Thank you,thank you,thank you very much! ~映画『落下の王国』〜
『落下の王国』2006年 インド・イギリス・アメリカ
監督)タ―セム・シン
出演)リー・ペイス、カティンカ・アンタルー
あらすじ)1920年代、ロサンゼルス。スタントマンのロイは撮影中の事故で大怪我をし、恋人にも立ち去られ、絶望の中にいた。治療をうける病院で、ロイは腕を骨折して入院している少女アレクサンドリアと仲良くなる。身動きのできないロイは、自殺願望を果たすべく少女を使ってマリファナを手にいれることを思いつく。少女を手なずけるために、ロイが語りだした叙事詩。その愛と復讐の物語は、悲劇的な結末を迎えるようにみえたが、仮面をつけた小さな救世主が現れてー
悲痛な現実の世界と、鮮やかな色彩と暗喩にみちた物語の世界が同時に進行してゆく。暗闇に落ちた人の心が、ふたたび明るみへむけて立ち上がるまでの軌跡をとらえた美しい名作。
Thank you,thank you,thank you very much!
絶望的な現実の一方で語られる物語の、その壮大さ、美しさ、ユーモアの燦めき…青年が思いつきで語りだしたデタラメな物語は、やがてそれを聞く少女の心を揺さぶり、青年自身の心を救う不屈の物語に変わってゆく。
現実の世界と平行して架空の物語が展開するという構成は、そう珍しいものではない。人生に打ちのめされた男が、まだあどけない少女に心救われる話もよくあるもの。そういった面では、特別斬新な仕掛けのある映画ではない。
けれども、この映画がいつまでも心に残り続けるのは、構想26年、13の世界遺産、24ヵ国以上でロケーション撮影され、期間4年を費やされて制作されたという事実が関係しているにちがいない。プラハ城(チェコ)・コロッセオ(イタリア)・タージマハル(インド)・アンコールワット(カンボジア)・万里の長城(中国)・ピラミッド(エジプト)・エッフェル塔(フランス)etc.
古今東西の城の数々、バタフライ・リーフ(蝶の形をした珊瑚礁)の浮かぶ紺碧の海、果てしなく続くような広大な砂漠、原始の森林…こうして並べて書くだけでも、わくわくしてくる。人知が築いてきた世界遺産と、人知を超えた大自然を舞台として物語は地球規模で展開してゆく。決してツギハギの映像ではない。西洋も東洋も、古代も現代も融合して、不思議な時空間の物語が観る者を魅了してくれるだろう。
また、日本人 石岡瑛子による衣装デザインも見ものだ。
そんな壮大な物語を語るロイは、映画の撮影中、橋から落下して大怪我を負った青年。誤って落下したのではなく、橋から下を走る馬に飛び乗るというスタントに臨んだ結果の大怪我。哀しいかな、恋人であった女性を、主演男優に奪われるという悲劇も続く。ロイは自暴自棄になっていて、自殺願望を持っている。何しろ、おしっこも尿瓶で済ます不自由な身体なのだ。
自分の身に置きかえて考えるのが恐ろしいほど、耐えがたい不幸。ロイは橋から落下し、誇りと勇気を失って心の闇へと落下してゆく。
一方でロイの前に現れたアレクサンドリアは、農園でのオレンジの収穫の際に、木から落っこちて腕を骨折した少女。教会に供えられたパンを失敬して、悪びれずもせずに「食べ物よ」と言ってロイに差し出す。「僕の魂を救おうとしているの?」とロイに問われても、“魂”や“聖体”という言葉の意味もまだ介さないほど幼い少女なのだ。
青年と無邪気な少女というと微笑ましい気がするが、本作の面白いところは、青年が少女を操るために架空の物語を語るところにある。歩くことさえできない青年は、少女を操ってマリファナを手に入れることに成功するのか…?
非常に重い現実を扱いながら、この映画はあまり重い感じはしない。それは映像美にも助けられているし、アレクサンドリアの無邪気な発想や反応に救われている面があると思う。子供は大人とは違うものの見方をする。当たり前ののことだが、ロイの落下をかくも無邪気に称賛する人間は他にいるだろうか。私たちはロイの過酷な現実の別の側面を、アレクサンドリアの視点を通して見いだすことができるだろう。
“Thank you,thank you,thank you very much!”
心に残る、あたたかくインパクトのあるラスト。 時に落下にさえ私たちは感謝・感謝・感謝!
-2009年9月11日 福岡 天神東宝にて初鑑賞-
(この記事は、SOSIANRAY HPに掲載した記事の再掲載です)