樫本大進&小菅優デュオ・リサイタル

樫本さんを生で拝聴するのは初めて、小菅さんは約20年振りである。

樫本さんは映像では何度か拝見したことがあって、何年か前のNHK音楽祭、ビシュコフ指揮のチェコフィルと演奏したチャイコフスキーのコンチェルトの1,2楽章があんまりにも素晴らしい、すごい、と思ってずっと演奏会に行きたかった。
念願。

(3楽章は、曲想が、なんというかこう、境界線を越える瞬間を欲しているような気がして、そういう感じはなかった。
ただ、これは刺激過剰な演奏に慣れた愚かな私の耳の問題もあると思う)

小菅さんを聞いたのは、情熱大陸に出演された後、ショパンのプレリュードのCDをリリースされた頃。

プログラムはモーツァルトの後宮からの逃走序曲(未だにどういう楽譜を使われたのかわからない。ウィーン原典版にあるけど、こ、こんなんだったっけ?と首を捻り続けている)、何か、雨の樹Ⅱ、ダヴィッド舞曲集、アンコールは片方がショパンのb-mollのプレリュードだった(2曲弾かれたような)。

モーツァルトの鮮やかさ、武満徹の残響、アンコールのキレ味の鋭さを覚えている。

最近西村朗さんや藤倉大さんの作品の演奏をテレビやYouTubeで見て、私は現代音楽がわからないけど(いや、じゃあ他の時代の音楽がわかっているのかと言われると、そういうわけではない…ゴミ…)、本当に素晴らしい演奏と思い、やはりこちらも念願。

あまり良い席は取れなかった。

演奏会の感想をすごく雑にまとめると、

⚫ベートーヴェンの2-4楽章が個人的に本日の白眉

⚫(席毎の聞こえ方の問題や、何をもって理想のデュオの演奏とするか、みたいな話もあると思うけど)もっと樫本さんの表現主導で作られる音楽も聞きたかった

⚫小菅さんはもうちょっと枯れてから、なんなら技術的な衰えが見え始めてからまた聴いてみたい



1曲目、ベートーヴェン春。
始まってすぐ小菅さんのピアノのコントロールの素晴らしさに歓喜する。

当たり前なのかもしれないけれど、完全にピアノが自分の声になっているように聞こえる。
無駄な力みが全くなく、テクニック的な不安もなく、語り方も音色も全部自由自在、という印象を受ける。
特にもうトリルの多彩さ。
表現の細やかさ。

繰り返しは必ず前に出る声部を変えたり歌い方を変えたり、全部やってる感。

春、特に嬉しいプログラミングというわけではなかったけど、こんなに素晴らしい曲だった、私は愚かだった、と思った。

樫本さんも伸びやかだったけれど、全開ばんばーんの小菅さんに比べると、雰囲気に違いがあったかもしれない。

アンサンブルとしては一糸乱れぬ、というよりは2人の自由な音楽家の共演、という感じの印象、で、それはそれで室内楽の1つの形だろうけれど、だんだん、小菅さんが音量の面でも、タイミング的な面でも、常に先に飛び出されているような印象がついて回るようになる。
(正面で聴かれた方はどうだっただろう…)

樫本さんの方が音楽にはずみがあるような感。
(モーツァルトでより強く感じた)

でもこれは本当に席の問題かもしれない……。
ただ樫本さんが食いついていくような場面が多かった印象が残った。


2楽章、樫本さんがほんとうに、本当に素晴らしかった。
チケットを買って、足を運んで本当に良かった。
語彙がなくて表現できない。
美しい、には当たり前に色んな種類があるけど、樫本さんの2楽章の美しさは、甘美さ、や、感情が前に出る表現ではなく、本当にただ美しかった(日本語の崩壊)。

滑らかな弓の返し。自然な歌(“自然”。また危うい言葉を…)。
過剰でなく、当然不足もなく、ただ、深く座って目をつぶって、体のどこも強ばらせることなく耳をすませていたい音楽。

世界に飲み込まれる訳ではない、音楽としての美しさ。

うまく言えない。
好きだ。

小菅さんもがらりと音色が変わって、特に転調なんて本当にこれがピアノだろうか、という感。
素晴らしくすごかった。

3楽章。二人とも、特に小菅さんがすごい。
技術的な難所に合わせて音楽膨らむ泡立つ!!

4楽章も物凄く有機的な活気、膨らみ。
二人の自由さが曲想にあって、充実していた。
瑕疵も気にならない。


2曲目、グリーグの3番。
これはもう個人的な問題で、この曲を聴いて何をどうすればいいかわからない。

ドラマチックな表現、美しい2楽章の冒頭のピアノ(特に左手のアルペジョの表現の豊かさ)、多彩な音色の3楽章。
特にドラマチックな部分は二人とも本当にスケールが大きく、物量ではない広がりを感じた。

しかしやっぱりそれを聴いて何をどうすれば良いのかわからない。
なんだか自分がどんどん偏狭になっていく。


後半。
モーツァルトト長調(アルペジョの序奏があって2楽章が変奏曲のやつ)。

冒頭、最近古楽器をたてつづけに聴いていたからか、予想以上にモダンピアノ!これはスタインウェイ!!という感覚が先に来て、自分でも驚いた。
冒頭の左手の和音がコンサートグランドだとどうしてもゴージャス過ぎる響き…?

小菅さんはこれ以上ないくらい濃密。

ト短調の主部。

個人的な趣味だろうけど、息つく間もなくギッチリ、ガンガン多彩で豊かな表現が溢れ続けているのを見て聴いて、冷めていく。
物凄い勢いで塗られていく。
表現したいことがたくさんあって、それを実現するテクニックとセンスがあって、もう怒涛。
樫本さんの印象がない。

……しかし本当にこういう感想って個人のもの、しかも同じ個人でも気分や体調でまた変わるだろうから本当にあてにならない。

変奏曲。

樫本さんより前に前に小菅さんが行っているような印象が残った。
冒頭のまとめの、もっと樫本さんの音楽を~、という印象が1番強かったのはモーツァルトだった。

もっと面白い音楽が生まれたんじゃないかという気が、ずっとした。

ラスト、フランク。
瑕疵は取り沙汰されるべきではないけど、ベートーヴェンでの瑕疵と、フランクの瑕疵は意味合いが違ったと思う。
冷静に考えればソナタ4曲のプログラムのラストだ。
二人ともサイボーグじゃない。

冒頭のピアノの弾き方で個性が出ると思う。

小菅さんはインテンポではない。
小節の後ろが伸びる。
やはりここでも濃密な表現。
全ての転調、バスラインの動きを全部きっちり表現されて、曲がすごく長くなる。

第二主題登場後のfis-moll~の部分の小菅さんの技術力がすごかった。
複雑かつどれだけ音符が増えてもppと静寂の雰囲気が保たれ、必要な声部が朗々と歌われる。

ピアノの音が少ない場面で樫本さんの音楽がようやく見えたような気がしてほっとする。

2楽章。
いよいよわからなくなる。

小菅さんはかなり前のめり。
バスラインの強調もすごい。
楽譜にアクセントはないから解釈か。
まくり上げがすごい。

芸が細かい。
再現部のテーマは左手の上の音を強調されたり(cis-d、cis-d)。

激しい表現が音楽的にはまりきらなかった印象だった。
最後1ページの追い込みもかみ合いきらなかった。

3楽章。
冒頭の形、いつもすごい先へ行く。前へ前へ。
ファンタジアだから自由で良いんだろうか。
アゴーギクについていけない。
どういう世界が描かれようとしているのか、感性が死んでいる私にはわからなかった。

4楽章もあまり印象に残らなかった。
もし私も疲れてただけなら最悪すぎる。
でもベートーヴェンやモーツァルトでみられたような堂に入った表現のような感覚が、フランクではなかったような……。

アンコールは2曲。

まずモーツァルトのホ短調の2楽章。
今日を通して聴いて、こういう感じになるだろう、という感じ(日本語…)。
E durへの転調、その前のたっぷりした静寂も、もう慣れてしまった。

2曲目、鳥の歌。
やはり小菅さんのトリルの多彩さが素晴らしい。

小菅さんのむせ返るような生命力が印象に残ったコンサート。
しばらくいいかもしれない。
(現代音楽は早く実演で聴いてみたい)

樫本さんは今度はソリストが第一ではないピアニストとの共演を聴きたい。


個性のぶつかり合いはしばらくいい。
やっぱり私が疲れているだけなのか。

春の2楽章を、もう一度聴きたい。

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