、これからもあなたと楽しい時間を過ごしたいし、困っていたら助けてあげたいと思っています。
こんな母だけど、いつも優しくて楽しくしてくれてありがとう。これからもよろしくね。
大好きだよ。



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