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水俣の甘夏

『水俣の甘夏』という1984年3月に公開された映画がある。この映画の存在は気にかかっていて、いつか観たいと思いながらも、なかなか手が伸びず、そのまま半ば忘れかけていたのだが、さもしいことながら今年、生徒の持ってきた入試問題に採り上げられていてのを見て、「ああ、これはいかん」と思いついて早速購入して観た。

水俣病の説明など不要とも思われるが、今の高校生にとっては教科書にちょっと出てくる公害問題の一つに過ぎないのかもしれないので、熊本県のHPにあった政府見解の「水俣病」の説明を引用してみる。

水俣病は、水俣湾産の魚介類を長期かつ大量に摂取したことによっておこった中毒性中枢神経系疾患である。その原因物質は、メチル水銀化合物であり、新日本窒素水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾内の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂食することによって生じたものと認められる。

昭和43年(1968年)9月26日に厚生省が発表した水俣病に関する政府統一見解

いかにも「乾いた」見解であるが、そうした汚染の事実を日本の高度成長は「隠蔽」した。水銀を水俣湾に垂れ流した新日本窒素水俣工場(チッソ)の社長が無害だとして、排水だと偽ってまったく排水ではない「水」を被害者の前で飲んでみせ流という茶番すら行われた。石牟礼道子の『苦海浄土』も最近の高校生はほとんど読まないが、そうした事実を生々しく記述している。


「水俣の甘夏」は水俣病を直接記録しているわけではない。「水俣のその後」を記録している。僕がグデグデ言うより、DVDの解説に依った方がいいだろうと思うのでそのまま引用させていただきたい(配給元のシグロのページに同じ解説が掲載されている)。

水俣病は漁民の身体を蝕んだばかりでなく、海に活かされた暮らしを奪った。やむをえず陸に上がり、地元で唯一特産の甘夏ミカン作りに取り組む漁民たちがいた。1976年、わずか49世帯でスタートした「水俣病患者家庭果樹同志会」の人びとの模索を伝え、立派に実った甘夏を宣伝する目的で、この映画は企画された。
当初は農協の指導の下、農薬や化学肥料で甘夏を作っていた。農薬は年間18回も散布した。しかし、「水俣の被害者が自分の作り出す農作物によって、消費者に対して加害者になることは許されない」ー7年かけて農薬の散布を年3回に抑えていった。
山からとってきたクモを自分のミカン園に放す。次々と巣をはっていく様子を見て「自然の手助けができた」と喜ぶ声があがる。樹の根を掘ってみると、無数のひげ根が張っている。テントウムシやアリ、ミミズなども戻ってきた。土が生き返ったのだ。

しかし、予想外の事件が関係者を待っていた。農薬を直接葉や実にかけなければいいだろうと、1983年夏、6世帯が除草剤を使ってしまったのだ。

映画の撮影は一時中断され、同志会の人たちは何回も話し合った。打つ手もなく3ヶ月が過ぎていく。ようやく秋も深まるころ、除草剤をかけた6人から「同志会の箱はそのまま借りて、自分たちのものには『失敗の会』というシールをはる。販路も独自に開拓する」という案が出される。他のメンバーも自分たちだって同じ失敗をしたかもしれないと受け入れた。
映画はこのいきさつを隠しだてせずに追っている。それは「何一つ後悔しなかったチッソと同じことをやれない」「何でもありのままに出そう」を結論を出したからだ。この事件は思いもかけなかった実りを映画にもたらした。

シグロ・フィルモライブラリ

水俣病によって海を追われ、甘夏の栽培を始めた漁師たち。被害者である彼らは同志会を結成し、農薬を最低限に抑えた栽培という理想を目指す。
ただ、それは一方では過酷な労働にもつながり、軽い気持ちで6軒の農家が農薬を使ってしまう。
同志会の中でその対処について議論が交わされる。「個人の責任は個人で取ってもらう」という考えと「同志会全体の問題として考えるべきだ」という考えとのぶつかり合い。
「責任と救済の間を話は行きつ戻りつしし、誰にも打つ手なしの日々が続いていました」とは映画中のナレーションの言葉だが、誰にも解決策、正解の見えない中、会の分裂の危機感も抱きながら、それでも話し合いが続く。
そんな中で農薬を使った農家から謝罪と同時に提案がなされ、了解に漕ぎ着けるる。「同志会の箱を使わせてもらいながら、そこに『失敗の会』というラベルを貼り、ミカン箱の中には、その意味と、なぜ『失敗』したかを書いた文章を添える」という結論を双方が承諾する。

そこに至るまでの経緯を映画は記録する。一時間に満たない記録映画で、しかも、言葉は若干聞き取りにくい。でも、素朴な多くの耳に残る言葉がある。
・人間は追い詰められれば自分が助かろうと走ってしまう
・落ちこぼれではない。失敗だ。人間だから失敗もある。ただ失敗を続けてはいけない。
・(農薬を)かけた方とかけなかった方の理解が成り立っていない。
・(農薬を)かけた本人が一番辛い(のではないか)
などなど。

可能性を見切らず議論し模索することの大切さ、どんな正解の見えない問題にも解決を見出す可能性を人間は持っていることをこの映画は感じさせてくれる。それはまた違う視点で言えば、水俣病の被害者である彼らが農薬を使った「加害者」を責めることで加害者になってしまうことを回避できたということでもあるだろう。
被害者であると同時に加害者となる可能性を常に孕んでいる人間の一つの道筋をみせてくれているようにも思う。

さすれば、今の世界が抱えている問題も解決可能なのではないか、それが人間の証ではないかという気持ちにさせてくれる。




ただ、現実の問題はもっと複雑で厳しい。こういう記事をnoteに見つけた。つづみこさんの記事である。

参考:[1989] 水俣病センター相思社の再生を求めて(答申)


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