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思い込み

以前、東京に一泊の出張した時、電車で行けばいいものを車で行き、ホテルの駐車場に車高が高くて入らず、近くの安いコインパーキングを紹介された。
1日最大で1400円ですから」と言われ、
駐車場に行ってみると、確かに
24時間1400円」と書いてあった。

2日で2800円

まあ仕方ないと入庫。しかし二日目の夕方、清算すると、なんと7800円(くらいだったと思う)の請求金額が示された。「そんなはずはない」と、もう一度自分の駐車位置番号を確認したが、合っている。
しばし途方に暮れ、しばし考え、ようやく気付いたのだが、確かに24時間までは1400円だが、その後は時間単位の通常料金が加算されていたのだ。

騙された!
ような感情も湧きおこったが、確かに24時間1400円の表示に偽りはなかった。コインパーキングというものに慣れていない田舎者の不注意に他ならないが、なんだか無性に寂しかった。

我々?には、勝手に思い込むということがある。

受験の指導をしていると、生徒は模試や試験の古文を読み、どうしたものか、本文とは全く別のストーリーを、それこそ完璧に作り上げてしまうのだと言う。「どうしたらいいですか?」と問われるのだが、冷たく言えば、どうしようもない。

こんなこともあった。
3年生の12月、英語の先生から、ある生徒の国語の指導を頼まれた。
東大を受けさせたい。充分その力がある。が、国語だけが苦手。模試でだいたいは80点(200点満点)で3ケタを超えたことがない。
「何とかしてくれ」と言う。
「あと一ヶ月だよ。無理!」と断ったのだが、
「それでも何とかしてくれ」と言うので、仕方ない。
呼んで「国語、嫌い?」と聞くと、
「嫌いです」と明言する。
それで、2週間、毎日、易しい問題を与え続けた。
当然できる。そのたびに
「なんだ、お前できるじゃん」
「すごいよ。国語の力、あるねえ」
などと褒め続けると、なんと直後の模試で140点を取り、本番でも160点を超えた。嫌い、苦手と思い込んだ瞬間に、文章を理解しようとする回路が無意識に閉ざされてしまう。

これは勉強に限ったことではない。

恋など思い込みの最たる例であろう。
「この人じゃなきゃだめ」みたいな思い込みは、孤独と未知の引力が作り上げる妄想であって、正しい判断を遮断させる(笑)。
結婚というハードルを「よいしょ」と跳び越えるためには、そういう正解も不正解も問わないエネルギーが必要だと言えるのかもしれない。

I love you.

これは多くの人間の関心事だが、ネットの情報によれば、二葉亭四迷がこれに相当するロシア語(「Ваша」=英語「Yours」=日本語「あなたのもの」に相当)を「死んでもいいわ」と訳したとされる。

夏目漱石が、I love you.を『月がきれいですね』と言うべきだと言ったという都市伝説はあまりに有名であるが、かつて、そんな話を授業でした数日後、ある男子生徒が、
「先生さあ、オレ、昨日、○○子と自転車で偶然帰りが一緒になったんだけど、あいつに『月がきれいだね』って言われたんだ。
ひょっとして、それってオレのことが好きってことかな?」
と聞かれた。
何て純な男の子だろうと思ったが、変に誤解してストーカーにでもなったら困ると思い、
「まあ違うだろう。月がきれいだったんだよ」
と優しく教えてあげた。


取り留めもなく飛躍するが、以下、蛇足のような本論である。

人間は勝手に思い込むということがある。
こうした「ほのぼの」とした「思い込み」もある一方で、一部の人の危険な「思い込み」が人を不幸に誘うことは多い。

例えそれが本人にとって一面の真理であっても、「思い込み」は盲目であると同時に、そこに過度なバイアスを生む。
それは危険極まりない。
自分が正しいと思い込んでいる人に限って、必ずその言説は正しくない。

言ってみれば「思い込み」は「ことば」を持たない。
自分の「ことば」に酔い、しかも自分に都合のいい「ことば」の中だけにいれば自分の偏向に気づけない。突き進み、誤りに気づいても引き下がる「ことば」を持てない。

そうしたバイアスへの傾きに対してブレーキをかけようとする力が本当の「ことばの力」ではないかと思ってみたい。

「侵略」か「解放」か、とか、
「戦争」か「紛争」か、とか、
「国葬」とか、
「記憶にない」とか、
「記録がない」とか、
「旧統一教会の教義に賛同する議員は一人もいない」とか、

人は自分が思想や利害において「偏ってしか存在できない」ことを知らなければならないし、大事な「ことば」をそういう「言葉遊び」に利用してはならないのだと思う。


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