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あの時やっておけばと後悔した僕、僕には何も無くなった。(1241文字)

僕はもともと土木の仕事を5年以上していた

特殊土木で親方として地方に行くことが多かった。
それこそ東京の日本橋で仕事をしたり、
山形や茨城、栃木、岩手、北海道内各地と

色々のところで仕事をしていた。

若い僕はやっと戦力になって
これからというところ

重機にも乗り
ベトナム人を引き連れ
チームに指示を出していた。

そんなある日のことだった
平和島の仕事で腰に激痛が走った。

「あれ、すげーいてーな」

でも俺が抜けるわけにはいかなかった
内地に出張という形だったから
他の人に頼ることもできなく

激痛の中で仕事をしていた。

会社からの連絡
「北海道に戻ってこい、次の仕事がある」

僕は北海道に戻った、
次の仕事の指示を聞いた。

次は函館で仕事だ

ペアは73歳のじいちゃんだ。

「ああ、休めないな、仕方ないやろう」

と思い無事に仕事をやり遂げた
そのころの僕は痛みで夜は動けなくなっていた。

病院に行く暇もなく

ただただ我慢していた。

次の仕事で
オホーツクの紋別に行くことになった。

ペアを聞いたらベトナムの子だった。
仕事的には、楽ができる仕事ではあった。

ただ、常に「それがしくん、それがしくん」
と下周りの仕事をしていた。

その時だった。

腰痛にまた電気が走った。

気づいた時には、

『下半身には力が入らなかった。』

50メートルが以上に遠い
体は重く力が入らないから
起き上がることもできない。

老婆のように腰を曲げて
歩く僕、

病院に行き、すぐに診察へ、

先生からの一言
「お兄ちゃん、よくここまで我慢してたね、
並の人なら歩けなくなっているよ」と

悔しい思いと
もっと早くやっておけばと思った。

それからレントゲンをとったら
腰椎が捻れていた。

簡単にいうと神経は触れないから痺れないけど
骨が当たるからとてつもなく痛かった。

それから数日休んでも
痛みが取れない。

なんとか現場が終わり
戻った時に僕の脳裏にはずっと

『次は歩けなくなるんじゃないか』と
考えてしまっていた。

お金も生活も人生も
これからなのに、

26歳にして0からのスタートをしなければならないのかという
不安が押し寄せてきた。

同じ分の給料をと考えると
そんなものはなかった。

自分が積み上げてきたスキルも
経験も何も体が動かなければ意味がないのだ。

友達の子供と遊ぶ時も
腰が気になって思うように動かない

そんな自分には「情けない」という感情が
押し寄せてくる。

あの時もっと早く体を労っていたら
こんなふうにはならなかったのかな。

またもっといろんなことをやっていたら
後悔はしなかったのかな。

そんなことを考え
1人いるしかないのだ

いつかやれば
将来の自分がなんとかしてくれる!

なんて甘くはない
今やれる時に動かなければ

行動をしなければ

気づいた時には気持ちがあっても
体は動かないのだ。

この内容を見ているあなたは
後悔する前に挑戦をしてほしい。

だって後からなんて無いのだから
どんな年齢でも
今、この今が『1番若くて1番力があるのだから。』

後悔をする前に
こんな思いをする前に

思い切り挑戦をして欲しい。

そんなことを思いながら
今日も誰かのためになりたい僕はいう。


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