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ノンストップトイレ急行🚽

洗礼を受けた話🧻

ネパールでヒマラヤトレッキングをした後、陸路でインドに入国した今回の行程。山を下りた後、洗濯や次の目的地に向かうまでの準備も終え、いよいよ今日はネパールとインドの国境へ向かう日。
あれ今日なんかお腹の調子が良くないなぁと思ったこの日、
上から下からリバース。多分熱もありそう。バスはキャンセル、近くに住んでいる友人に良くなる薬をもらう。がそれもリバース(苦)

泊まっていたホステルのオーナーさんに具合が悪いのでもう一晩泊めてくださいとお願いすると「poor you(かわいそうに)」ということで宿泊代をおまけしてもらった。
次の日、下痢止めも酔い止めも飲んでいざ国境までのデスドライブに挑む。舗装されてない道が多くてボッコボコw

7.8時間かけてネパールのカトマンズから国境のイミグレのあるソノーリ国境まで。
朝05時ごろ霧と砂埃で全く見えないイミグレで降ろされた。イミグレの警備員はまだ寝てるらしい。でっかいゴキブリに見られながらやっとこトイレ。ここまでお腹はなんとか耐えている。

ネパールとインドの両国の人は行き来自由なので牛とかもツーツーで移動するのを眺めながら待つ。

ソノーリ国境付近

日本で申請しておいたビザのおかげで難なくインド陸路入国!!!
ネパールから陸路で入国してまず着いたゴラクプルという町。

ゴラクプル

自分の半径1mにハエが10匹は確実にいる町。英語は話さない人が多い。予約したホステルに行ったら外国人泊まれまへんねんとか言われて門前払いにも遭いながらやっと辿り着いた今夜のお宿。(※コロナの影響です)

体力も限界。いざ風呂とトイレを覗くと・・・大量のう○¨。

ああ¨〜

終わった。病み上がりの今はさらにきつい。

正露丸は毎日服用済み。ニオイの割に効いてない。でもこの町にいると症状が悪化しそうなので逃げるようにインドのバラナシへ移動。


ガンジス河の流れるバラナシへ

「ガンジス河に入ると病気になる」
これは日本にいた時からネットのいろーんな記事に上がっているので既知。断固入らないと思っていても船に乗ると、飛び込むヤツのしぶきがかかるので「うぇっうぇっ」と逃げる。
とはいえガンジス河はヒンドゥー教徒たちにとっては聖なる河で、ここで火葬され、ガンガーに還り、輪廻転生を皆願う。

ガンガー沿いのにぎわい
ガンガーに続く通り

バラナシは写真の通り町も活気があって、飽きない。
今まで全く見なかった日本人もちらほら。
お腹もまずまずの調子。


南インドへ急降下

首都ニューデリーは学生時代に行ったので、今回は地方を攻めたい。
と思い南インドはチェンナイへ。
ほんとは電車移動がしたかったけど体力もお腹も自信がないので飛行機で。
12月のバラナシの天候は濃霧で飛行機が飛ばないことも多い。2日飛行機は欠航状態でやっっっと今日は飛ぶぞ!となった日。
朝ご飯も食べて万全の状態。3.4時間待ってお昼になったが・・・電光掲示板はdelayのまま。ゲートにあふれる乗客。

いかん。
キタ。
キラー系の便意キタ。

座る椅子はすでに無くてヘナヘナと地べたに座り込む。
そうこうしていると電光掲示板はdelayのまま搭乗は始まってしまった。
もう乗るしか!!!

インド最大に大好きで大嫌いなところ「人類みな家族」の精神により、
機内で隣に座った夫婦がお家で作ってきたらしいやぶれそうなビニール袋に入ったビリヤニを勧めてくれる。
👧「ごめん、今お腹の調子悪くて・・・」と断る。
👵👴「じゃあ一緒写真撮ろ^^」
そしてインド人の写真大会はマジで長い。

ベルトシート着用サインが消えたらソッコーでトイレに駆け込む脳内シミュレーション。
絶対に先を越されてなるものか。順番という概念の薄いこの国で先手トイレ必勝法はどうすべきかと真剣に考える。

結局トイレは2.3回くらい行って乗り継ぎ地のハイデラバードへ。

乗り継ぎのセキュリティチェックやらなんやらで体温が測られていないかヒヤヒヤする。それもそのはず、もうすでにクラクラフラフラである。
ほぼ記憶もないくらい意識も朦朧としながら最終目的地のチェンナイへ。

チェンナイ空港に着いた。2022年12月31日。今日は大晦日。
あとは荷物を受け取って今日のドミトリーホステルに行けばいい。
荷物は受け取った。ああ〜〜安堵と共に床に倒れ込んでしまった。

誰か話しかけてくれている。もう目が回って動けない。
空港の中の看護室みたいなとこに連れてかれる。看護師さんたちは大晦日の特番に夢中。そこへへばった外国人が連れ込まれる。

>>>めっちゃ嫌そうな顔<<<<

とりあえず熱を測って「104℉」
「104℉?」摂氏℃と華氏℉かぁと思って調べたら40℃。
症状を伝えて、コロナではないと信じてもらえたので、点滴を受ける。
空港内の看護室での処置は書き物が多い。(お金はかからないので、具合が悪い時は迷わず看護室へ行きましょう)
元気になるらしい薬ももらってチョボチョボ歩けるぐらいにはなった。

(金曜の晩にクライアントさんにメッセージ送るのよく躊躇ってたけど、そんなこと正直どうでもいいくらい私、今、大迷惑やなと思った。笑)


終点

「まあ薬も飲んだし寝てたら良くなるか」
そう思ってドミトリーホステルの2段ベッドに直行就寝。

1月1日。朝5時過ぎ。とてつもない音量の礼拝の放送音で跳ね起きる。
「アザーン」と言ってイスラム教の早朝1発目のお祈りの合図。
南インドに住む人々の信仰宗教は様々で、お馴染みヒンドゥー教を始め、イスラム教、カトリック教を信仰宗教とする人々が穏やかに暮らしている。

早朝から同室の子たちが「Happy New Year」と囁き合い、鮮やかな赤やピンク色の正装を纏って次々部屋を出ていく。
私は今日も寝ている。

ORS

ドミトリーでは「荷物はちょっと広げて出ても大丈夫そうだな」みたいな感触を探るためにもお互い挨拶をするのが基本。
「ワイAoi日本人。下痢をしているので、今日は1日中寝てます!」
みたいな宣言をすると、1人ORSという外国版ポカリの粉みたいなのをくれた。色々絞られている時、ORSは非常に不味いけどとても沁みた。


丸2日は寝てた。全く良くならない。
その間熱・嘔吐・下痢・食欲不振のフルコンボプラスもう私の「*」は閉じることすらままならず、1日中トイレにいないといけない。

寝正月3日目の朝、何も食べてないと心配した同室の子が
栄養があるという発酵臭の強いヨーグルトをくれた。
なけなしのミント1枚では消せないにおい。

「多分無理」

久しぶりの固形物を摂取する今、そして元々食べ物の好き嫌いが激しい私にとってはハードルが高い・・・
わざわざ買ってきてくれたのに食べれない。という罪悪感と体調が悪すぎる無力さからツーっと涙がこぼれた。(T  T)

だいぶ渋っていたけど

「そうだ、病院行こう。」

やっと病院に行く気になった。
外国人は病院へ行くと色々煙たがられると踏んで、同室の子が病院まで付き添ってくれた。急患にねじ込めるよう交渉までしてくれておかげですぐ点滴を受けれた。本当にごめん、ありがとう🙇‍♀️今元気だよ!

点滴も受けて薬ももらって元気にはなりつつあったけど、元々山登りメインで来ていた私は特攻の如く、登った後の燃料は積めていなかった。

まあ〜今回は山も登って陸路国境越えもして結構目標達成できたし一旦帰るかあ〜と思い
帰国。🇯🇵
体重は5kg痩せていた。


また懲りずに行かなければならない🇮🇳🍛


次回記事予定

  • 「インドのお薬手帳」

  • 「インドの病院あれこれ」

  • 「Langtangランタントレッキングおおよそガイド」

  • 「ネパ・インドでお世話になったリンクまとめ」

  • 「なんちゃってSNS/SEO実践編」


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