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幸せってなんだろう

私の中で幸せってなんだろうって思うことがあります。
今回の小説の中の主人公もインドで幸せとはと思う瞬間があるのですが今日は私にとっての幸せをかきたいと思います。


それぞれの価値観

幸せというのは当然それぞれの価値観からなり、人と比べる必要は本来ないものだと思います。
でも幼い頃の私は人が幸せそうだったのが、少し羨ましかった記憶があります。


それはこちらのnoteを読んでもらった人は多少想像つくかもしれませんが

我が家はどうも歪な家族だったからです。

私が思春期で父と喧嘩する内容はいつも決まって

「普通に学校に行ってどうだったとか話を聞いてほしいだけなのに!」
「俺は金を持って来ているだろう!」

でした。
なので、友人が両親と普通に話をしているというような普通のことが私にとっては幸せの象徴でとても羨ましかったのです。
でもこのnoteにあるようにある時から私はそれについて期待をしなくなりました。
そして自分なりの自分が作る幸せを求めるようになりました。


幸せの指標

物語の中で主人公がインドの人の宗教観に触れ、信じるものがあることでその宗教を受け入れられたら逆に幸せなのではないかと思う瞬間があるのですが、これは私自身がインドに行った際に感じたことでもあります。
インドという国は本当に多宗教の国で、日本も少し宗教観でいうと変わっているなと思いますが、カースト制度というものがあるので強烈なインパクトが宗教についてはあの国にはあるように感じます。そういう人たちに触れた時に信じるものがあるというのはある部分でとても幸せだなと思ったのです。
インドの人たちを見ていて、自分の幸せの物差しの中にこうすると次の生まれ変わりで人になれるからこうしよう、こうできたから次の生まれ変わりがこうでよかったというような幸せの指標があると自分の指標に迷いがあまりなくなるように私には思えたからもあります。

自分の信じる教典にこういう風に書いてあるからこれが正解、というものがあれば迷いがなくなり、迷いがなくなるというのはストレスも減りますよね。
人は迷い、悩むから苦しい。
そういう意味では不幸ではなくなるように思います。
ただそれを超えたときにきっと幸せを感じたりもするのかなとも思うので、もしかしたら信じるものがあっても不幸ではないけれど幸せでもないのかもしれません。

生憎、私は信じている宗教がないのでその辺がわからないのですが。


幸せのハードル

信じるものはありませんが私は幸せのハードルは低い方だと思っています。
信じているものはないものの、そもそも幼い頃に羨ましいと思った幸せは普通の家庭にあるようなものですから、人にありがとうと言われたり、この間で言うと、誕生日にtwitterのフォロワーさんがたくさんお祝いリプしてくれただけで3日くらいご機嫌でいられる幸せな脳を持っています(笑

でも私としてはそれはそれでいいことだと思っています。
おめでたかったなあ、そういう意味だったのかあと後から気がつく時はありますが(苦笑

そういう意味でいうと、今回の小説の中の主人公の幸せのハードルというのはとても高めな気がしていますが、割と私が見ている世の中の人は高めだなあと思う人が多く、大変そうだ・・と思うわけです。

まあでも、本当は普通の家庭という幸せはめっちゃハードルが高いようにも思っていますが。普通って一番難しいですしね。

でも簡単に幸せって思考の変化で変わるのではないかと思っていて、その辺を今回の小説の中にも描けたらなと格闘しています。

まだ、少々直しはありますが(改訂版がまだあげられてない状態ですが)そんな格闘をぜひ一度お手に取っていただけたらと思っています。



出版できるのか。

後12日。

頑張ります。


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