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手首を切るあなたは、笑っていた(1090文字)

不安な時に手首を切ってしまう
そんな人をよく見てきた。

僕の母もそうだった。

中学生の頃
自分の目の前で切った姿は唖然とした。

その時、母は「笑っていた。」

僕はよくこの時の笑顔を思い出す。

辛いから、何もできないから、不安だから
血を見ると安心をするんだと。

その姿に僕はどんな対応を
どんな顔をしたらいい。

増えていく僕の仮面
気づけば表情を作りまわす
カメレオンみたいになっていた。

ああ、僕ってなんなんだろう。
なんでこんな無力なんだろうと

流れる血を見ながら
たたずむ僕。

別にこれが
『だから僕が可哀想って話』じゃない。

数年後がたち
Twitterでとある中学生と繋がった。

その子はパニックになると
よくリストカットをしてしまうのだという

14歳の子供がそんなことを言うことに
なんだか悲しさを覚えた。

寂しいから、不安だから、血を見れば安心するからと
切った時の画像を送ってきた。

僕の頭に母の姿が浮かんだ。
そうあの「笑っていた」姿だ。

僕は少女に尋ねた。

『腕を切って楽しいかい?楽になったかい?』

少女は答えた
「気持ちはスッキリするんだ」

僕は、悲しさと、何か納得をしたのだ

『じゃ君はいつまで手首を切るんだい?、
この先10年?20年?』

少女は答える
「わからない」

僕はどうしても気になったことがあった
『子供は欲しいと思う?』

少女はいう
「うん、欲しい」

『じゃ、その姿子供が見るとどうなの?
今は君の体だけど、将来、母として生きるのであれば
それは、君の体であるけども、

生まれてきた子供からしたら
お母さんという大切な人の体なんだよ』

少女は話を聞きながら泣いていた
「ごめんなさい」

僕は答えた
『別に誤って欲しいわけじゃない、ただ悲しむ人がいることを考えてほしい。

そして、子供が大きくなったとき、
その痣に気づくだろう
僕の、私の、お母さんは過去に手首を切っていたんだなと
その姿を想像してみてほしい。

そこから生まれるものは哀れな眼差しで見られるだろう』と

それから数年経った今も少女は切らなくなった。


確かに自分にとって
目の前で手首を切って笑っていた姿は衝撃だった
でも、僕は悪い思い出とは思っていない

誰かを救える理解者になれたのだから

あなたもそして身の回りの人にも
このことを知って
自分の体を守って欲しいと思う

世の中に出た時には
毎日が「楽しより」は
毎日が「しんどい」の方が多くなる

だがしんどいと思うことは
誰かの力になることができる力を与えられているのだ

僕は多分一生のトラウマなんじゃないかと思う姿を見た
だが、こうやって話していけば

同じような苦しみをもっている人を
支えていけるのかもしれない。

そして、そんな苦しみをもっている人を
僕は笑わせてあげたい。

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