それがし

日々のなかで、思ったことや感じたことを書いていこうと思います。 失敗だらけだと思ってい…

それがし

日々のなかで、思ったことや感じたことを書いていこうと思います。 失敗だらけだと思っていた人生も、案外そんな事はないんじゃないかと思える今日この頃です。

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「書くこと」が苦しかったときの話

僕がブログを始めたのは、今から2年ほど前だ。 もともと言葉が好きだったし、それを生業としてやっていけるなら幸せだろうと思い、アフィリエイトブログで生計を立てていこうと思った。 その頃の僕はとてもやる気に満ち溢れていて、稼げそうなノウハウを教えてくれる人をXで探してDMで教えて欲しいと頼み込んだ。 なかなかの大金だったので、もうこれで成功させるしかないと思った。 会社勤めをしていたので平日は3時間、土日は朝から晩までブログを書き続けた。 遊びや食事の誘いもすべて断った

    • 一人がスキだけど、人がキライなわけじゃない

      ぼくは一人でいることが好きだ。 貴重なやすみの日には、誰とも会わず自分のへやで趣味のマンガやドラマをみている。 あとはヒトカラで5時間は歌えるし、映画館もひとめを気にせず泣ける。 ひとりの気楽さに慣れてしまうと、他人と過ごすのがむずかしい。 たまに遊びに誘われて嬉しくなると同時に、どう断ろうか悩む。 とても自分勝手で申し訳ないのだけれど、遊ぶことより遊びを約束している時のほうが何倍もワクワクする。 で、当日はもう面倒くさいと思ってしまう。 そして、あの日くびをタ

      • 自分の「思いこみフィルター」をはずしてみる

        ここ数日、書くことに抵抗があった。 その原因は、スキの数を気にしてしまうようになったから。 スキの数が少ないと、書いてよかったのか自信がもてなくなっていた。 noteを開いていなくても通知が気になる。 まだまだ始めたばかりで、その辺りのコントロールが上手くできない。 だから書いていても自分が思っていることより、スキをもらうことに意識が向いているような気がしてしんどかった。 noteは自分が書きたいことを書くために始めたから、その根底が揺らいでは絶対にダメだと思った

        • ぼくは創作2年生

          ぼくが創作を始めてから2年が経った。 だからぼくは創作2年生だ。 という事はぼくの作品も1、2歳くらいにはなっているだろう。 だけど生まれたばかりの作品もあるから新生児もいる。 自分が生まれた日の誕生日じゃなくても、こうして創った作品の誕生日を盛大に祝う日があっても良いなと思う。 子どもが小さい頃の運動会や発表会のビデオをみて、「こんな事あったな〜」と酒をしみじみと飲む父親のように、自分の作品たちを見返して祝ってあげたい。 きっと酒がすすむだろう。 当たり前だけ

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        「書くこと」が苦しかったときの話

          「おじゃる丸」の歌詞がエモかった話

          小さい頃からアニメを見ていたけれど、その中でふと「おじゃる丸」の歌を思い出した。 メロディがなんだか切ないと、子どもながらに感じていたのを覚えている。 ちなみにタイトルは「詠人(うたびと)」で、どんな歌詞だったか調べてみた。 いやエモい。 まだまだ鼻をほじっていてもおかしくない年齢の子たちが見るアニメで、夢が届きそうで届かない寂しさを歌っているとは思わなかった。 ちなみにアニメで使われているのは2番目の歌詞で、1番目も見てみた。 これも中々のエモさだ。 北島三郎

          「おじゃる丸」の歌詞がエモかった話

          生命力に感動した話

          僕は最寄り駅に行くときや散歩するとき、ペデストリアンデッキを通っている。 ペデストリアンデッキとは、ざっくりいうと商業施設やビルなどが接続されている歩行者用の道だ。 横断歩道とはちがい、待つ必要がないため便利である。 僕のところのペデストリアンデッキは複数の公園にもつながっていて、たくさんの木が立ち並び自然ゆたかだ。 だから通勤や散歩では、よく歩きながら空や植物をみるのが好きだ(危ない)。 ぼくは桜のシーズンが四季のなかで1番キレイだと思っていたけれど、このあいだ新

          生命力に感動した話

          人のカラダが食べ物でできているなら・・・

          ハーフの人ってかっこいいと思う。 見た目はもちろん、日本以外の遺伝子が混ざっているのは特別感があり憧れるものがある。 ふと思ったのだが、ハーフは遺伝に限らなくても良いのでは? 外見は変えられないしどうしようもないが、毎日のカラダをつくっているのは食べ物だ。 たとえば肉を食べるとしよう。 それがアメリカ産やオーストラリア産で、それを食べたら自分の血となり骨となり肉となる。 自分のカラダのなかに異国で作られたものが流れているということは、純粋な日本人ではない気がする。

          人のカラダが食べ物でできているなら・・・

          もう一度ピアノが弾けたなら

          小学1年生〜中学2年生くらいまでピアノを習っていた。 はじめた理由は友達が習っていたから、つられて自分もやってみたくなったのだ。 週1回30分の稽古で、歩いて10分もかからない先生のところへ行く。 楽しさ半分、面倒が半分といったところだろうか。 ただ飽き性の自分が、よく続けてこれたなと思う。 7年目にして辞めようと思った理由も、とくにない。 強いていえば、面倒くさくなったのだろう。 ところがなに事もなく稽古を終えた最終日、気づいたらクルマの助手席で泣いていた。

          もう一度ピアノが弾けたなら

          受け入れることが、はじめの一歩なのかもしれない

          ある時期に、仕事での無理がたたって病気になった。 休職することになったが金銭的に余裕はなく気持ちは焦る一方で、本当に自分が情けなく自己嫌悪と劣等感の塊でしかなかった。 「この先、良い事なんてひとつもない」と勝手に未来に絶望して、へそを曲げていた。 自分とまともに向き合ってこなかった代償がジワジワとやってきて、今まさにそのツケが回ってきている。 もう少しだけ自分と向き合っていたら、こんな事にはならなかったのにと後悔する日々を送っていた。 僕はなにか気に食わないことがあ

          受け入れることが、はじめの一歩なのかもしれない