理知と無心
すばらしい紀行文だ。著者の市河晴子は1896年、法学博士穂積陳重と渋沢栄一の長女で歌人の渋沢歌子との間に東京で生まれた。19歳で英語学者市河三喜と結婚。本書は1931年3月、日本人初の東京帝国大学英文科教授として活躍していた夫・三喜が欧米諸国の実情視察の旅に出た折、それに同行して各国のようすを夫と共著で描いた『欧米の隅々』と、1937年、日米親善の民間外交を託され単身渡米した際のできごとを綴った『欧米の旅、日本の旅』との2冊をもとに、編者・高遠弘美氏が選りすぐった文章から成っている。
私が初めて読んだ市河晴子の文章は「ピラミッドに登る」である。今度、この人の本を出そうと思っているんです、と素粒社の北野氏が送ってくれたのだ。数行読んで叫んだ。傑作じゃないか。豊かな教養。弾む文体。偏見のない目。そしてユーモアのセンス。こんな人間がかつていたのか。読み終えた時には恋に落ちていた。
こうした、晴子がのびやかに言葉を生きている箇所は、数え上げればきりがない。抜群の弾性力で、奔放でありながら計算を欠かさず、美文に抗いつつ美をつらぬいた文章からは、ところどころ講談のエッセンスが香り、見せて聞かせるエンターテインメントとしての牽引力を備えている。それでいて世間臭くない。清潔なのだ。自意識が控えめで、世界を目撃する感動を餌に読者を釣り込もうとしていないからだろう。加えて、純然たる写生文に、こっそり過去の声を溶け込ますその腕前といったら。例えば「吹き送るべき雲の一片をも持たず」は漢詩のヴィジョンだけれど、それがどうにも自然である。手垢の曇り汚れがしっかりと拭いてあり、一瞥では古さを見過ごしてしまうくらいに。また「碧瑠璃の玻璃盤を頭上二十尺に張り渡した堅さだ。斧を振って丁と打てばパリパリと電光を飛ばせて銀色の亀裂が入るに違いない。風が吹く。」は謡曲好みの彼女らしく、白楽天「碧瑠璃の水は浄くして風なし」の主題をまっさかさまにした変奏曲のようである。なんと度量の大きい、自在なウィットだろう。おのずと読書の量が思いやられるが、もちろん書くためにはたくさん読めばいいってわけじゃない。読むから書くへの転換には、そのつど必要に応じて自在に組み立て、また解体することのできる自己抑制が必要だ。
こうした概念的ではなく直接的に対象をとらえた描写こそ晴子の本領だ。目の前の自然を介して、何かのイデオロギーを表現しようといった下心がない。そうして理知と無心とが、随所で大胆にうごめきつつも、なんの矛盾も来たさずに共存している。句読点が小石のように跳ねた文体も、読書していると、ぴょん、ぴょんと、オフロードを走るみたいで愉しく、対象がもつ生命をつかむ力が、書くことにおいても発揮されているなと思う。
物怖じせず、大胆なばかりではない。アルハンブラ宮殿の姿を、まずは身体の自然なうごきに沿って説き、つぎによその国の文化と比べ、さらに古の牧者のテントの記憶と繋いでみせた上の箇所などは流麗で、視野の広さと、その広さを裏打ちする知識の量に支えられた晴子の筆力の幅を伝えている。わけても連想の赴くままにみせかけて、吟味を経た語を整然と配し、想像力の細道を正確に辿ってゆくことで膨らみを得た雰囲気からは、晴子の内省的な美質がはっきりと読み取れるだろう。
ときに香り立つ和文にもあっと驚く。上の箇所などは話を運ぶテンポの折々や心理の動きに、その佇まいがはっきりと現れている。さりげなく彫琢を極めつつも、余白をたっぷりと取った品の良い語り口で、理屈を言うときすらどこか無防備な、たゆたう感じがあるのだ。この辺りがまさに和文体ならではで、私は『更級日記』の翻訳を読んでいるような気分になった。いや、気分ではなく、たぶん本当に菅原孝標女の文体を再創造しているのだろう。そう考えた方が、本書を読み終えたあとでは何かと腑に落ちる。
このように、晴子の文章の魅力は多面的で自由自在、語り出すといつまでも終わらないが、もしも本書を手に入れ、最後まで目を通したならば、読者は晴子のもうひとつの素顔を知ることになるだろう。そのもうひとつの素顔は、彼女の文章を考える上でけっして無視できないものだけれど、ひとまずはそれについて考える前に、いまから100年前に欧米を旅した一人の女性の声を、ふたたび、みたび、くりかえし私は味わいたいと思う。