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紫陽花のこと 〜シーボルトの恋情、そして怒れる牧野富太郎〜

 紫陽花の花が盛りを迎えている。家の近くの道端には、紫色と藍色の掛け合わせが咲いていた。
 紫陽花は、古くから日本人に愛されてきた。味狭藍、集真藍、四葩、七変化、手毬花など多くの名を持つこともその証拠だろう。梅雨に濡れて、さらに美しさを増す。

 文化史を紐解けば、この花の神秘性についていくらでも話したいことはあるが、今回は紫陽花に関連したシーボルトと牧野富太郎について。どちらも日本の植物学上、避けては通れぬ人物であるが、この紫陽花をきっかけとして牧野はシーボルトへの怒りを炸裂させている。それを語る前に、紫陽花という植物について少し触れておきたい。

紫陽花のこと

 紫陽花は、実は日本原産の花だ。原種は、今一般的にイメージされる毱のような形の「本紫陽花」ではなく、額縁のように花をつける「額紫陽花」とされる。本紫陽花が装飾花として使われることが多いが、これは額紫陽花の変種である。
 

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 「あじさい」という音は「集真藍(あづさあい)」、字の通り藍色が集まるという意味の語からの転音とされている。また、花弁が4枚であることから「よひらの花」とも言われている。その姿ゆえ、洋花のように感じるが、古くは『万葉集』にも詠まれており、日本文化を代表する花のひとつだ。

シーボルトとお滝さん

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 この記事の主要人物のシーボルト。彼はドイツ出身の植物学者で、オランダ人に扮して、出島のオランダ商館医師となった。貴族出身の彼は非常にプライドが高く、本国にいた時も多くの決闘をしたという。日本の資料を持ち出そうとしたり、軍事政治にも関わったりと、医者・植物学者というにはその範疇を超える行動をしたが、彼が作った鳴滝塾は、多くの弟子を輩出し、日本の医学発展に大きく貢献した。
 日本に滞在した6年あまり、彼を現地でお世話した人物が、日本での妻「お滝さん」こと楠本滝であることは有名だ。お滝さんは、実家が商家であったが後に没落したため出島の遊女となり、そこでシーボルトと出会った。シーボルトは彼女のことを大変気に入り、のちに国外追放を受け本国に帰った後も、飼っていたオウムに「オタキサン」と呼ばせていたという。
 ちなみに、シーボルトとお滝さんの間にはイネ(後に改名)という子がひとりできた。彼女は女性でありながら、父の弟子から医学を学び、当時は珍しい女性医師として活躍した。さらにイネの子・高子がいるが、その美貌ゆえ、松本零士の『銀河鉄道999』のメーテルなどのモデルになったとされる。

オタクサ

 シーボルトは、帰国後、日本での研究結果をまとめた『日本植物誌』を発表します。その中で、とりわけ美しかったのだろうか、愛するお滝さんの名を用いて、紫陽花の学名を「Hydrangea otaksa Siebold et Zuccarini」と名付けた。後に、既に他の学者が発見されていたことが判明し、この名は取り除かれることとなるが、日本を最も連想させるその姿に愛する女性を見立てたシーボルトの熱情はすごい。
 ちなみに、この名は「水(ヒドラ)と器(アンゲア)」の合成語であり、水べに生育し、実の形状が器状であることから、この名がついた。

牧野富太郎の怒り

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 これについて烈火の如く怒り、批判を行ったのが日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎だ。

シーボルトガ種名トシテ用ヰタあじさゐ、即チひどらんげあ・あぢさゐハ、がくさう、一名がくあぢさゐノ事デ、普通二云フあぢさゐデハナイ。
シーボルトハあぢさゐノ和名ヲ私ニ変更シテ、我ガ閨(ねや)デ目ジリヲ下ゲタ女郎ノお滝ノ名ヲ之レ二用ヰテ、大ニ花ノ神聖ヲ瀆(けが)シタ。

 現代では職業差別とも言えるように捉えられる一面もあるが、そうではなく、個人的な恋情を神聖な植物の名に冠したことが許せなかったのだろう。困窮を極めながらも、植物研究を貫いた牧野富太郎の生涯を考えると、その怒りは当然のようにも思う。
 

紫陽花の飾り

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 私の師匠の実家では、夏の土用の丑の日に、紫陽花を赤い木綿の糸で結び、家の中心となる部屋の中央の天井に吊るしていたという。そうすると、悪病を家に入れない呪(まじない)となるため、起源はわからないながら昔から行われていたそうだ。吊るす紫陽花は、朝10時までに切らないと効果がないらしい。
 紫陽花の葉には毒があることは有名だが、桜の葉のように料理の下に敷いて食中毒を起こすニュースをたまに見るので注意が必要だ。しかし根にはマラリアに似た熱病を治す効果があり、昔から漢方に使用されてきた。その効力ゆえ、魔除となったと考えられる。茶も同じく、毒と薬は常に一体だ。
 多くの花は、その美しい姿だけでなく、その機能性をもって人間を魅了してきた。姿も中身も揃って愛される植物への興味は尽きない。

武井 宗道

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