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本日の書【79】最愛(さいあい)自分こそが自分を最も愛せる人の中の一人になるのなら

本日の書【79】最愛の毛筆による書道作品の写真画像より

私の最愛の存在とは私自身

誤解をされそうなのにおそれをしらずか言い切ってしまいました。
こんなことを言うと孤立して孤独で寂しいという危うい状況へ自分を運びかねない危険すらありえます。

危険というかRisk/リスク(予想のできない程度)というのは確かに高いかもしれないですけれど。
今回の投稿が自分で自分をさらに縛るようなことになっていかないの?
逆です。自分を束縛から解放させたくて書き連ねています。

最愛という言葉から連想した事はなんでしたか?

日本語で最もなんていうと実に大げさで他をさしおいてダントツ一番でなければならないみたいです。

あまり気張って使う最愛という言葉を選んだのはなぜでしょう?

誰かを愛そうにも自分という存在がスタート地点です。

それは自分勝手に周囲に一切配慮しない傍若無人な態度とはまったく違います。

自分が愛されていないのに誰が自分を愛してくれますか?

こどもだった私はなかなかそこに気がつけなかった。

もう自分を許していこうと思ったら誰かにべったりとくっついて甘えていたいという気持ちがそれほどは強くなくなっていきました。

もっともっと誰かに寄っていき充実した時間を持ち、自分のスキマを埋めたらその埋まって満たされた自分が初めて誰かを大切にできるような気がしていました。

もともと幼少期というのはそういう貴重な時期かもしれません。

こどもの時期から無理に背伸びをして生きるとつまりはいい子を演じたりしていると後が辛いものではありませんか。

良い子の仮面は割と重たいもの

優等生願望って結構仮面として身につけると無理があるのになぜか自分を安心させたり前に進めてくれるようなカリソメの納得があるような気がしていました。

つまりはごまかしごまかしの自分勝手になるのを我慢していた体の良い「自分への言い訳」です。

それって偽善ではないか?という自分の気持ちにフタをしてきたことも分かった上で表面下でだんだんと精神的に消耗させていくのです。

ボンっ!あるいはドッカーン!と気がついたら自傷しているなんてことも。

そんな自分の過去に無理があったので私の周囲で私が私の期待を満たしてくれていないと責めてしまいましたね。

子どもっぽいケンカを仕掛けてしまった。
そんな途中で結構相手を傷つけてしまった経験の積み重ねがあります。

人生において、その積み重ねはまるで「地層かお菓子のミルフィーユ」のような多層な様子に今になって気がついてしまいました。

あぁ、あんな時こんな時は本当にごめんなさい。

誰かに期待してるわりに自分自身の評価が低いから結局のところ愛してもらいたかった人からは自然と距離が離れていくようです。

自分を肯定していくということ、己を愛するということは、また「自分の周囲の人へも同時にできる範囲」で他者の存在も同時に尊重していこうという姿勢につながっていくそんな予感がします。

働くの漢字は人偏に動く

世の中にはずるい人がいて優しさを奪って当然という人もいます。
世の中にはずるい組織があって誠実さを利用して当然という団体もあります。

そんな人たちからはとっとと逃げるに限ります。
逃げるためには自分が動く必要があります。
人偏に動くと書いて働くと書きます。

周囲を楽にする傍楽(はたらく)という説明も時々うなづけるのです。
でも今回の投稿記事では人が動くことで最後には自分も自分の周囲も楽になっていくのが理想かなと〆たいと思います。

私が素直になって身軽に

もう一度書いておきます。私の最愛の人は私自身です。
私の最愛の人になってくれる人はもっとも愛する人のうちの一人というような「英語のような表現」なら私も素直に言えると思います。

ここまで読んでくださり本当にありがとうございます!

皆様におかれましては最愛の人にあなた自身が含まれていますように。

そしてまたの機会にもお会いできますように切に願います。

最後に私の愛読しているむのたけじ先生のお言葉をここに来てくださったお礼の代わりに置いておきたいと思います。

無私の愛などと、まぼろしのようなものは持ち出すまい。万人に一人か二人かは持てるかも知れないものを万人の道しるべに立てようとすると、道そのものが、こわれる。<私>がないなら、愛するものはだれなのか、自分を愛さない<私>は誰を愛することができようか。

むのたけじ先生の詩集たいまつ182より引用


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