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自分の「思いこみフィルター」をはずしてみる

ここ数日、書くことに抵抗があった。

その原因は、スキの数を気にしてしまうようになったから。

スキの数が少ないと、書いてよかったのか自信がもてなくなっていた。

noteを開いていなくても通知が気になる。

まだまだ始めたばかりで、その辺りのコントロールが上手くできない。

だから書いていても自分が思っていることより、スキをもらうことに意識が向いているような気がしてしんどかった。

noteは自分が書きたいことを書くために始めたから、その根底が揺らいでは絶対にダメだと思った。

それに他人と自分を比べてしまって勝手に凹む。

「こんなにフォロワーがいて書き方も上手で、才能があるんだろうな」と羨ましく思ったり。

そんなこんなで自己肯定感もかなり下がりつつあり、どうしたものかと悩みに悩んだ。

それで気分を変えようと思って、本屋で立ち読みしていたらある一文が刺さった。

「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。」

『吾輩は猫である』 夏目漱石

ほとんどの人が知っているであろうこの名言をみて、ぼくは「呑気と見える人々」の部分を「キラキラして見える人々」と置き換えた。

きっとぼくがスゴいと思っている人たちも、はじめから上手くいっていたわけではないだろう。

孤独、寂しさ・・・いろんな感情を抱えながら頑張ってきたんだと思う。

だけど、うら側の部分なんてさらけ出す機会があまりないから、どうしても完成されたものを見てしまうと眩しく感じる。

だから作品をみて「スゴい」とか「才能がある」と思うことは悪ではないけれど、その一言で片づけてしまうのは相手に失礼な気がした。

それに、そういう思い込みでぼくが勝手に凹むなんて、なんとも筋違いな話だ。

その人がもらったたくさんのスキは努力で得たしかるべき評価だし、それに自分以外の人間のスキと比べるのは、まったくもって無意味だと悟った。

だから例えスキが0だとしても、それはぼくにしか分からない気持ちであって、それはそれでレアなんじゃないかと思う。

共感してくれたらありがたいし、共感してくれなくても読んでくれてありがとうって思うから、1番は感謝の気持ちを忘れないということに行き着いた。

もしまた書いていてしんどくなったら、思い込みフィルターがかかっていないか見直してみようと思う。


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