新生活で思い出す不思議体験 #1


ー今回の投稿は私が経験した新生活と音楽にまつわる不思議を紹介したいー

海外生活経験が長く今でも時間とタイミング、チャンスがあれば海外に行きたいと考えている。極論、行きたくない国などないし、世界中を歩き旅し、この目で世界を見渡し現地の人と彼らが食べる食事を味わい共にお酒を飲み交わしたい。

17歳でメキシコアメリカをバックパックし24歳で香港、27歳の時にサッカーW杯を取材するために南アフリカに渡った。海外生活者にとっての不安は帰国した際の住居だ。時に友人宅、ガールフレンドの家、最後には後輩の家に押しかけて居候させてもらった。(この時の後輩には気を使わせたと思う)


やはり自力で生活しなくてはいけない。生活の基盤が整い新居への引っ越しが決まり私は友人のフラワーアーティストのAに車を出してもらえないか?相談すると彼は快く引き受けてくれた。Aとは香港で知り合いその後お互いが前職で同じマネージメント事務所に所属していた事もあり付き合いが長かった。車を所有し引っ越しを相談できる様な時間と余裕があるのはAしか思い当たらなかった。


そんなAも引っ越しの手伝いは"車を持っている者の言わば役目さ"と頼む者の負担を軽くさせた。彼はアメリカ人の父親と日本人の母親を持ちgood looking 。いや 誰が見てもスーパーナイスガイ。叶姉妹の横にいても負けない程の存在感を持つ。新進気鋭のフラワーアーティストとしても着実に階段を登り仕事は順調だった。引っ越し当日そんなAが私の荷物を見て訝しがった。スーツケースが一つ。似たようなトランク型の鞄が一つ。寝袋。そしてギターが2つ。

「お前、本当にギター好きなんだな。もう一回弾いてみろよ」

つい先日も彼の家に招かれ、彼の同居する彼女のギターを弾いたところだった。

目黒区から中央区へ二人の車は移動する。車の中から見る都会はまた普段とは違う様に感じる。私はポロんと調弦をした後、特に何も考えずに静かめなスローなオリジナルを(曲とも言えない手ぐせのリフを)爪弾くことにした。Aは悪くないなと言ったきり、黙ってききハンドルを握っている。車は順調に進む。夜の車道、東京の東側は驚くほど道は空いている。青信号の連動もスムースだ。Aは車を側道に止めた。そしてその後、私の運命を左右する重大な一言を発した。

「今度さ東京ドームでエキシビジョンやるんだ。お前さ、もし良かったら俺の横でギター弾けば?今夜この場でお前がyesと云うなら俺はお前を指名する。面白いと思うんだけど?」

文字通り青天の霹靂であった。彼が東京ドームでエキシビションをやる事は知っていた。世界蘭展の一部でフラワーアーティスト界の売れっ子4人に、新人のAがこの年初めて食い込んだのだった。私はAの活躍を嬉しく思っていたが、よもやこの自分に東京ドームでギターを弾く、それも一人で20分程度、そんな役回りが回ってくるとは思いもしなかった。私は学生時代こそバンド活動に熱中したが(それも高校生時代の話だ)、ミュージシャンになりたいと心の中では思っていても恥ずかしくて言えず、それでも引っ越しや海外生活の旅には必ずギターを持ち運び、部屋で弾いては時々覚悟を決めて人前で歌い失敗し大恥をかいてはまたコソコソと部屋でギターを弾くような、そんな程度の経歴しかなかった。しかしギターは好きだった。音楽をやる友人からもお前は下手だけど好きだよなと評され、ある朝マンションの前のゴミ捨て場でよくよく手入れされたギターを拾ったり、(それは持ち主が亡くなったのだと想像する。ギターケースに粗大ゴミのシールが貼られ捨てられていた。当初、ギターケースだけが捨てられているのかと思い私はラッキーくらいに考えたがケースの蓋を開けて心底驚いた。ピカピカに輝くクラシックギターが譜面やウエスとともに姿を現したのだ。一目でこのギターが愛され大切にされていたことが分かった。厳密には法律違反だろうが、綺麗に手入れされたギターをそのまま見過ごしスクラップにされる事を許すほど私は好青年ではない。マンションの管理人さんに答えは一つしかないお願いの様な断りを入れると二つ返事で所有の了解を得た)とにかく私はギターを弾くことが好きで、それあれば食費が底をついても、ガールフレンドがいない都会のクリスマスを過ごしても平気だった。


そんな私にAは東京ドームでギターを弾くチャンスを与えるという。それもたった一人で、しかも好きなように弾いていいと。東京は不思議な場所だとつくづく思う。私はもちろんその場で快諾しその夜から1ヶ月程度でドームでの開演の日を迎えた。リハーサルが始まる。私はステージに立ちいつもの様に自分のお気に入りの曲とも言えない手グセのリフを弾く、PAがつまみを調整するとドームに私のギターの音が響いた。笑った。なんじゃこりゃ?ニヤつきが止まらない。PAが仕事に慣れた感じではいオッケです〜と音出しを止めたがった。ものの1分程度だっただろうか。妙にその慣れた感じがリアルで、仕事してるんで早め早めでと言ったまたはあまり良い気持ちになるなよ的なPAの個人的な心情もあったのかもしれないー

「あ、私は今本当にドームでギターを弾き、そしてこの後2、30分好きに弾くんだ」さらに心の中にニヤつきと不思議が広がった。この感情が後年、今でも私の感情に深く残っている。本番よりも、このリハーサルでの感じ、光景、まだ観客はいない関係者だけの広々としたドームに私の音が響いた瞬間が不思議とニヤニヤの感動の記憶として今でも心に残るピークの瞬間であった。


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それは、忘れもしない2015年だった。ジャーナリストの後藤健二さんが彼の地シリアにて亡くなったばかりで、ジャーナリストという言葉の響は世間では深い悲しみを意味した。本番では私はただの海外を巡っている者と紹介されAのエキシビジョンそのステージ伴奏をした。そもそもジャーナリストがギターを弾くことも世間の人々としては思考が繋がりにくい。なぜミュージシャンでもない私がその場にいるのか?それはAの私に対しての友人としての"ギフト"であり"心使い"に他ならなかったのだ。声をかけられる友人には片っ端から連絡を入れた。わざわざ地元から母親を、千葉に住む叔母まで呼び出した。客席の中には長年ミュージシャンとして活動しそれでも売れず苦労している先輩の姿もあった。終演後、おめでとうという者、でかしたという者、私が一番気にしたのは長く音楽に真剣に向き合っているミュージシャンの先輩の感想だった。先輩は「良かったよ。そして何より不思議だった」と感想を口にした。私はその感想に安堵した。真剣にそして苦労を重ねてきたその道の人の気持ちを逆なでしたくなかったからだ。そして私自身もその不思議の中にいる事を感じていたからだ。

Aは特に変わらずいつも通りだった。お疲れと拳を拳を付き合わせる程度。ドームからAの車で駅に向かう。またなと私達はいつもとあまり変わらない挨拶を交わし別れた。


そして、さらに不思議は続く。連鎖し加速していったのだ。

次稿に続く。

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書き落としの為、誤字ご容赦ください。

#私の不思議体験   #新生活 #引っ越し #東京

#真夜中 #ドライブ #花 #友情 #音楽




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