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猫ひろしがカンボジア人になった話と、彼の本を読んで

きっかけは「カンボジア」。

昔からカンボジアという国には様々な思いを馳せていたし、思い入れも特別強かった。一番憧れていて、行ってみたい国だった。

だから別に、芸人・猫ひろしのファンではなかった。



猫ひろしさんがオリンピックに出るために国籍をカンボジアに変えた、という事実はテレビのニュースで見た。

私は、

「カンボジア人になれるなんてずるい!」

と思った気がする。

だってその国の人間になるということは、いつでもその国に行けるわけだし、その国で仕事をして生活することがいとも簡単になるじゃないか!
ていうか、なにを言ってもその国民だ。

思いっきりエンタ世代だった私は、テレビで彼のネタを見て「なにこれ、つまんない」と思っていた。あの一発ギャグ風のネタの面白さはいまいちわからなかった。

だからあの頃の私は、猫ひろしさんに強く嫉妬した。

「絶対私の方がカンボジアのことが好きなのに。クメール語も話せないくせに(私も)。カンボジアの歴史を知っているわけ?走るためだけに帰化してカンボジアのことを利用しようとしているんだろうか?」

そんなことを考えていた。


それからしばらくして、猫ひろしさんがロンドンオリンピック出場を逃したというニュースが入ってきた。それから「アスリート・猫ひろし」は私の中で一発で消え去り、考えることもなくなった。


その後、私は念願だったカンボジアを訪れて、思った通りに素敵な場所で、やっぱり世界一好きな場所だと思ったし、ここに住みたいと思った。
でもその間、猫ひろしのねの字も思い出さなかった、宿で飼われていた猫たちはとても可愛かったのだけれど。



先日、私はいつものように、電子書籍をネットで見ていた。
本屋さんで本を手に取ってお気に入りを見つけるのも好きだが、なんせ旅続きの私は本を何冊も持って移動するのはしんどい。

お気に入りの本は何度も読みたくて、電子書籍がメインとなってきている今日この頃だ。

叶うのならばもちろん断然、紙の本!の私だが、電子書籍にはいいところもある。おすすめの本を紹介してくれるのだ。本屋さんでは自分で手の届かないところまで、電子書籍屋さんでは教えてくれたりするので予想外の出会いがあったりする。

そして今日の本題、猫ひろしさんのことを数年ぶりに思い出したのも、このおすすめ機能のおかげだ。



日頃からカンボジアを意識している私へのおすすめに「僕がカンボジア人になった理由/ 猫ひろし」が出てきた。

普段から頻繁にカンボジアについての書籍を見ているからだろう。

しかもなんと、キャンペーンで半額以下になっていたのだ。

普段ならここで購入するのかは全くの疑問だが、あのときの私はすぐにその本をカゴに投げ入れ、そのまま購入ボタンを押してしまった。

いまだになぜ、「猫ひろしさん」の本を買ったのかわからない。いや、きっと猫ひろしで理由を検索しても見つからないだろう。
あくまで「カンボジア」とあったから購入したのだと思う。

しかし購入後もしばらくは手をつけていなかった。

そうして本棚で一ヶ月ほど寝かしたあと、先日私はなんとなくその本を開いてみた(電子書籍なのでスライドしてみた、が正解)。


読み始めると、驚くほどに猫ひろしさんの世界に飲み込まれてしまい、あっという間に読み終えた(後半は雨宿り中に読み終えたのはいい思い出)。

なんとも人間くさいアスリート芸人がそこにはいた。


そして彼は本書の中で、私の願いでもあったカンボジアを愛するという行為をいとも簡単に成していた。更には、一人の強いアスリートの姿勢をみた。

私も一応9年間、本気でバスケットボールをしていたから、スポーツマンシップのなんとやらは知っているつもりだ。

本の中の猫ひろしさんは、自分は「芸人」であるというプライドを持って、スポーツマンとして戦っていた。

私は彼がカンボジア国籍を取得する際に、日本人から叩かれていただなんて知らなかった。もちろんある程度は予測できただろうが。

もちろん、そのとき彼が苦しんでいたことなんか私は知らなかった。彼のことを考えてすらいなかったのだから。


そのときの彼の思いを読み、その思いや、一度決めた決意を強く心に持つ姿勢はかっこいいとすら思ってしまった。

私の知っている「猫ひろし」は、テレビの向こうでポーツマスポーツマスと言って飛び跳ねている小さいおじさんだった。
なにが原因かは知らないが、オリンピックに出られなかった面白くないおじさんだった。

私の「猫ひろし」に対する記憶はそこで終わっていた。


しかしそれ以前に、猫ひろしさんは一人の人間だった。様々な問題に直面し、戦い、乗り越えた一人の人間だった。

そして、国籍を変えてまで目指したオリンピックにその4年後、リオで出場していたのだ(きっとなんとなくは知っていたのだと思うが、大して印象はなく忘れていたのだと思う)。

読み進めれば読み進めるほどに、猫ひろしは一人の人間だった。

カンボジア人になった彼は、カンボジアで自らが認められるコミュニティを作り上げ、カンボジア人に愛されていた。

カンボジアの歴史と向き合い、カンボジア人としてクメール語を学ぼうとしていた。

そしてそれら全ては、自らの芸人としてのプライドからのものだったのだ。


この本を読み終わった今、彼がカンボジア人になったことを面白いかもしれないと思ってしまっている私がいる。

「僕が、カンボジア人になった理由」には、一人の、とてつもなく強く生きている人間の、生きてきた証がありありと描かれていた。

私はこの人を、人としてとても好きだと思った。心から応援したいと思った。


もし今後、テレビか何かで彼の姿を見たら、なんだか知っている親戚のおっちゃんぐらいの距離感に感じてしまうだろうと思う。

そして心の中で、
「スベるなよ!面白くあれよ!がんばれ!がんばれ!」
と必死に応援すらしてしまいそうな気がする。


十数年前、テレビで見ていた、おもんないちっさいおじさんは、かっこいい一人の人間として、再度私の前に現れた、カンボジアという愛すべき国を通して。

……にしても、アンコールワットの周辺を走るなんて、なんて素敵なんだ!
私も次回、カンボジアを訪れた際にはジョギングしたい!!


P.S. オリンピックを中止しろ!と声を上げている人はたくさんいるし、本当にやっている場合ではないかもしれない。
スポーツをやっていない人間がそうして声をあげるのは簡単だし、それが正しい意見かもしれない。

でもそうやって言う前に、SNSに書き込む前に、その背景にはたくさんのアスリートの思いがあるということを、ほんの少しでも考えてみてほしい。


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