今日、筋肉セールスマンから筋肉プログラマーに変わります【人は変われる】
「あなたは人生で何をなし遂げたいのか?」
これは、G’s Academy Fukuokaという場所で半年間向き合ってきたことです。
この記事を書いている時は25歳。20代で一番頑張ったと自信を持って言える半年間でした。たくさんの方の支えがあって、今こうして記事を書いていることを噛み締めています。
プログラミングを学ぶ学校なのに、なぜこの問いに向き合えたのか?半年間でどのような気づき、学びを得たのか?振り返ってみました。
5つに分けて書いていきます。
東京生まれの東京育ち、筋トレ大好きセールスマンが本日筋肉エンジニアになるために、筋肉プログラマーとしてデビューするまでのキロクです。
<1.>アウトプットが人生を変える</>
今回初めて、ビジネスピッチに出場することが出来ました。Global Geek Audition(以下GGA)と呼ばれるものが、当校を卒業する前に行われます。プログラミングを学べる他の学校とは一味違うところです。
なぜ出れたのか、考えていた企画を周りの方にアウトプットし続けたからだと思います。アウトプットをせずに一人でコツコツとやっていたら学校の卒業はおろか、ピッチにも出れていなかったと思います。。
半年間、事業を創るために開発を進めて来ました。今回はうまくいかなかったものの、うまくいくまで続ければうまくいくと信じています。これからも、知識と経験を積みながら繰り返しアウトプットしていきます。
今回一番助けていただいた方から、いただいた言葉を紹介します。
「人の3倍行動する」
ここに込められているのは、行動ベースに考えていくことだと思ってます。
エラーが解消出来ず、そして中々コードを書くことが出来なかった中考えすぎて動けなくなってしまうことが何度もありました。そんな中でも、何かしらアクションを起こすことで問題が見えてくることがありました。
「量は質を凌駕する」という言葉があります。まさにその通りだと感じました。行動し続ければ、見えてくるものがあるのです。
アファーメーション的に言うと、「人の3倍行動している」。結局のところ、良くも悪くも、アウトプットこそが人生を変えていきます。
「やりたい」、ではなく「やる」ことを前提に考えるべきです。やりたい、またはやろうとしている、と言う人ほど、ほぼやりません。1年後に質問しても、結局はやっていないということは、ただやりたい、と言っているだけです。
考えたら、まず形はどうであれやってみる、これに尽きます。
例えば「今○○がしたいと思ってるから、試しにテストしているんだよね」とか、口に出したほうが前に進むことが出来ると思います。
ここでの経験から、「困難に打ち克つ人が増えづつけている世界」を創っていきたい、という現時点で自分なりのVisionを言葉にすることが出来ました。
<2.>人生を切り開いていくのは「信念」</>
G’s Academyのクレドに沿って言うと、"Always Ask Why me" 「なぜ、私がやるのか?なぜ私だからこそ、勝てるのか?」プログラミングを半年間学んできましたが、ここを一番学んできたように感じます。
自分のアイディアなんてほとんどの人からは否定されると思います。世の中に似ているサービスなんて沢山あります。しかし、”Why me”があるからこそ全然違うサービスになることを学びました。Why meというのは、自分の過去の経験が積み上がったもの、と思います。
これを見つけるには、四六時中の自問自答、周りの方からいただくフィードバックからの気づき、今私が持っているもの(能力、得意分野、やりたくないことなど)、そして源体験を掘り下げていく事です。
テクノロジー、プログラミングは信念を実現するための手段であると捉えています。(あくまでも私の持論です。)
後述しますが、私の信念は「成功するまで続ければ、成功出来る」です。
<3.>プログラミングは人生を切り開く手段</>
アイディアがあれば、あとは形にするだけです。世の中にはあらゆる手段があります。中でもWeb上で、アプリケーションとして動くものを作れてしまえば、より実現できることに近づきます。
プログラミングはアイディアを形に出来ます。夢物語が、夢を叶えるという現実に変わっていきます。
私がプログラミングに興味を持ったきっかけは、昨年渡米してテクノロジーが至るところで使われているのを、目の当たりにしたことでした。
そうです。Silicon Valleyと呼ばれる地域に行ってきました。
特にNASAの研究所は圧巻でした。子会社を起こして今はNASA傘下にあるとある会社を60歳で起こされた方との、対話はとても贅沢な時間でした。今でも鮮明に覚えています。
現地でUBERを使って、Lincolnに乗れたことは感激でした!それ以上に、スマホを数タップしただけで、数分程度で到着する体験に魅せられていました。
現地で働いている方々とのご縁もあり、テクノロジーに対して更に興味が出てきて帰国します。「テクノロジーを創るのは天才だけだ。」とこの時は思っていました。
この時、ボンヤリと頭の片隅に「プログラミング」という単語を置きながら、月日は流れます。。そして翌年(2019年)気付いたら、コードを書いていました。笑 プログラミングというワードに引かれるように、G's Academyに引き寄せられました。
<4.>成功するまで続ければ、成功出来る</>
これは筋トレを通じて出来た、私の信念です。少し私個人の話にお付き合いください。いわゆるG's Academyで向き合ってきた「Why me」の核となる部分です。
挑戦できることは何でもやってきましたが、10代は何をやっても上手くいきませんでした。自分のこと、そして人生に対しても嫌気が指していました。
うまく行ったことは、高校卒業までほぼゼロに等しかったのです。中学受験は失敗、小学校から続けている野球も高校ではうまくいかず、大学受験は1浪の末滑り止め校、親の期待も裏切ってしまい、自信を喪失していました。自分自身のことも嫌いでした。
しかし、筋トレで変わりました。大学でも野球をしていて、野球の補助的に筋トレを続けていました。気づけば、BIG3(スクワット、ベンチプレス、デッドリフト)はパワーリフティングの予選(合計重量が500kg前後)を突破できるくらいの重量を挙げられるようになっていました。
筋トレとの出会いは、高校野球で肘の大怪我をしたことがきっかけでした。「1年間はボールが握れない」と言われましたが、リハビリがてら行っていた筋トレのお陰で半年ちょっとで握れるようになりました。
今でもコツコツ続けられているのは、負傷時に「自己管理不足だ!」と怒りながらも、筋トレの手解きをしていただけたコーチのお陰です。
筋トレでの成功体験を得たことをきっかけに、今までの自分から少しずつ一歩踏み出していくと、道が開けてきました。ふと気づくと、
「何をやってもうまくいかない。。」から
「やればできるかも?」に変わりました。
競争率の高かったインターンシップの選考に通過したり、就職活動でコンサルティング会社からの内定で、私よりも上の学歴の方と同期になれことで学歴コンプレックスが払拭されました。「学歴ってあんまり関係ないんだ」、とやっと気づきました。
加えて学部の勉強に泣きながらも、卒業要件単位とは別に教員免許も取得。計190単位を取った猛勉強の末、大学も卒業することが出来ました。(相当ギリギリでした笑)得たい結果を得る事が出来たのです。
G's Academy Fukuokaでも、大学時代同様に、コードを最後まで泣きながら書き続けました。
GGAが始まる直前。。やっとデプロイすることが出来、動くアプリケーションが作れました。メンターの方のメンタリングがあったからこそ、やり切ることが出来ました。(卒業制作はメンターが付きます。)
心が折れそうになっても、自分を信じて、成功するまで続ければ成功出来るのです。
<5.>プログラマーとしてリスタート</>
学校を卒業して、エンジニアとしてのジョブオファーをいただくことが出来ました。エンジニアを目指すプログラマーです。なぜ、エンジニアに向かっていく道を選んだのかというと?
「コードを書く環境に身を置くため」です。
元々は自分が考えている事業を創るために、入学しました。しかし卒業後、自分のアイディアをスケールさせていくことは、卒業時点では難しい状況でした。
半年間コードを書いてきました。ここでまたいつもの生活に戻ると書かなくなる。。と思いました。
「なら職業にしてしまおう」
と思い立ち1ヶ月で30社以上エントリーしてチャンスを掴む事が出来ました。
そしてもう一つ、自己実現のためです。
私が掲げるビジョンを達成していくには、小さな成功体験を生み出す必要があります。それは人との関わり、お互いを賞賛し合える関係が不可欠だと思っています。簡単にいうと、タフなメンタリティを持つ人たちを増やしていきたいのです。
それは過去の自分が弱かったからから。でも、今の自分は少しタフになったと思います。
私の思う成長とは、「出来ないことが出来るようになること」です。htmlもろくに書けなかった私が、半年でJavaScriptのフレームワークを使って、Webアプリを作れたことは自信になりました。
まさに、「小さな成功体験」を経験しました。
作成にあたり、周りの方々のサポートがあったからこそ出来たことは言うまでもありません。理解の遅さ、思考停止しつつも質問に対して耳を傾けてくれた皆さん、特にG's devクラスで担任をしていただけた先生には本当に頭が上がりません。
周りの方々のサポートがあったからこそ、学習継続が出来、ビジネスピッチにも登壇し、卒業することが出来ました。
加えて、エンジニアとしてのオファーもいただけるという嬉しいサプライズも。贅沢すぎますね。
コードを理解して、書いていくことはとても難しかったです。ほとんどの人が挫折してしまうと言われることもよくわかります。エラーの解消ができず、何度も挫折しかけましたからです。
だからこそまずは自分が、「困難に打ち克つ人を増やしていく」行動をするために、エンジニアとしてキャリアを創っていきます。職業を通して、少しでも自分の経験がエンジニアを志す人、または後輩に対して、苦労したからこそわかる悩みに共感し、乗り越えられるよう手助けをしていけたらとても嬉しいです。
そのためには技術力が不可欠です。だからこそ勉強をコツコツ継続していきます。
最後に、この学校を入学するきっかけを与えてくれた友人に感謝してこの記事を終えようと思います。友人も、エンジニアとして新たなスタートを切りました。
たまたま同じ大学で、卒業して社会人になって共通の知人を介して出会ったこと、行った経緯は違えど渡米して、似た景色を見て感化されたこと、G’s Academy Fukuokaのことを教えてくれたその瞬間、挑戦しようと思えました。
お陰様で人生変わりました。ありがとう!!