そこにしかないもの
今日から怒涛の知人達が訪ねて来てくれるウィークです!
恐らく、私のカンボジア生活最終日まで、入れ替わり立ち代りで沢山の方が遊びに来てくれます。
たぶん5人かな、日本から屋台の為に来てくれます。
冷静にやばくね???
私がっていうより、みんなの行動力が凄じい。
今まで、行けたら行くねという言葉に深い意味はないと思っていました。
本心でそういう人たちがこんなにいるなんて。
めちゃくちゃびっくりしてます。
何が価値になるのか?
私は当事者過ぎて、正直みんなが何処に価値を感じてくれているのかわかりません。
(勿論それとは別で、嬉しいし楽しみだしありがとうとは深く思ってます。)
けど、だからこそみんなの行動を理解したくて。
「その場に居ることが価値」という自分の経験に置き換えて考えてみました。
例えば、アーティストのライブ。
私は前列でオーディエンスの熱狂にもみくちゃにされながら、モッシュされながら体感するライブが大好きです。
自分が此処にいる。アーティストと共に、みんなでいる。
それを体感できる。
これがライブの価値かなと思いました。
例えば、花火大会。
着慣れない着物を着て、ちょっと非日常を味わいながら場所取りのために練り歩く。
その先で、夜空に大輪の花が咲き乱れる。
行き帰りの苦労に比べたら、その時間は一瞬。
でも、目に焼き付けたその光景は一生残ります。
綺麗、儚い、美しい。
色んな表現はあるにしろ、なんとも言い難いような満たされる気持ちを貰える。静かな感動がある。
これが花火大会の価値かなと思いました。
この2つで考えたとき、私の屋台は恐らく「花火大会」に近いのではと思っています。
だとしたら、それぞれの体験に求められることは何でしょうか。
セオリーとサプライズ
花火大会は、とにかくセオリー通り。
これに尽きると思います。
だって、もし花火大会に行って打ち上がって来た花火が、最初から最後まで動物の形をしていたら。
技術力は十分かもしれない。
でも、お客さんは丸い花火も見たかったはず。
いや、丸い花火を見たかったはずなんです。
でもライブの場合は逆で、そこに居るからこそのサプライズを求められていると思います。
例えば、ギタリストの投げたピックを運良くキャッチ出来る。
最後の曲が終わった後、アンコールで大好きなあの曲が流れる。
その場に居ないとわからない、プラスアルファのことがある。
うーん。
ここまで書いてきて、屋台はどっちの要素も求められている気がしてきました。笑
私が出来るのは、日常を過ごすこと
これから訪ねてきてくれるみんなは、ライブも花火大会も。
どちらの要素も求めて来てくれるんだと分かりました。
そこで私が出来ることは多分、やっぱりいつも通りであることだと思っています。
私のセオリーの中には、日常過ぎて発信することもないライブ感が隠れているはず。
みんなはきっと、それを見に来てくれる。
そして、花火大会のように見守ってくれる。
そんな気がしました。
だからこそ毎日肩肘張らず、いつも通りの日常を送ろうと思います。
もはや少し緊張してしまいますが。笑
そこに温度はあるか?
私は今まで、こんなに誰かの心を捉えて、誰かを巻き込んだ経験は無いと思います。
今回こんなに巻き込まれてくれる方が居るのは、自分の熱狂度合いが凄まじかったからじゃないかなと。
逆に言えば、熱がある、温度を感じるところに人は興味を持つのだと改めて感じました。
それは、行動でも会話でも文章でも写真でも全てに言えることだと思います。
屋台をやっていても、お客さんが1人でも屋台の前に立っているだけで、次のお客さんが入ってくる確率がグンと上がります。
そこには私プラスアルファのお客さんとのライブ感と温度があるから。
私はこれから先に何をするときにも、「そこに温度はあるのか? 」という問いを考える視点を持ちたいです。
その温度は「そこにしかないもの」で、誰かを魅了する力があると思うから。
ご静聴、ありがとうございました。
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