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癌だったら、ホスピスや緩和ケアがあるけど。


 「癌です」となった時は、多くの人がひたすら懸命に手術や治療をつづける。これからを、そして、今を生きるために。この心と身体の苦しみを少しでも和らげるために・・・。

 自分や、身近な大切な人が、そんな状況になったことがある人は、経験していることだとおもうが、そこには、セカンドオピニオン、専門の病院もあって、多くの情報と選択がある。ありすぎて悩みと苦しみが生まれるという本末転倒なことがおきるくらい。

 その無限に思える情報と選択の中には、より自分らしい時間を長く過ごせるように、と緩和ケアやホスピスという道もある。治療をあきらめた人のための場所ではないことは、現在では、広く認知されてきているのでしょう。

 それに比べて、老衰もふくめて「癌以外での病気の終末期」って、本当に寄り添ってくれる情報も居場所も少なすぎる。医療的な手助けがあって苦しみを理解し、寄り添い、和らげてくれるような、残り少ない人生を安心してすごせる緩和ケアのような場所。 家に帰って、24時間の介護力・医療の環境がある人なんて、じゃんぼ宝くじに10連ちゃん当選するより稀なんじゃないかな。だから、まっとうな対応をしてくれる特別養護老人ホームや老人福祉施設や有料老人ホームを探すことになる。

 ある日突然(ほんとは長い時間かけて)、心筋梗塞や脳血管障害に見舞われ、運よく治療をしてもらって、命が助かって退院してリハビリができて日常生活が取り戻せて、社会復帰ができれば、いろいろあったけど、よかったねって笑える日が来る。

でも、そうでなかった場合、急性期の病院または回復期のリハビリ病院でこれ以上回復の見込みがありませんってなった場合。転倒のリスクがあったら、車いすがあらわれて、最初はこんなの嫌だって思っても、すぐに慣れて、歩く時間がへったら、あっという間に本当に歩けなくなる。トイレも誰かの助けが必要だったら、だんだん遠慮したり面倒くさくなったり。導尿カテーテルもすぐに慣れる。最初は失敗したときのために履いていたオムツの中で排泄するのも抵抗なくなっていく。

こうやって、人って心を少しずつ感じなくさせていくのかな。羞恥心やプライドをなくし、あきらめと認知症(防衛反応だと思う)をフル活用しないと、結構しんどいね。

それでも、まだ人は楽しんで人生をおくることはできる。

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だけど、ほんの少し、また症状が重くなったら?

急性期がすぎたら、看護付きの老人ホームや特別養護老人ホームや介護老人保健施設で対応できない場合、療養型の病院ってことになる。だけど、療養病床って、医療は現状を維持することで、その分生活の質があがるかといえばそうでもない。病院のせいではない。月々の入院金額がきまっていて、コストはそんなにかけられない。

これでは誰だって寝たきりになってしまう。だって、周りの人が最初からあきらめているのだから。むせこみがひどくて誤嚥性肺炎になるから、経管栄養。IVH。活動する時間がなくなり、寝てばかりいれば、全身状態が悪くなる。痰も多くなる。訴えが多くなれば身体拘束。

でも、望んでいるのは、お金のかかる医療ではなく、より安楽に過ごすために知恵と工夫を、専門家の医療者に教えてもらいたいのです。だって、残り少ない時間なのだから。苦しい痰の吸引の回数を減らすために、水分や経菅栄養の量や内容を変更するとか、時間を工夫するとか・・・。

”生かされている”人は、何を感じているのだろう。
”生かされている”家族をみるのは、どんな思いなんだろう。

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