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第73話:精神安定剤

30代の前半のことだった。学校祭が終わった翌日の代休に久しぶりに家族で外出し子供と小高い丘に上ろうとしたのだが、暫く登った所でふと胸が息苦しくなってその場に座り込んでしまった。

呼吸ができないのではないが息苦しくて動けない。そんなことは初めての経験で、何だろうと思いつつも、一晩ゆっくり休んで翌日は出勤して授業もしたのだが、その症状がそれ以来頻繁に起こり、授業中息苦しくなって視界が真っ白になり保健室に担ぎ込まれたり、何とか学校まで来てもどうしようもなくふらついてカミさんに迎えに来てもらって帰ったりしていた。

病院で一通りの検査もしてもらったが、体のどこにも異状はなく、精神的なものだろうと言われた。確かに授業や部活動といった平常の仕事に加え、生徒会の担当をしていたので文化祭前のそれなりに忙しい日々を4、5カ月過ごしていた。

3カ月ほど全くの無休。昔のことだからおおらかで、文化祭の2、3週間前からは午前0時まで生徒と一緒に学校に居残ることが普通のようになっていた。
一方でインターハイ予選があり、一方で新年度4月当初の慌ただしさが並行した。
疲れていたと言えば、確かにそうなのだろうと思う。

突然にやって来る胸苦しさや立っていられないほどのふらつきは、気の小さな僕には死を連想させ、それがまた新たな心労の種となって症状はいつまでも収まらず、出勤しても仕事にならず、一週間の休みをもらって自宅療養もした。

病院を幾つも変えてみたが、結局、結果は同じであった。
同僚には自律神経失調症とか慢性疲労症候群などと言われ、仕方なくハリに通い、マッサージに通ったりもしたが、さしたる効果は見えなかった。

症状が現れると緊張状態になり、掌や足の裏にべっとりと汗をかく。
息が詰まり、どうにかなってしまいそうで、いてもたってもいられなくなってしまう。
絶えず頻脈の状態で、普段は60位だった脈拍が、割に調子の良いときに測っても90~100位はあり、夜寝るときは朝になったら死んでいるのではなかろうかと思い、朝起きると、ああ生きていたかと思う日が続いた。

そうそう休むわけにも行かず、勤めには出たが、だるく、熱を測ると37.5くらいの微熱があり、この頻脈、微熱の状態が半年以上も続いた。

気にするといけないというので、それ以降体温を測るのはやめたが、悪いことに症状は次から次へと移り、まず喉が痛くなり唾を飲み込むだけで痛みが走るようになった。すぐに治るだろうと思っていたが、これが延々3カ月余りも続き、病院に行くと喉が真っ赤で風邪だと言われる。

それから腰が痛くなり、普段は何ともないのだが、明け方5時くらいになると必ず激痛に襲われて目を覚まし、横になっていられず起き出して机にうずくまったりしていた。
2カ月ほどもこの痛みが続き、また病院に行くと、レントゲンを撮られ、骨には全く異状がないと言われる。むしろ大変良い骨格をしていると言われたりもした。

息苦しさはその後もしばしば起こり、一度しっかり検査してもらおうと、心エコーや負荷心電図、ホルダー心電図などの検査もした。異状だという結果は出ない。

そのうち血便が出始め大腸の検査もやった。胃を痛め、胃カメラも飲んだ。荒れてはいるが大きな病気が潜んでいるわけではないと言われる。

それまではほとんど病院通いなどしたことがなかった僕が、この2、3年は、まるで病院がなければ生きて行けぬような状態に陥ってしまったことになる。全く予想もしなかった青天の霹靂のような身体の変調であったのである。

どの医者にかかっても病名がもらえなかった。具体的な病気をかかえるというのも確かに大変なことではあるが、具体的な病名もないまま入れ替わり立ち替わり襲って来る症状と格闘しなければならないのも、それはそれで辛いものではあった。

体調は回復せず吐き気に悩まされ、ふと襲って来る息苦しさに耐えられなくなり、精神科で診てもらうことにした。

最初に門をくぐるまではそれなりに抵抗も感じたのだが、あっさりした雰囲気のお女の先生だった。別に取り立てて気の効いたことを言うでも、親身にカウンセリングしてくれるわけでもない。

今までの症状を説明すると「そういうこともあるんですよ。だから人間って不思議なんですね」と言い、「どうにかなりませんか」と問うと、「あるがままをあるがままに認めるしかないですよ」と非常にのんびりとした口調で言われ、安定剤を渡され、以後一日3回、それを服用して過ごすことになった。

その病院の、人を病人扱いしない穏やかな雰囲気が良かったのか、その薬が自分に合っていたのか分からないが、なんとか勤めをこなせるようになった。

今でも薬を欠くと不安に落ち込んだり胸苦しくなったりもするが、一時期のどうしようもない状態からは脱した自分が自覚できる。
33歳はさんざんというわけで女性の厄年に当たるそうだが、同僚にはまた中年期にさしかかって身体のバランスが崩れたのだろうと言われたりもした。まさしく惨々な状態だったと、ようやくそれを振り返るだけの余裕が出て来るまでに3年がかかった。

これまでも死ということについて書いてきたりもしたが、今にして思うと、所詮、他人事として死を捉えていたんだなあなどと思う。自分がこんな状態になって初めて死というものを極めて具体的に実感として思った。

その実感とは恐怖だった。単純に死ぬことが怖かった。

僕の親友は27歳で死んだ。
あいつは自分の死の意味を了解したのだろうかなどと思い、あいつより長い年月を生きながら、あいつの体験した死の恐怖について考えたことがなかったと思ってみたりした。

人間は生きていて、しかも、いつか自分が死ぬことを知っている。

今だから言えるのだが、僕も死を背負っているということがわかったことは多分悪いことではなかった。同時に身体だけではなく、精神を病む可能性を秘めていることをわかったことも良かった。のちに接する精神的に行き詰まった生徒に接する時も、それは生きた。

僕は小さくて弱くて壊れやすい人間でしかない。
その発見は自分についての大事な理解だったと思っている。

(土竜のひとりごと:第73話)


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