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君と笑って過ごせるなら

そもそもの始まりは一昨年、行われた会社の健康診断だった。
いや、それよりずっと以前から始まっていたのだと思う。

夫はここ10年程の間、会社の健康診断で血液検査をする度にヘモグロビンの数値が下がり続け、強い貧血状態にあったようだ。数値は徐々に下がったため自覚症状もなく、その事を会社の中にある診療所の医師に指摘されても、家族にも話さず病院にも行かずそのままにしていた。医師の忠告も聞かず無視していた訳だから昨年の健康診断も結果は同じ。結局、医師に呼び出され「紹介状を書くのでそれを持って大きな病院へ行く事。聞き入れてもらえない場合は家族に連絡をします」と言われてしまったらしい。

どちらにしても私の耳に入るのなら自分の口で…と思ったのか、斯くして夫にとって一世一代の告白をする事になる。何故、一世一代かと言うと、私が途轍もない心配性だという事を夫は知っているから。だから心配をかけないようにと中々、言い出せなかったのだろうなと思う。

夫は「実はかくかくしかじかで………。大きな病院で検査をするように勧められたんだ」と、少し困り顔で言った。私はすぐにでも病院の予約を取ってちゃんと診察を受けるよう強く言った。幸い、家の近くにある大学病院で数日後の予約が取れ、早速、受診した。

まずは血液内科で血液検査。典型的な鉄欠乏症との診断で血液自体には問題なし。それを受け、別の可能性を探るために血液内科の医師の紹介で、そのまま同病院の消化器内科へ。
男性の貧血は怖い病気が隠れている場合があると事前にネットで調べてから行ったので、消化器内科に回されたのは想定内ではあった。

こちらは予約外という事なのでそれから長い時間待たなければならなかった。想定内とはいえ落ち着かない気持ちで待っているとやっと呼ばれ夫が一人で診察室に。
医師から貧血の原因として胃や腸からの出血の可能性が考えられる(出血の原因は様々)という説明を受け、まずは貧血の原因を突き止めるため上部、下部の内視鏡検査をする事になった。この日は検査の予約を取りようやく帰宅。

検査の日まで落ち着かない半月程が過ぎ、やっと内視鏡検査当日。検査は上部、下部と二日に亘って行われた。下部には問題なし。上部は胃壁から組織を採取して検査に回される事に。この時点で心配で仕方ない私は無口になった。

それからさらに半月程して検査の結果を聞く日が来た。この日から私も一緒に診察室に入る事に。
ドキドキしながら診察室に入ると医師からは「悪いものは何もありませんでしたね」と言われた。貧血の原因は慢性の胃炎からの出血である事、ポリープもあるが良性だという事、治療としては鉄分の薬を一定期間服用し、それで貧血が改善されれば良いという説明を受け、ホッと胸を撫で下した。と、同時に不安に駆られながらネットであれこれ調べてため息ばかり吐いていた時間や、診察、検査、結果までの期間が、かねてから予定していたコブクロのライブに参加する日に重なっていて、お陰で心から楽しめなかった事に腹が立って来た。多分ホッとして腹を立てるという余裕が出来たのだと思う。これで安心してまた一緒にコブクロのライブに行ける。
(その後、肝臓の数値に問題が出たため超音波検査も。原因は鉄分の薬の服用によるものと思われ、服用を終了後に改善)

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そして今年の事。
主治医からは胃炎とポリープの事もあるので、数年は内視鏡検査を受けるように昨年、通院しているうちに言われていた。検査は会社の健康診断の結果が出てからで良かったのだが、今年はコロナ感染症の関係で密にならないようにと健康診断は延期になっていた。なのでそれを待たずに診察の予約を取り受診。主治医の指示通り上部内視鏡検査に臨んだ。

すると今年も胃壁から組織を取って病理検査に回された。検査を行った医師からは、慢性的に胃炎になっていた場所の所々にまだ炎症があるという事、胃炎は治ろうとする時に胃壁が盛り上がって来る事があるという説明を受け、あくまでも念のための検査だと思っていたし、そう思いたかった。

それから半月後、病理検査の結果を聞くために病院へ。
貧血の方はすっかり改善されていた。ホッとしたのも束の間、その次には採取した組織から悪いものが出たのだと聞かされた。「えっ」と私の口から小さな声が出た。驚いたが何故かそれは青天の霹靂ではなく、心の中のどこかに冷静な自分がいた。

主治医は「今年、内視鏡検査をして良かったですね。5年も放って置いたら大変な事になっていた」と言った。
主治医によると極々早期。後日、もう一度、拡大内視鏡検査を行い切除する範囲を決め、それから入院、手術。手術と言っても微小なので開腹ではなく内視鏡手術になるのだという。

私の狭い狭い胸のキャパシティは張り裂けてしまわないようにするだけで精一杯だった。それは今も同じ。それに対してショックを受けているであろう夫は、診察の翌日から平気な顔をして会社に行っている。私が途轍もない心配性だから不安な顔が出来ないのだよね。ごめん。

でもね、ずっと元気でいてくれないと嫌なのだよ。
女心など全く理解せずイラッとするし、甘えたかったのは私なのに逆に甘えられている事に気付き何だかイラッとするし、何か始めると自分だけの世界に入ってしまってイラッとするし、何を聞いても「うん」と空返事で返されてイラッとするし、大事な事は何んにも言わなくてイラッとするし…。と、言うかイラッとしてばかりだけれど。
だけど、買ったばかりのスマホのスタンドを手作りしてくれるのも、自作した次男猫の脱走防止柵のメンテナンスも、嫁入り前の娘の駅までのお迎えも、腕や手の関節があちこち悪くて出来ない家事を手伝ってくれるも、コブクロのライブに5296車で一緒に行く事も………。
まだまだやって欲しい事や二人でやりたい事、行きたい場所がたくさんある。
親からも、自分自身さえもダメだと思っているところを、本当は良いところなのだと言ってくれる。いくら文句を言っても怒らず大抵の我儘は許してくれる。長男猫が亡くなり、元気のなかった私を気遣い色々な場所に連れて行ってくれる。そんな優しい人は他にはいない。唯一無二の人。だからずっと元気でいてくれないと私が困る。


タイトルの「君と笑って過ごせるなら」
これはコブクロの歌『陽だまりの道』の歌詞だ。置かれている状況によって一推しの歌は変わるけれど、今の私の一推しはこの歌である。ここ数年はずっと。
全部ではないが歌詞を少しだけ。


♪不器用なまんまで(誰かの言葉を真似して)
上手に生きてるふりしても(何処かぎこちない嘘の自分に疲れてる)
ありのままの君が輝く 道が きっと
どこかで待ってる 今はまだ少し辛くても
喜びを運ぶ風に 乗せて歌おう
明日が今日に 今日が昨日に
時の刹那を歩いてゆく♪


今のままの不器用な私でいいと言ってくれてありがとう。
だから。


♪君と笑って過ごせるなら 何もいらない
特別じゃない毎日の どこかに幸せを
失わぬ様に感じて生きていよう
ささやかな夢 抱えたまま この旅が終わるとしても
陽だまりの中 肩寄せ合い 歩いた道を忘れない
小さな幸せを 繋いで♪


夫もきっとこの歌が好き。こんなふうに静かにいつまでも一緒にいたいなと思える、私たちにとって大切な大切な歌。


検査、入院、手術はまだこれからだ。医師はいつも患者や家族に最悪の事を言うと聞くけれど、その主治医が極々、早期だと言うその言葉を強く信じている。
全てが無事に終わり「あの時は心配したけれど」と笑って話せる日が早く来ますように…。と、言ってもこの先、同じような事があるかもしれないし、次は私かもしれない。勿論、ない方がいいけれど。今は目の前のやるべき事を一つずつ、祈るようにやって行くしかない。

いつか夫が目標とする100歳になり、私が99歳になる日まで、贅沢を言えばその後もずっと、二人で仲良く笑いながら過ごせる日々が続けられたらそれだけで幸せだと思う。


✴︎自分の胸だけにしまって置けなくて、ここに書かせて頂きました。
ありがとうございます。
また、敢えて一部、曖昧な書き方にしています。



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