佐藤俊樹『社会学の新地平』を読んで
今回は、佐藤俊樹『社会学の新地平-ウェーバーからルーマンへ』(岩波新書、2023年)を読みました。
佐藤俊樹の著作は数冊ほど読んだことがありますが、語り口は平易なのに、なぜか言っている中身を一度では理解できない、という苦い思い出があります。
同書も決して内容は簡単とは言えませんが、新書ということもあり平易にまとまっていて、ウェーバーが始めた社会学の原点に立ち返って固定観念を刷新する、画期的な著作だと思います。
同書を読んで感動したポイントを以下の3つにまとめました。
1.組織に属する個人の「自由」=会社員の苦しみの根源
一点目は、現代を生きる私たち会社員が抱える苦しみとは何か、がこの本の中で明示されていることです。
詳しい説明はぜひ同書をお読みいただきたいのですが、ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で主張した「資本主義の精神」とは、通俗的に理解(誤解)されているような宗教倫理ではない、ということが議論の前提となります。
そのうえで、「資本主義の精神」とは、「自由な労働の合理的組織」と結びついたものである。すなわち、組織の各構成員がそれぞれの職務の範囲内で自由に判断できる、そして自由に判断せざるを得ない、そのような自由のことである。このように議論が展開されていきます。
ここでウェーバーが言っていることは、資本主義の組織に属する個人、つまり私たち会社員が抱えている苦しみと直接関わっています。
この「自分一人で決めなければならない自由」こそが私たちを苦しめるのであり、その自由があるからこそ楽しいことも(たまには)あるわけです。
(※プロテスタンティズムの世俗内禁欲は、この「自由な労働の合理的組織」と同型であり、その意味で近代資本主義を成立させた原因の一つになった可能性がある、というように議論は続きます。このあたりの因果関係の議論に興味がある方は、ぜひ同書をお読みください。)
2.決定の連鎖としての組織と持続可能性
二点目は、私たちが属している組織は、決定の連鎖として捉えることができるという点です。
一点目で触れたような「合理的組織」の本質を、ウェーバーは明らかにすることができませんでしたが、約100年後にルーマンという社会学者が解き明かします。
私たちが属する組織は、各構成員による決定の連なりによって成り立っています。このことは、変化し続ける環境に組織としてうまく機動的に対処するためには、特定の個人の恣意的な判断にゆだねるのではなく、「水平的な協働」を実現することが重要になる、という組織の持続可能性へとつながっています。
官僚制組織を「階統型」(上意下達)のイメージでしか語ることができなかったウェーバーの弱点を、ルーマンの組織システム論が補うことで、謎が解き明かされた。佐藤はこのようにウェーバーからルーマンへと続く探求を「百年の環」と総括しています。
3.因果と意味を問う社会学の可能性
三点目は、社会学の意義と可能性がこの本のなかに詰め込まれている点です。
佐藤自ら書いている通り、この本は「日本語圏で語られてきたウェーバー像からは大きく外れ」ています。つまり、マルクス主義でも文化科学でもない、社会科学者としてのウェーバーがこの本では描かれています。
このことは、これまでの日本語圏におけるウェーバー研究に対する痛切な批判であると同時に、社会学が本来歩むべき道筋を照らし出そうとする営みだといえると思います。
私自身、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を学生時代に読んだことはありましたが、全然ちゃんと読めていなかったなと反省しているところです。
社会学者をめぐっては様々な毀誉褒貶がSNS上で散見される昨今ですが、社会学のこれまでの歩みと成果に敬意を表すると同時に、これからのより一層の発展に期待したいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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